Episode-1〜Paled Death-2〜
古来より人類の天敵として存在する人外の魔物−吸血鬼。
有史以来、人類が遭遇した吸血鬼は2種に大別される。
先ず、真祖。
不死者―ノスフェラトゥ―、或いは貴族と呼ばれる、自然発生した先天的な吸血鬼。超常の存在にして万物の霊“超”。
あらゆる生態系・食物連鎖の頂点に君臨する、「絶対補食者」―。
真の意味での不老不死、不滅不壊である彼らは、自然界―有象無象問わず森羅万象から無限の生命エネルギーを得る事ができ、その為に永遠の生命を約束されている。
だが彼らは周期的に“渇き”と呼ばれる衝動に襲われ、それを癒す為にごく稀に吸血を必要とする場合がある。
先史時代より畏怖・崇拝の対象であった彼らは生け贄として捧げられた人間を吸血し、その“渇き”を満たしていた。
だがそれはやがて思わぬ副産物を生んだ。
吸血を受けた人間の中から次第に、真祖には劣る物の異能と不老不死、そして吸血の性質を受け継ぐ者が現れ始めたのだ。
真祖の吸血に耐性を持つ彼らを“渇き”の糧とする事で、非効率な生け贄を必要としなくなった真祖は、それらを自らの卷属の端くれに加え、手駒として使役するようになった。
人を襲いその血を得た彼らは、そしてまた自らの血を真祖に差し出す為だけの存在であった。
また彼らは真祖と違い、劣化する体を維持再生するために、栄養分としての血液を補充する必要に駆られた。
メトセラ―長生種、或いは長命種と呼ばれる、古今の
伝承に語られ、現在まで広く人口に膾炙された、広義におけるもう一つの吸血鬼の、これが起源である―。
pallida Mors
蒼褪めた死は
aequo pulsat pede pauperum tabernas
荒れ果てた貧者の小屋も聳え立つ王城も、
regumque turris.
等しくその足で、蹴り叩く
E.O.D.
Episode-1〜Paled Death
忙しなく回転を続けるミラーボールが撒き散らす乱雑な光の破片を浴びながら、スピーカーの垂れ流す大音量のロックサウンドにのって躍り狂う若者の群れ。
人目を憚らずそこかしこで交わされる愛の交歓、テーブルに所狭しと置かれたアルコール類、公然と飛び交う違法薬物―ドラッグ。
ここは都心の繁華街から外れた薄暗い裏通り。
大規模な区画整理によって半ば廃墟と化したかつての歓楽街。
そこの一画に居を構えるナイトクラブ、その名は「D’s dining−Dの食卓」。
今宵もブラックライトに染まった室内では、健全な日常生活では到底満たされぬ後ろ暗い欲求をもて余した若者達が、退廃と背徳に彩られた破滅的な饗宴を繰り広げていた。
「聞いてんのか、ダニーボーイ!」
狂乱のるつぼと化しているダンスフロアから少し場所を移したクラブの一画で、不意に激昂した男の声が弾け飛んだ。
「トニーにケン、タカも殺られた!ユージも電話に出ねえ。次は俺達かも知れねぇ!!」
奥のVIP席では、20台前半と覚しき黒人の男が、同席する同じく若い白人男性に向かって声を荒げる姿があった。
大柄な体型を更に上回るだぶついたトレーナーに身を包み、大げさな身ぶり手振りを交えて捲し立てる様は、ヒップホップ音楽や洋画で見掛ける、テンプレートそのままの黒人ラッパーの姿を見ているようだ。
「落ち着けよ、ビリー。あと俺をダニーボーイと呼ぶんじゃねぇ」
対する白人は、切羽詰まった様子の黒人「ビリー」とは対照的な落ち着き払った態度でグラスを仰ぐと、少々苛立った口調で再び言葉を紡いだ。
「何をビビってやがる、俺を誰だと思ってやがんだ?」
すらりとした痩身の長躯を洗練された流行のブランドスーツで包み、瀟酒な小物をさりげなくちりばめた外見は、その優男然とした甘いマスクと相まって、見る者にモード系のファッション雑誌から抜け出てきたかのような印象を与えていた。
だが静かな中にも狂気をは
らんだ鋭い眼差しと血色に欠けた薄い唇からは、どこか爬虫類のそれを連想させる酷薄さと狡猾さが滲み出ていた。
この外見年齢20代前半、優男風の英国籍男性は―しかし普通の人間などでは無かった。
