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この街は、かつてから問題の多い街だった。
暴動が起きたり流行り病が蔓延したり、その流行り病が収束に向かったと思えばまた暴動が起きたり。
喧嘩、強奪は日常茶飯事だし、住む場所のない人や飢餓で亡くなってしまう人も多かった。
私の家だって例外ではない。
私の父親は暴動が起きた際、暴徒と化した人々のいざこざに巻き込まれて命を落とした。
そして私の母親はその翌年、流行り病によって命を落とした。
兄弟の居なかった私はおのずと一人ぼっちになってしまった。
探せばどこかに親戚が居たかもしれない。だけどその当時6歳と幼かった私にはそれを調べる術もなく、ただただ呆然とするばかり。
そんな私を拾ってくれたのは親戚でもなんでもない赤の他人だった。
子供が居なかったというバザルト夫妻に引き取られたのは8年前の事。
おそらく私の両親よりも一回りは年上であろうご夫妻は、私の元に来て言ったのだ。
あなたさえ良ければうちの子になりませんか? と。
心の底から寂しかった私は、何も考えずに頷いた。
悪い人には見えなかったし、もし悪い人だったとしても一緒に居てくれる人が居ればそれだけで良かったのだ。
実際のところ、ご夫妻はとてもとても優しい人達だった。
私達のことを本当の親だと思ってくれると嬉しいだとか、気が向いたらお父様お母様と呼んで欲しいだとか、何一つ強要してくることはなく、全ては「お願い」だから出来ない事は無理しなくて良いと言ってくれた。
だからといって甘やかすだけではなくきちんと叱ってくれることもあった。
お二人は私のことを本当の娘だと思ってくれている。
そして私もお二人を本当の両親のように思っている。
3人で生活し始めてから3年が過ぎた頃、お父様達の遠い親戚だという子がやってきた。
この近所の騎士養成所に通うので下宿させて欲しいとやってきたらしい。
その子の名前はアーベント・クラーター。私より1つ年上の男の子だ。
お兄ちゃんに憧れていた私はすぐ彼に懐いたっけ。
それから暫くは4人での楽しい生活が続いていたのだけど、また暴動の動きが見え始めた。
領主様が私達のような庶民から税を搾り取り、贅沢をしているからだという。
詳しい事はあまり解らなかったが、生活が目に見えて苦しくなっている事はあの日の私にも理解出来ていた。
これは後で聞いた話だが、お父様は小さな商店を経営していたのだけど、そこの商品が奪われる事も多々あったのだそうだ。
家の外から聞こえる怒声、悲鳴、ガラスが割れるような音、私はその全てに怯えていた。
また、誰か死んでしまうかもしれない。私の父のように。
「大丈夫。お前の事は俺が守るから」
「ありがとう、アーくん」
「……うん、アーくんって呼ぶのそろそろやめよ? アーベントって、」
「アーくんじゃダメ?」
「いや、いい」
部屋の隅に蹲る私を見たアーくんは優しく頭を撫でながら声を掛けてくれた。
あの時のアーくんの手のぬくもりは、今も忘れていない。
その暴動が治まったのは、今から2年近く前のこと。
暴動は領主様の死により収束したそうだ。
聞いた話によると、領主様はどこか別の領地の伯爵様に殺されたらしい。
その伯爵様はそれはもう恐ろしい人で、そんな伯爵様が今後この地の領主様になる、とお父様が言っていた。
次の暴動も時間の問題かな……、と、私は思っていた。
しかしそれからというもの暴動も起きなければ流行り病もやってこない。それどころかとても平和な街になっていた。
度重なる暴動や流行り病によって閑散としてしまったこの街に新しいものが出来たのは例の伯爵様が暴動を鎮めて1年程経った頃。
その伯爵様の提案で、屋台というものが作られたのだ。
その屋台というものは柱と屋根程度の簡単な建物で食べ物を売っているところらしい。
そしてお客様は屋台で目当てのものを買って、歩きながら食べたり広場で座って食べたりするらしい。
楽しそうなので行ってみたいのだが、そこには例の伯爵様が鋭い眼光を光らせていて近付けない。
