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Episode-0 〜Walprugis Naight〜百鬼夜行

 濃密な闇が支配する無明の空間に、硬質の足音が規則的に反響する。


 こつり、こつりと、時計の針そのままの正確さで刻まれていた歩調が、不意にその歩みを止めた。



 「そこにいるのは解っている。――出てこい」


 一拍置いて紡ぎ出されたのは、若い男の声。抑揚に乏しく、けして大きく無いはずのそれは、しかし抗い難い鋭さを持って静寂を穿った。


 都心の片隅に佇むとある廃ビル、地下駐車場の一角――何ヶ月も前に閉鎖されて以来、朽ちるがままにされているこの建造物は、その不気味な外観と立入禁止の看板が奏功してか人足も途絶えて久しく、今や「幽霊ビル」などと言う不名誉な称号を得て、近隣住民の人口に膾炙している。

 

 上記の理由からこのような場所を訪れる人間は皆無に等しく、いたとしてもそれは面白半分のチンピラか、オカルトマニアか、警察に追われた犯罪者ぐらいが関の山だろう。

 いずれにしてもまともな人間で無いことは確かだ――。


 そう言った意味では、廃墟への来訪や不可解な呼びかけとなど言った男の行為は、常人の思考から著しく逸脱したそれに違い無かった。


 だが、男の誰何(すいか)からおよそ10秒程を数えたその時。

 それまで沈黙をもって男への返答としていた闇の中に、突如として異変が生じた。



暗黒の淵に沈んだ地下駐車場の一角。そこから滲み出るものは、人のそれとは異質の、物陰から獲物を窺う肉食獣にも似た獰猛な気配。


 漆黒の帳の向こうで蠢く、何か−−。


 圧倒的な禍々しさを携えて、暗がりの中に佇む、人為らざる異形の存在。



「準備はいいか?じゃあそろそろ始めるぜ−−」


 再び紡がれた男の声は、飽くまでも平静に徹している。

 刹那、それに応ずるかのごとく、闇が咆哮した−−。







 漆黒に塗り潰された大気を震わせ、見えざる鉤爪が烈空の唸りを上げて振り下ろされる。


 轟音。そして衝撃。


 だがその一撃は声の主に届くに至らず、盛大に刔り取られたコンクリートの破片と、粉塵だけが虚しく宙を舞う。



「灰は、灰に――」


 不意に、何処からともなく男の声が響く。


 明かな驚愕、そして動揺の気配を纏いつつも、異形の存在はすかさず発声源目掛け追撃を放つ。だがそれもやはり獲物を捉えるに至らず、徒に空を切り裂くのみ。


「塵は、塵に――」


 異形の猛襲を余所に、男の声は尚も紡がれ続ける。近くもなく遠くもなく、距離感を感じさせぬその声は、

だが確かな存在感を持って淀みなく闇の中へと響き渡った。

 得体の知れぬ相手との対峙に、異形の苛立ちと焦燥が頂点に達したかに思えた、その時。


それまで完全に闇の一部と化し、声のみでしか認識できなかったはずの男の気配が、突如実体を伴って動いた。



 直後、凄まじい絶叫が大気を振るわせ、迸しる水音と共に、重々しく湿った落下音が地表を叩く。


 手負いの獣じみた呻き声を上げながら、異形は血走った双眸で周囲の闇を睥睨し――やがて、驚愕と共に認識した。


 いつしか自身の眼前にまで、相手の接近を許していた事に。


 そして、自身の腕を斬り飛ばした何かが、その者の手中に握られている事に。



「土は、土へと−−」



 異形に向かい、悠然と歩を進めながら、男は更なる言葉を紡ぎ出す。


「灰は、灰へと−−」



 その声を聞きながら、異形は、漸くにして理解し始めていた――戦慄とともに。


 眼前の男は、矮小な獲物でなければ、無謀な挑戦者でも無かった。

 この男は、最初から、絶対不可避の死を行使する存在−殺戮者或は処刑人として、自らと対峙していたと言う事実を。




 人で在ることを捨て彼岸の世界へと足を踏み入れて以来、久しく忘れ去っていたはずの、ある感情。

 生物の本能に根差した、最も原始的なその純然たる感情の名を、彼は今、思い出していた。



−−恐怖を。



彼はそれを与える側へと回ったはずだった――。





「塵は、塵へと−−」


音も無く男が跳躍し、暗闇の中、鋭い刃風が疾走る。不可視の斬撃が連鎖し、絶叫が大気に炸裂する。


「闇より生まれし者は、闇へと−−」


断末魔の咆哮に、地響きを思わせる轟音が重なり、そして−−。


「故に、死せざる者よ。我、汝に永遠の安らぎを与えん−−」


−−沈黙。


「−−Amen」




 やがて地下駐車場がそれまでの静寂を取り戻すと共に、男は再び単調な靴音を響かせながら、闇の向こうへと遠ざかって行った−−。






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