“ダニーボーイ”こと、ダニエル・ライガン。
彼の正体は、人の血液を糧として生きる人外の存在―いわゆる吸血鬼である。
地元ロンドンで、相棒の黒人ビリー・ダンカンと共に数々の悪事に手を染め、札付きの不良−ワル−として周囲に知られていたが、それは飽くまでも人間社会の範疇-レベル-に過ぎなかった。
だが約2ヶ月前の夜に起きたある出来事の為に彼らは、道徳的な意味では既に踏み外していた人間としての生き方を、文字通り、永久に失う事となる―。
―あの日の夜。
いつものように悪事を働き警察に追われた二人は、逃げ込んだ先の路地裏の暗がりで「貴族」による「洗礼」を受け、吸血鬼としての新しい“人生”を歩み始めたのだった。
古今の伝承や創作物で語られてきたように、吸血鬼の犠牲者、つまり被吸血者が即吸血鬼化するとの通説は、一概に真実とは言えない
被吸血者の運命を決めるのは一重に吸血鬼の意思に因る所が大きい。
吸血鬼の吸血目的、それは2種類に分類される。
一つは、補食。
真祖にとって吸血が発作を押さえる特効薬であるのに対し、長生種にとっては血液は必要不可欠な主食と言ってよい。
吸血の際被害者は一種の催眠状態に陥り、その間は苦痛を感じる事はなく、事後の記憶は失われる。
―通常真祖は長生種からのみ、それもごく稀にしか吸血を行う事は無い。
長生種にしても、真祖に比べその頻度は高いと言え、摂取する血量は致命的なものでは無く、被吸血者への影響も軽い貧血を感じる程度で済む。
そしてもう一つが、隷属。
対象を自らの手駒とする事を目的とした吸血行為を差し、真祖のそれは俗に“洗礼”と呼ばれる。
長生種でも真祖から直接“洗礼”を受けた者を特に上位種と呼ぶ。
対してそうでない者、上位種以降によって吸血鬼化した者は従属種と言い、前者と後者の間には埋めがたい圧倒的な実力の差が存在する。
また真祖が長生種にそうであるように、上位種は従属種に対して強力な支配力を行使することが出来る。
吸血行為こそが吸血鬼を吸血鬼たらしめる所以であり、また存在意義の如く語られているが、一番誤解されている点は、補食のみを目的とした吸血では、被害者は吸血鬼になり得ないと言う事実である。
一方、死に至るまで完全に血を吸い付くされた被害者は、死後グール−屍食鬼−と呼ばれる存在となり、
自我を失い、ただ本能のままに夜毎血を求めさまよう怪物と成り果てしまう。
しかしこれは俗に“血に狂う”と言われる、分別を失った吸血鬼が行う賎しい行為とされ、同族からも忌避されている―。
かつては見境無く行われた吸血行為も、時代の変転により、人類との要らぬ軋轢を避けより多くの供給現を得る道を模索した結果、現代にあっては、手当たり次第に隷属を増やし、或いは対象を死に至らしめる程の必要以上の吸血を行う者はほぼ姿を消して久しいと言えよう。
だが未だに旧態依然とした封建主義的な意識が根強く残る吸血鬼の世界に於いて、隷属の増加は勢力の拡大と同義でもある。
その為、吸血鬼の中には、真祖長生種を問わず徒に吸血を繰り返し、自らの権威の増大を図るものが少なからず存在する事も、また事実である―。
そうした野心ある吸血鬼はいつしか、隷属と補食の見境がつかなくなり、ただ血に酔い血に狂う、際限無い吸血鬼増殖と言う呪われた悪循環を生み出す要因となるのだ。
不幸にも、ダニエルとビリーに洗礼を与えた貴族はそれに該当する野心家であった。
野心的な吸血鬼は得てして彼らのような、社会的には忌避されるような、いわゆる悪党を隷属に選ぶ事が多い。
何故ならそう言った人間は心の闇に突け込み易く、使役が容易となるからだ。
幸いなことに、そして最悪な事に、善良な一般人からしたら災厄でしかないその出来事を奇貨として、間もなく二人は吸血鬼となって得られた数々の“特権”を、己の欲求と欲望のまま、存分に行使し始めたのだった−−。
それまでせいぜい、人間の犯罪止まりだった二人の悪事が、人的対処能力を越えるテロレベルにまで発展した事は、善良なロンドン市民にとって悪夢以外の何物でもなかった。