何故なら怖いから。
この家の窓からチラりと姿を見たことがあるのだが、恐らく私よりも頭一つ、いや二つくらい大きい、赤い髪の男性だった。
「アルマ、伯爵様を怖いなんて言ってはいけないよ。あの人は勇者なのだから」
と、お母様は言う。
「……でも、」
怖いものは怖い。
最近、屋台街が軌道に乗ったらしくこの街に活気が戻ってきた。
屋台街から流れてきた人々がお父様の商店に立ち寄ってくれたりして、うちもなんだかんだと恩恵を受けている。
しかし良いことばかりは続かないものだ。
数日前、お父様が腰痛に襲われて動けなくなってしまった。
折角お客様が増えた商店も、暫くは開けられないだろうとのこと。
「少しくらいなら貯えだってあるんだから、暫く安静にしていてくださいね」
お母様はお父様にそう言っていた。
すまないね、と弱弱しく笑むお父様を見た私は、じっとしていられないと立ち上がる。
「ねぇお父様、お母様、私は何か力になれないかしら?」
私だってもう14歳だ、何も解らない子供のままじゃいられない。
「そうねぇ、お父様のお店は専門的なものだからアルマにも私にだってどうしようもないのよ……」
完全に出鼻を挫かれた。つらい。
いや、諦めるにはまだ早い。私に出来ることが何かあるはずだ。探せば何かあるはずだ。
そんな時、玄関の方から音がした。きっとアーくんが帰ってきたのだろう。
「ただいま」
案の定、アーくんの優しい声がする。
「おかえりなさい。ん? 何?」
「お土産。屋台街のたこ焼きだよ」
「やった! ありがとうアーくん!」
アーくんの手から紙袋を受け取ると、その中からは香ばしい良い匂いが漂ってくる。
そして袋を覗き込んだ時、私は閃いた。
そうだ、これだ。これしかない。
私には、たった一つだけ特技があった。
母がまだ生きていた頃に教えてくれたお菓子作りだ。
当時は作り方を教えてもらうだけだったが、今は自分で、それも何も見ずに作れるようになるくらい成長していた。
そのお菓子なら、あの屋台街で売れるのではないだろうか?
屋台街に店を出す条件は、この地に住んでいるという事だけだった。
商品も、食べ物であればわりと何でも良いと聞いたことがある。
なんでも、屋台街はまだ人手不足なので条件を緩くして人を集めたいらしい。
そうだそうだ良い事を思いついた! そう思った私はその日から情報収集に奔走した。
だがしかし、すぐに壁にぶち当たることになる。
「んんん……」
申請書を手に、私は呻り声を上げた。
あの屋台街に店を出すには申請書を提出する必要があると知った。知ってしまった。なんだ、緩い条件だと思っていたけれど、全然緩くないではないか。
何故ならその申請書を提出する先はあの伯爵様なのだ。
提出方法は2種類ある。直接伯爵様に手渡すか、郵便屋さんに頼んで届けてもらうかの2種類だ。
直接渡すのは怖いから郵送にしようと思ったのだが、郵送にすると後日伯爵様のお屋敷に行かなければならないらしい。どちらにせよ伯爵様は避けられなかった。
お屋敷に行くよりは、屋台街というそこそこ近所で手渡ししたほうがいつでも逃げ帰ってこれるので……直接渡したほうがいいよなぁ。
チラりと窓の外を伺うと、そこにはあの赤い髪が見える。
今あの場に走って行って直接渡せば、そう思うのだが、どうしても足が動かない。
私は小さく溜め息を零し、申請書を自室の引き出しの中に仕舞った。
次に伯爵様が来たら、次に伯爵様が来たら、それを繰り返し、結構な日数が過ぎてしまったある日、私はアーくんに声を掛けられた。
「なぁアルマ……最近伯爵様の姿を目で追ってるみたいだけど、お前あの人みたいなのが好きなのか?」
やたら渋い顔でそう尋ねてきたわけだが……、
「違う。違う違う。」
むしろ怖いんです。目で追ってる事は否定しないけれど。しかし最近見慣れてきたようにも思う。伯爵様は滞在時間こそ短いが、結構頻繁にやってくるのだ。
「ならいいけど……」
アーくんはほっと胸を撫で下ろすような仕草を見せた。
私が伯爵様を好きだとアーくんに何か問題でもあるのだろうか?
