今の彼は冒険者である
構えられた槍の穂先が上に揺れた。
槍と相対した狼の視線がそれに釣られ、槍の持ち主から外れる。
そして、晒される顎下。そこに、鋭く穂先が突き込まれた。
鋼が毛皮、脂肪、筋肉を突き破り、頭蓋を破壊し——狼に死を齎した。痛みが伴わないそれは、きっと、永遠の眠りに等しいのだろう。
呆気なく、生死を賭けた戦いは終わった。
倒れ伏した魔狼に近付く一人の男。そう、先程の槍の主である。
髪を一度梳いた手を、彼は倒れた魔狼に向けた。
不思議なことに、それだけの動作で遺骸は掻き消えてしまった。
「ふぅ、収納完了っと」
森の中で呟く彼は、ここにいるのが不自然なほど美しい。
翡翠の如き瞳に、爽やかに揃えられた金の髪。細やかな、少し日焼けした白い肌。
その容貌は、貴賎を問わず女が集まるほど。
しかし、何かを湛える瞳と、発せられる気配が、印象を覆す。
美しいだけでなく、彼は幾多もの戦場をくぐり抜けた戦士である、と。
青年は蒼染めの革鎧を着用していたが、その内にある肉体は鍛え抜かれており、戦いを生業にする者には一目瞭然。
特に、手に持つ朱槍は一見して業物と分かる代物。
一介の冒険者には相応しくない。遍歴の騎士にしては若く、華美に過ぎ。放蕩王子では所有すること能わず。考えれば考える程、青年の正体が知れない。
それもそうだ。
誰が知るだろうか。
彼こそ嘗て騎士王と謳われた者にして、無名の古王の伝承で名高い人物であるという事を。
彼——ライルハートは歩み出す。
今の彼は王ではない。ただの冒険者なのである。
◆
魔狼を狩り終え、帰路に着く。
自然と息を吐いていた。
「はあ」
三千年の時は、様々なことを変えてしまった。
人界に魔物がいるのが当たり前の世界を見て、目覚めた当初は驚愕したものだ。
それでも人間はその状態に適応し、新たな職が生まれ、「冒険者」と呼ばれる武者が人々の安寧のために、自らの生活のために、魔物を日々駆逐している。
そんな危険に満ちている今の時代も悪くない、と、そう思うほど慣れも出来てしまった。
実際、力ある者の義務と考え、自身も冒険者として生きている。……それしか糧を稼ぐ方法がないという理由も存在するが、それはそれ、これはこれなのである。身元がはっきりしない身では、これしかなかったのだ。
拠点としている地方の街に帰るため、足を運ぶ。
長い、長過ぎる時が過ぎたのだ。
森の精霊と呼ばれたエルフも、永き時が衰退をもたらし、今はそう見かけることはない。比べてドワーフはしぶとく、少なくなったとは言え、人間と交流し種としての活力を保っていた。
その他の種族は見かけることすらない。きっと滅んでしまったのだ。
懐かしい知己の顔が脳裏をよぎるが、彼らのうち、一体何人が生きているだろう。人間は一部の特殊な例を除き、生きてはいまい。エルフは生息する場所が分からず、ドワーフは寿命が圧倒的に足りない。幻獣などは生きているだろうが、自分の知らない間に起きた先の大戦とやらに巻き込まれた痕跡が所々に見受けられる。あまり期待はできない。
「いや、そもそも俺が生きていると知ったら、驚かせてしまうか」
それは駄目だ。自身が生きているこの状況は、あまりにも不自然だ。異端、と言い換えてもいい。本来はあってはならないことなのだ。
だから、会いに行けない。行ってはならない。
遥か遠き過去を回顧するうちに、いつにまにか森を出ていた。
少しばかり遠くに望む街——レリク。そこが今の自分の活動を支える拠点である。レイザルド王国の北端近くに位置する、子爵の領主が治める地方都市だ。
「よし。予定通りだな」
胸元から取り出した懐中時計を見て、槍を担ぎ、足を進ませる。
まだ日は低いが、落ちてはいない。仮に落ちた所で、どうということもない。ただ、六時には街門がしまってしまう。夜に現れる強力な魔物よりも、そちらの方が大変だ。
「今日の夕食はなにかな〜」
呑気に鼻歌をかましながら街までの平野を抜け、衛兵の固める門を冒険者の認識表を掲げて通る。
嘗てと今の状況を対比して、こんな些事すら新鮮に感じた。既に数回は体験したというのに。
目抜き通りに立ち並ぶ店の客引きの声、ひっきりなしに道を歩く人々、巡回する領主の衛兵、自分が夢見た平和がそこにあった。
未練はない、と言えば嘘になる。悔いがない、と言えば嘘になる。もっと周辺国と融和を進めておけば、騎士を多くすればよかった、あの時の選択は間違っていた、数えればきりがない。本当は過去に戻って、もう一度やり直したい。
しかし、やり直すという意思そのものが、付き従ってくれた者たちへの侮辱になると気付き、その考えは捨て去った。実行に移すことはないが、時折それが頭をよぎるのは、己の中に未練が燻っているのだろう。仕方ない。人間なのだ。これぐらいはある。
——許せ。
胸中で思う言葉は、誰に向けたものだったのか。
「あっ、見つけた!」
