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後で、修正するかもしれません。
僕の住んでいるこの辺鄙な町にもお隣の町にも、メリーさんが着るような服が売っている訳が無い。僕が見当を付けた最寄の街、それは関東有数の電気街だった。
以前に比べたら敷居が低くなり、今では沢山の人が集まるようなった街、そこならメリーさんの服も見つかるだろう。財布には滅多に会う事がなくなり、顔を忘れかけていた諭吉さんたちもいる。これなら大丈夫なはずだ。いつもなら盗まれても痛くない財布だが、今だけは貴い。盗まれる事がないよう、ポケットに押し込んで雑踏の中へ向かって行く。
こんな暑い日にも係わらず、この街は人で溢れかえっていた。聳え立つビル群には、この夏、人気を集めたと思われるアニメやゲームの看板が所狭しと備え付けられている。
大音量で垂れ流されるのは音楽だけじゃない。店員の呼び込み、メイドたちの挨拶、ゲームのPV、津波に襲われるようなこの感覚を僕はそれなりに気に入っていた。
誰も彼も己の欲望に忠実で、他人を気にすることなく動き続けている。僕という存在を気に留めることもなく、足早に往来を行き来する。
「ん……?」
携帯電話へ着信が。ポケットから取り出すと、それはメリーさんを示すものだった。この雑踏で電話に出るのも忍びなく、ビルの隙間に潜り込む。
「はい、もしも―――」
「暑いわっ! しかも暗いし煩いしせまぁぁぁぁぁい!!」
キーン、と鼓膜が震えるほどの大声で怒鳴られ、僕は思わず受話器を耳から離してしまった。
「何なのもう!? これが淑女に対する扱い!? しかもここの空気も割と最悪っ!!」
耳から離しても声が聴こえてくる。余程、気に喰わなかったようだ。急いでバッグを開けると、
「ぷっはぁ……!」
如何にも苦しんでいたような吐息。そして荒い息で呼吸を続けるメリーさん。バッグの中に鎮座する西洋人形は眉一つ動かさないが……。
「―――何よ? 何ならあなたもこの鞄の中で一時間近く揺られてみる? しかも轟音と湿気と暗闇っていうおまけつき。きっと価値観変わると思うわよ」
「いや、メリーさんが一緒じゃないと服を決められないし……」
「だったらその時私を呼べばいいじゃないっ!!」
そんな滅茶苦茶だ。そもそもメリーさんからの電話は受信できるが、僕からは電話することはできない。彼女からの電話は履歴にも残らないのだから。
どうも僕は怒られてばかりだ。彼女の言い分も理解できる、僕の落ち度も理解できる、すなわち―――僕が謝るべきなのだろう。
「ごめん、メリーさん。もっと気遣うべきだった。悪かったよ」
これが他の人物なら食って掛かっていただろう。だけど、僕は謝った。心には怒りなどこれっぽっちも沸かない。僕の心を燻っていた『怒り』は何処へ行ってしまったのだろうか?
「……まぁ、許してあげない事もないわね反省してるなら。そうね、何をしてもらうかなぁ?」
何か嫌な予感がする。往々にして、この展開はいただけない。それはもう、受話器から洩れ出る彼女の愉しそうな鼻歌からヤバイ気しかしない。
「そうだ! じゃあ折角だし、私を抱いていくってのはどうかしら? ――電話したままでね。私は軽いから片手で抱けるでしょう? さ、優しく……ね」
僕の意思を問うことなく、決定されてしまった。僕が今さら何を言ってもそれは『約束の反故』したことになるのだろう。
(これが”お転婆”ってやつなのかな……)
どちらかと言うと”お子様”という言葉のほうが似合いそうだが、そんな事はおくびにも出さないで彼女を左腕でしっかりと抱き締める。無論、携帯電話は耳に当てたままだ。
「さぁ行きましょう! こうして白昼堂々歩ける日が来るなんて思わなかったっ!!」
何か、『奇跡的に死刑が免れて釈放された重罪人』のような台詞を謳うメリーさん。彼女の喜びとは裏腹、僕はある事を心配していた。
(ここは”そんな事”も許される街だ。道にメイドが立って、アダルティな広告を前面的に押し出す街だ……! 人形を抱いて携帯に話しかける男の一人や二人、さもありなん!)