「ねぇねぇ、アーくんは、伯爵様のこと怖い?」
「ん? んー……あ、そだな。怖いな。だからアルマは近付かないほうがいい」
やっぱり怖いんだ。騎士修行中のアーくんでも怖いんだ。皆が怖いんだから、私だけが怖がってるわけじゃないんだ。
と、何故だか一周回って恐怖が落ち着いた。
翌日、私は早速行動に移した。
とりあえず屋台街へと来てみたのだ。そこにいれば、伯爵様に出会うかもしれないから。
そんな私の読みは当たり、私が屋台街に辿りついてすぐに伯爵様はやってきた。
ここまで来たら当たって砕けるしかない、そう思った私は申請書を握り締めて伯爵様へと駆け寄る。
「あ、あの、」
精一杯大きな声で伯爵様に声をかけたつもりだったのだが、私の口から出た声は虫の羽音よりも小さかった。
もちろん伯爵様には届いていない。
涙が出そうになり、やっぱり引き返そうと思っていると、私の姿に気が付いた屋台のおじさんが伯爵様のほうを見ながら私を指差す。
それに気が付いた伯爵様は、くるりと振り返って私を見下ろした。
赤い瞳に見下ろされた私は、怖気づいて一歩引いたのだが、次の瞬間、伯爵様は少しだけ首を傾げた後こちらへ向かって手を伸ばしてきた。ひぃぃ殺される!
と、ぎゅっと目を閉じるが、特に何の痛みも感じない。
うっすらと目を開こうとしていたところ、手に持っていたものがくいくいと引っ張られる感覚があった。
チラりと片目を開き、自分の手元を確認すると、伯爵様がちょいちょいと私の手にあった申請書を引っ張っていた。
「す、すみま、いや、申し訳ありません!」
うっかり握り締めてちょっぴりくしゃくしゃになった申請書から手を放すと、伯爵様は一度だけこくりと頷いて申請書に目を通し始める。
そっと顔を見てみると、赤い髪と赤い瞳が特長的で、美丈夫とまではいかないけれどカッコイイ人だった。思っていたよりも若く、私と五つくらいしか離れていなさそう。……だけど、やはりとても怖い顔をしていたので、私はそっと視線を下げて伯爵様の靴を凝視することにした。
「一人か?」
「……は、はい?」
「まさか君一人でやるつもりか?」
恐る恐る顔を上げてみると、眉間にくっきりと皺を刻んだ伯爵様が首を傾げている。
「はい、私、一人で……」
「失礼だが、ご両親は?」
「い、居ます」
「じゃあ、そのご両親に相談は?」
「……してません」
「マジか」
腰を痛めたお父様と、その看病をするお母様に迷惑をかけたくなくて、相談なんかしなかった。
申請書についても自分で調べたし、ここまでなんだかんだと一人で突っ走ってきたのだ。
「残念だがこのままでは許可出来ない」
「何故ですか!」
今日一番大きな声が出た。
私のその声を聞いた伯爵様は、一度周囲をくるりと見渡すような仕草を見せて口を開く。
「最近落ち着いてきたとはいえここも治安が良いわけじゃない。子供一人で店を出すのは危険だ」
「私、もう子供じゃありません」
私は俯いて、そう呟く。
伯爵様が言っていたことも理解していたのだが、私は諦めたくなかった。
私だって、役に立ちたい。ただそれだけなのに。