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また間が空いてしまいました。遅筆なため、何とも情けないばかりです。キリの良いところまでの更新となります。
気付くと店からは客は居なくなっていた。もしそれが、僕が原因ならば店には本当に申し訳ないことをした。
「どうもどれもこれもグッとこないのよね」
店内の服はあらかた物色したが、メリーさんの目に適う物は見つからなかった。
「良いのが無かったらまた今度、日を改めて……」
無理に今日買う必要は無いのだ。他の店もある、僕がその旨を伝えようとしたとき、
「―――あっ」
漏れ出す吐息は、何処か力の抜けたものだった。
「どうしたの―――あぁ、なるほど」
入って来た時は気付かなかったが、入り口の真上、そこに設置してあるショーケースに一つの人形が佇んでいた。
その人形は黒い着物を身に着けていた。黒檀の滲むような闇に燃えた蝶が舞っている、美しいというより怖さが際立つその着物。僕は思わず身震いしてしまった。あの着物を見た瞬間、体に寒気が走ったのだ。例えるならそれはそう、夜中に感じる霊の気配に近かった。……まぁ、そもそも僕は霊など見たことはないが。
「あれ、気に入ったの?」
その人形はずっとそこに置かれていたのか、ケースに僅かだが埃が溜まっていた。まっすぐ前を見据え、店内を見下ろす人形はすまし顔でポーズを取っている。
「そうね……うん、気に入ったわ。それもかなり。正直、今はアレ以外考えられないわ」
彼女がそう言うならそれに従うしかないだろう。僕は店員に頼み、人形を降ろしてもらった。ただ、その店員も僕の事を「イっちまってる」人間のように見つめてきた、勘弁してくれ。
値札を確認すると払えない値では無かったのでメリーさんに確認を取り、購入を店員に告げた。着物を剝かれていく人形、携帯電話から申し訳なさそうに、
「ごめんなさいね、その服が気に入ったの。貴女もまた素敵な服を着せてもらってね。あと……そんな強がった顔よりも、貴女は笑顔のほうが素敵じゃないかしら?」
謝り、アドバイスしていた。生きる『都市伝説』、超常の存在であるメリーさんにしか見えない世界があるのだろうか。
帰り道の電車。僕の自宅に近づくにつれて車内の人影は消えていく。ごとん、ごとん、と一定のリズムで刻まれる音と夕陽の温かさはどうにも僕の眠気を誘ってきて困る。
メリーさんを前に抱き、ぼんやりと見つめる。ウェーブのかかった金の髪はゆるゆると流れ、僕の手を撫でた。その優しい感覚に、どんどん意識が遠ざかっていく。
意識が断続的に途切れる曖昧な世界で、確かに僕は聞いた。メリーさんの「ありがとう」という呟きを。
「まったく、私が何度起こしても起きないのだから、仕方ないわ。遅くまで本を読むのをこれからは控えるのね」
僕はメリーさんにお小言を言われながらすっかり暗くなった住宅街をトボトボと歩いていた。結局僕はあの後、盛大に寝過ごしてしまい、行き着く所まで行ってしまった。急いで引き返してきたが、もうこんな時間。予定を大幅に過ぎている。
「そうは言っても、ほら、僕はそのぐらいしか楽しみが無い人間だから。君も知ってるだろ?」
「えぇ、知ってるわ。一度、本が崩れてきて私を生き埋めにするぐらいだから。もっと部屋を整理しなさいな」
「いや、それは無理。そもそも本棚を置くスペースが無い。本棚を置いたら本が置けなくなる」
さすがのメリーさんも呆れてしまい、僕に何も言わなくなってしまった。僕自身、あの資料の山はどうにかしたいのだが、もう少し大きな部屋に引越しでもしない限りは無理だろう。
「……ねぇ。この私が言うのもなんだけど、どうしてそんなに妖怪が好きなの?」
その質問は難しい、僕は少し考え、唸り、想いを馳せ、
「分からない、かな」
答えた。携帯電話の向こうから溜息が。
「いやっ! そもそも妖怪が好きなんじゃなくて、何て言えば良いんだろう、「人じゃないモノ」が好きなんだと思う。神話も大好きだし、民話も好きだし、胡散臭い都市伝説も。僕自身、その理由は分からない。好きだから好き、としか言えないなぁ……」
言われてみれば、きっと僕がこうなってしまった起点があるはずなのだ。だが、それが分からない。物心つく前から幽霊や怪物が好きだった事は確かだが……。
「じゃあ、私に良くしてくれるのはどうして? 私が『メリーさん』だから?」
不思議な事を訊ねるものだな、と訝しがる。何かあるのだろうか。
「うーん、それは……違うかな。僕は割りとメリーさんに助けてもらってるし、まぁ、その、何だろう……一緒に居てほしいというか、あ、いや……」
やけに恥ずかしくなってしまい、歯切れの悪いものになってしまった。思わず空を見る。濁った空の層が星明りを遮っているのか、くすんだ闇しか見えない。