かつては忌避の対象でしかなかった官権の手を、もはや恐れる必要が無くなったダニエル達の異能は、夜の街に猛威を奮った。
気に入らない者を片っ端から血祭りにあげ、事情を知らない職務に忠実な警察を返り討ちにし、男女問わず手当たり次第に吸血を繰り返し、哀れな被害者を自身の徒党に加えていった。
事態を重く見た英国政府と英国教会は、彼らを討伐する為ギルドにハンターの派遣を依頼する事となる。
カトリック教会と違い、互いに反目し成り立ちも吸血鬼との戦いの歴史も浅い英国教会には、吸血鬼専門の対処機関が長らく存在していなかった。
そこで同国における歴史上唯一の吸血鬼との戦闘経験者にしてかつ勝利者である、かの有名なエイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授の協力を仰ぎ、吸血鬼の研究と対処を目的とした非営利の官民混成の団体が設立された。
表向きは認証制の吸血鬼文学愛好者クラブを装った対吸血鬼の為の調査・研究団体「ヴァン・ヘルシング財団」―通称“ギルド”の誕生である。
ギルドの活動目的は、伝承や過去に発生した事例に基づく吸血鬼の生態の調査研究、及び被害の防止・根絶―その為の人材の育成。
魔術及び錬金術を中心としたオカルト分野に科学的な考察を加えた各種研究の成果・知識を身に付け、更に政府機関―軍・警察からの実戦的訓練を受けた対吸血鬼戦闘のプロフェッショナルをハンターと呼ぶ。
ハンターに求められる資質や資格は、―犯罪者でない事を前提条件として―対吸血鬼戦闘に特化した知識と実力のみであり、それ以外、例えば宗教・人種・国籍・性別・年齢は一切問われない。
少数のフリーランサーを除き、ほとんどのハンターはギルドに所属しており、その仲介のもとに依頼を受け仕事をこなし、引き換えに報酬を得ている。
因みに、彼らの身分はあくまでも民間人である為、職務執行に対する強制は無い。
依頼を受けるか否かは、ハンター本人の意思に一存される。
それでも彼等はギルドによって、過去幾度も吸血鬼に関わる事態解決の為、国内のみならず世界中の様々な場所(主に非カトリック国)へと派遣され、人外との戦いを続けて来た。
その活動範囲は非キリスト教国にも及び、今日に至るまで多くの国々や個人、団体から評価を受け、支援を得ている―。
今回彼らを討伐する為、英国政府の依頼によりギルドを通じてベテランのハンターが複数回差し向けられた。
だが、名のある貴族によって上位種となった二人の敵では無く、彼らはことごとく返り討ちに遇ってしう。
そんな吸血鬼として我が世の春、その絶頂を謳歌していた二人が、慣れ親しんだ祖国を捨て、わざわざ極東の島国へと渡って来たのには、ある理由があった。
そのきっかけとなった情報をもたらしたのはビリーだった。それは―。
―二人の傍若無人振りに業を煮やした英国政府が海外からある凄腕の、フリーラスのハンターを呼び寄せた。そのハンターによって、彼らに洗礼を施した主君とも言うべき、あの貴族が討たれたと言う衝撃的なものだったのだ。
吸血鬼か否かはともかく、もとより二人は同胞の死を痛むようなセンチメンタリズムは欠片も持ち合わせていない。
ただ、不滅のはずの真祖が倒されたと言う恐るべき事実だけが、彼らの本能にかつて無い警鐘を鳴らし続けていたのだ。
吸血鬼の世界は、社会的には封建主義だが個人においては自由意思を尊重する。
だが下位の吸血鬼は深層心理のうちに、上位の吸血鬼の意識下−テリトリーから外には出られないと言う暗黙の“縛り”が存在する。
それから解放されるのは、上位の吸血鬼が何らかの理由によって無力化された場合による。
その時初めて“縛り”は消滅し、同時に権威の序列が繰り上がるのだ。
彼らに洗礼を与えた貴族が倒され、それにより“縛り”から解放された事を二人はこれ幸いとし直ぐ様出国手続きを取り、ロンドン空港からの夜行便を乗り継ぎ、元米軍人だったビリーがかつて赴任していたと言う極東の島国・日本へと落ち延びていったのである―。