「げっ」
思い返す暇もなく。
獲物の売却のために寄った冒険者ギルドで、見知った顔を見つけて、思わず口から声が出ていた。踵を返しかけるが、それでは売却を済ますことが出来ない。渋々(しぶしぶ)と歩を進め、入口を潜り抜けた。
「ねぇ、ボクたちのクランに入らない?」
「何度も言うが、入るつもりはないよ」
駆け寄って来た女が上目遣いで俺を見詰める。これでこのやり取りは十七回にも及ぶ。一人、魔狼に襲われていた所を助けた縁があるだけで、それ以上の関係など全くない。
くびれた腰に短剣を二本提げ、最小限の装甲の出で立ちから、彼女がクランで斥候を務める者だと分かる。その深緑色のハーフコートに包まれた腕が組まれた。
「君、クランに所属してないのに、なんでそんなに強情なの! 一人がいい、とかいう理由以外でボクを納得させられるなら、今すぐ言ってみせてよね!」
彼女を納得させられる理由など、ない。ただ、己の特殊性を知られたくないあまり、ずっと誘いを断り続けているのだ。
「レオーラ、俺は一人でいたいんだよ」
「だ・か・ら、それ以外って言ってるでしょッ……!」
眼前で短い栗色の髪が跳ねる。
ギルドに併設された酒場に集う他の冒険者たちが振り返るが、いつものやつか、とばかりに視線を戻す。ギルドでの日常と化しているのだ。
プンスカやっている彼女を放っておき、魔狼の死体を、さも腰のポーチから取り出したように演出して、売却を済ませる。売り上げは約千五百エルクトだ。
当面の生活には困らないだろう。
「一人で魔狼を狩れる強さ、それをボクたちがサポートすれば、亜竜だって狩れるかもしれないのに。君は竜の素材には興味ないの?」
「ああ、まあな」
「ええ〜〜〜!?」
下等、上等問わず、竜の素材は差がそれぞれあるものの、高価で売買される。武具の素材や魔術の触媒として利用した場合、逸品が造られたり、大魔術が行使できるなど。下等竜たる地竜といえども、その素材で造られた武具は、ただの鋼の物より性能はよい。
冒険者の誰もが夢見るだろう。
俺以外、という注釈をつけなければいけないだろうが。
「なんでなんでなんで!?」
「うるさい……」
顔をしかめながらギルド会館を抜け、まとわりつくレオーラを押し止めて、ひいきにしている「踊る子鹿亭」で借りた部屋に荷を置き、夕食を取る。トマトスープの素朴な味が身体に染み渡る。古代ではこれほど美味いものはあまり食えなかった。その意味ではこの状況にも感謝できる。
食器を下げて、二階の自室の扉を押し開ける。
窓から差す月明かりが、部屋の中で立つ、黒いローブに身を包み杖を持った一人の男を照らしていた。
少し驚いたが、予想できた事態でもあった。
「どうだい、この時代も中々悪くないだろう? ライルハート」
「まぁな。……デメテル」
俺よりもよっぽど伝説の存在である、|魔術の域をこえた超人(御伽話の魔法使い)。創世の時から生きていてもおかしくない人物。——そして、俺の友。
「何の用事だ? 遊びに来た訳でもないだろうに」
「君に会いに来た、って言うのも嘘じゃあないけれど。一つ、伝えておきたいことがあって、ね。わざわざここまで時空転移してきたんだよ」
世の魔術師が絶句するような事を易々とやってのける。それが伝説の“魔法使い”の実態だった。
「未来のことだから、そう喋っていいものではないけれど、神界が騒がしいんだ。たぶん、またぞろ邪神が動き出したんじゃないのかな」
「あいつ……そう簡単には死んでくれないか」
「邪神を消滅一歩手前まで追い詰めた君も、十分、化け物レベルだよね」
「あいつと同列にするな」
唯一見える口元の口角が、引き上げられている。フードの下の顔が笑っているのだろう。
「と言っても、かなり先の話だよ。心配する事はないんじゃないかな」
「お前の言葉はあてにならない。あの時もそうだった」
「仕方ないだろう? 聖剣を鉄床から抜いたら君は滅びる、っていう予言を聞いた上で、あのとき君はそうしたんじゃないか」
それでも、追い求めたい理想があったのだ。結局、予言通り全ては灰燼に帰したが。
残された今の俺は、燃え尽きた抜け殻に等しい。やる事もなく、変わり果てた世界を、幽鬼のように未練たらしく彷徨うだけ。昔の俺が見れば、どんな反応をするか。きっと叱りつける。
風に揺れた訳でもないのに、デメテルのローブがはためいた。
「そろそろ、人生の目標は定まったかい?」
「まあ、そうだな。平和を乱そうとする邪神にまずは鉄槌をくだすために、とりあえずその日まで生きることにしよう」
「消極的だね〜」
じゃあ、帰らせて貰うよ。最後にそう言い残して、奴の姿が歪み、消えた。
仮りそめだとしても、今を守りたい。
寝間着に着替えて、寝台に転がる。
不吉なことを聞かされたが、友と会えた。その嬉しさを静かに噛み締めて。
気付けば、意識は眠りに落ちていた。