「あっ、あら、そうなの……ふーん、そうなんだー……」
きっとメリーさんは意地悪くニヤニヤと笑みを浮かべているのだろう。どうしてこんなに辛い目に遭わなければいけないのか。僕はそのままメリーさんの「ふーん」や「ウフッ」という生暖かい独り言を聞きながら帰路を急いだ。
家に着くとすぐさまメリーさんを着替えさせる。再三、「注視しないように」と釘を刺されたのでそっぽを向いて手早く服を着替えさせる。そうは言っても一度、僕は彼女の身体を隅々まで見ているのでこんな事をさせても意味が無いと思うのだが、彼女としては如何ともしがたい問題なのだろう。
「……はい、終わった。多分、これで良いとは思う」
着物を誰かに着せるなど今まで生きてきて一度もしたことがないので、明確な答えが分からない。ただ、メリーさんは何となく知っているようだったので彼女の命令通り着せてみたが、これが何とも様になっていた。
陶磁器の如き白い肌が着物の黒で映え、赤い蝶は彼女の髪に止まっているようにも見える。金枝に止まる燃える蝶、碧い瞳がそれを統べ、まさしくその姿は人以外の何かだった。
「あー、こほん。こういう時、男性は女性を無条件に褒めるものよ?」
見とれて言葉を失っていた僕に業を煮やしたのか、わざとらしく咳をして注意を向ける。確かに、そうかもしれない。
「よく似合っているよ。僕としても鼻が高い」
「はい、ありがとう」
喜んでくれているならそれが一番だ。実際、絶妙なバランスで調和しているその姿に、僕は存外に驚いた。まさかここまで似合うとは思わなかった。
「服を着替えるなんて何時振りかしら。やっぱり良いものね、こういうのは」
「次はいつになるか分からないけどね。一応、こっちも取っておくから」
肩を竦め、ぼろぼろの服を畳んで箪笥にしまう。人形の服は思っているより数段高いものだった。これはほいほいと気軽に買えるものではない、何せ、僕の一月、いや二ヶ月分の食費がふっ飛んだのだから。
「いえ、私にはこの一着で充分だから。あなたは、あなたの為にお金を使いなさい。私にだなんて、ドブに金を捨てるようなものだから」
「ははっ。でもまぁ、メリーさんに何かしてあげるっていうのは僕も楽しいし、ね」
何となく、メリーさんの言いたい事が分かってしまった。だが、それを言及する勇気など無く、ただぼやけた笑みを浮かべる事しか出来なかった。
「黒賀、何かお前……変わったなぁ」
「ん、そうか?」
小泉に誘われ、学食の蕎麦を啜っていると対面に座った彼が腕組みして深刻そうに唸っている。
「そもそも、以前なら俺が誘っても乗りもしなかっただろ? それがお前、二つ返事でついて来て、俺の話に眉を顰めない。どんな心境の変化があったのか、友人としては気になるわけだよ!」
「僕らが友人? 初耳だな」
「お、そうそう! それでこそ黒賀大先生って感じだ! ……で、実際何かあったのか?」
身体を前に乗り出して来た小泉。僕は目線を隣の座席に置いてあるバッグに向け、
「覚えが無いな」
そう答えた。
小泉と別れ、バッグを背負って図書館へ向かう途中、僕は小泉の言葉を思い返していた。確かに、僕は変わったのだろう。自分で自覚できるほど、心中は穏やかだ。以前はどうしてあれ程怒りっぽかったのか、今でも分からない。
きっとそれは、彼女のお陰だなと心の中で礼を述べておく。まさかこの僕が他者からの影響で変わるとは思わなかった。
別に、他者を見下している訳ではない。自分は人間関係を築くのも保つのも苦手だ、だから、人との縁は希薄だと思っていたし、そうしてきた。それがまさか、「人以外」のモノと縁を持つ事になるなんて、思いもよらなかった。
「柳田教授あたりは笑いそうなものだけどな」
禿頭を撫で回して笑う好々爺の姿を思い浮かべ、自然と頬が緩んだ。あの人は何があっても泰然自若と自分のペースに従いそうだ。
ペースに従う、と言えば、僕も彼女のペースに従わされているのだろうか。まるで彼女は僕の保護者のように振舞っている。朝食を採らないと説教、昼はもっと愛想良くしなさいと駄目出し、夜は夜で歯を磨け腹を冷やすなとお小言。喧しいとは思うが、相手は『都市伝説』だ。なら、従うしかない、そう、従うのが……一番だ。
ポケットの中で携帯電話が震える。取り出すと、いつものように画面には何も映らない。いつものように通話ボタンを押し、いつものように耳に押し当てた。
「私、メリーさん。誰が何を笑うのかしら? とても気になったのだけれども」
そしていつものようにメリーさんが話しかけてくる。
「いや、何でもないよ。うん本当に」
「ふぅん……まぁ、いいわ。図書館まで雑談に付き合ってあげてもいいわよ?」
彼女の誘いを断るとロクなことにならない。出来ればもう、「女性をどう扱うべきか」という講釈はご遠慮したい。ここは僕が気をつかうべきなのだろうな、とお願いすることにした。
「ありがとう。今夜の夕飯についてだけど――」
「――待って! 何か……変じゃない?」
突然の大声に携帯電話を耳から離してしまったが、確かにおかしい。いつもは人通りがなく、寂れた静かな道なのに、何処からか大人数で騒ぐ声が聞こえてくる。声は……表通りからだ。
顔を上げると、並び立つ家屋の向こうから黒煙が湧き立っていた。上がって上がって、空を埋め尽くすドス黒い煙は、間違いなく……。
「火事、ね。ちょっと気になるから行って見てくれない?」
「野次馬根性はいただけないんじゃないか?」
「いいから! 早くしないと刺すわよ!!」
強い口調に、言われるがまま僕は裏通りから這い出て、人気のある表通りに出た。
いつもなら車が走り、せわしなく人が行き交う道が、今は違う理由で人を集めていた。そう、それはメリーさんの言う通り、火事で集まった野次馬たちだった。火の元は良い感じに寂れ、何となく哀愁漂う小さな百貨店だった。
百貨店の周りに集まる人たちはぼんやりと燃えていく建物を眺めている。商店街に打ち勝ち、一時代を築いた百貨店も、炎には適わない。黒く汚れていく窓に、もはやあの時の輝きはない。その窓のくすみは、ここに居る野次馬たちの目にも似ていた。
野次馬の様子から、逃げ遅れた人はいないようだ。そりゃそうだ、そうでもなかったらこんな風にみんなぼんやりとしていないだろう。彼らにしてみれば、これも日常を非日常に変える催し物にしか過ぎないのだ。
「悪いけどメリーさん。僕は他人の不幸で心を満たすことが出来ない、とっとと此処から離れていいかな?」
「……………………」
僕の問いかけに、メリーさんは無言だ。こんな胸糞悪いところには一秒たりとも居たくない。ここはすごく、気分が悪くなる。
「なぁ、メリーさん……」
待ちきれなくなり、再度急かすと、
「――――いた、やっぱり! 四階に男の子がいるわっ!!」
眩暈を感じさせるような言葉に、僕は言葉を失ってしまった。何で? いや、どうして? あらゆる疑問がダース単位で襲い掛かってくる。いくらなんでも急すぎる展開に、脳が追いついていかない。
「え、あ、いや、それ……本当に? だ、だって誰も……」
どうにか自分を取り戻した僕は舌を縺れさせて反論しようとしたが――
「だ、誰かアタシの息子を知りませんかっ!? 大悟って、帽子を被って……!!」
――あぁ、ちくしょう。今、信じてしまった。メリーさんの言うことを信じてしまった。一度信じてしまったらもう駄目だ。僕はメリーさんを疑えない。溜息を一つ吐き、恐る恐る訊ねた。
「火が回るまでにその子供が助かると思う?」
想像通り、そして答えは案の定。
「無理でしょうね、消防車が来るまでに建物はともかく、人は焼け死ぬわ……私の見立てではの話だけど」
再度溜息。何てこった、そんな事を言われたら――もう、僕が助けるしかないじゃないか。
「すいません! これ、お願いできますか!?」
隣に居た中年の男性にメリーさんの入ったバックを半ば強引に押し付けた。
「えっ!? あ……ちょっ、ちょっと!?」
男性は豆鉄砲を食らった鳩のように驚いていたが、こうなったら一分一秒が惜しい。説明もしないでそのまま駆け出す。
野次馬を掻き分け、ぽっかりと開いた空間……デパートの前へ転がり出る。見上げる建物からは一見すると炎は見えないが、隙間からは黒い煙が洩れ出ている。
「何でこんな事に……でもまぁ、仕方ないよなぁ」
間の抜けた口調なのは余裕があるのか自信があるのか、はたまた自暴自棄による諦めか。僕自身にも分からない。正直、運動能力には自信はない。むしろ平均より下だ。きょろきょろと周りを見渡し、
「映画みたいに都合よく水なんて置いてないか」
バケツをひっくり返して頭から水を浴びるのがこういう時のお決まりだが、この世界の神様はそこまでサービスが良くないらしい。僕はハンカチを口に押し当てて、正面玄関へ向かう。そこは逃げるときに開かれたのだろう、雨雲にも似た薄い灰色の煙を垂れ流し、大口を開いて僕を待ち受けている。さながらその光景は黄泉への往路のようだ。
(あー、やっぱり怖いかもな。うん、怖い。臆病だしな、僕は)
一度振り向き、抱えられている自分のバッグを見つめる。それと同時に、野次馬たちの好奇の目線にも気付いた。彼らの目からは僕を止める意思は感じられなく、ただただエンターテイメントを期待する下卑たソレしかなかった。
その全てが不純物。いつもなら怒りを誘発させる起爆剤である視線も言葉も、今の僕には届かなかった。
「必ず、帰ってくるから」
果たして僕は、誰を安心させようと思って、こんな事を言ったのか。その答えを此処へ置いていくように、一思いにデパートの中へ転がり込んだ。
次回の更新にて完結です。