己を勇気付け、日が差す大通りに飛び出す。
「あらー、眩しいわね」
メリーさんの暢気な言葉。一瞬、ギョッとなって僕を見やる人々。引き攣った笑顔で「どうも……」と挨拶する僕。
永遠に続くとも思われた膠着、だがそれもすぐさまその街の『日常』に馴染んでしまった。僕の思ったとおり、この街は僕らを受け入れた。
「ふふ、みんな私の美しさに息を呑んだようね。あなたを見る目も羨望と嫉妬に狂ってたわよ?」
きっとそれは驚愕と拒絶だろうな。
「さ、あなたはもう少し私を衆愚たちに見せびらかしたいかもしれないけど、この日差しは乙女には厳しいわ。早く私の服が売っている店まで行きましょう?」
自信満々な声に後押しされ、僕は人形専門店まで歩を進める。駅からは分かりにくい場所に位置するが、この街の構造ならそれなりに詳しい。すぐ着けるだろう。
ゆらゆらと揺らめく陽炎を踏みつけていく人々を眺めながら、歩く。やはり人々からの奇異の目線は躱すことは出来ない。
「……ねぇ、メリーさん」
「あら、何かしら? この街は面白いわねぇ。見てる分には退屈しないわ」
きっと僕らの存在もその”面白さ”を成り立たせている一因なのだろう。
「やっぱりみんな僕らを見ているような気がするんだけど……」
直接、「原因はあなたです!」とは口が裂けても言えない。メリーさんが超常現象そのものだからとかそんな理由じゃない。これはきっと……。
「仕方ないわね、良いアドバイスをあげるわ」
ふふん、と鼻を鳴らすメリーさんは得意げだ。今日の彼女はいつになく上機嫌だ。それほどまでに服を買ってもらえるというのは『女性』にとっては嬉しい事なのだろうか?
「と、言いますと……?」
「デートだと思いなさい! これは私とあなたのデート! そうすれば緊張するのも自意識過剰になるのも当然でしょ? もっと気軽に、楽しくね?」
「……その理屈はどうだろうなぁ」
だがしかし。これは割り切るべきなのかもしれない。この街で僕が知人に会う可能性は皆無だろう。言わば周囲の人々は「もう二度と会うこともない」人々だ。僕はメリーさんという人格を相手にしているのだ、イカれた電波野郎じゃない。僕の場合はちょっとした特殊な事情があるのだ、そんな点も考慮すると僕の行為は全くおかしくない。
自己正当化も済み、気持ちが切り替わった時、メリーさんが僕に質問をしてきた。
「何でこの街はこんなに……えーっと、騒がしいの? わざわざテレビを表に出すなんて近所迷惑だと思わないのかしら」
「あー、この街は……というかこの周辺はそれが普通なんだ。テレビはアレだよ、ゲームの宣伝。この街に来る人たちは、この喧騒を求めてるんだ」
「ふぅん。どの時代も物好きがいるのねぇ。祭りでもあるのかと思った」
もしかしたらメリーさんは随分と年上なのかもしれない。果たして何時ほどから『都市伝説』となったのか。
(『物の怪になるには百年』という話があるけど、まさか……)
以前クギを刺されてから彼女にはプライベートな質問をすることを避けている。それは”恐怖”による呪縛ではなかった。
「あら、あの服……」
何か、と物思いに耽っていた顔を上げる。そこには、行き交う人々たちにチラシを配っているメイドが居た。いや、正しくは『メイドのような』服を着た只の女性だが。
「ん? メリーさんはああいう服が好きなの?」
「え、違うわよ。服は好きだけど、あの服は好みじゃないわ」
その返答に「じゃあ何で反応したんだ」なんて僕が言える訳も無く。
「――服ってね、見てるだけでも楽しいの。想像するのよ。この服は私に似合うか、友人には似合うか、似合わないならその違和感の原因は何か。ほんの少し、自分探しに似てるわね」
どうやら僕の疑問に答えてくれたようだ。何で分かったのだろう?
腕に抱かれたままのメリーさんをチラリと見やる。太陽を浴びて宝石の輝き湛えた瞳は、全てを見透かすように僕を射抜く。それは――そう、どこか僕の祖母のソレに似ていた。
「あなたはね、『どうせ僕の考えを理解出来るヤツなんていない』ってお高く留まっているけど、それは子供が駄々を捏ねているのと同じよ。誰かに甘えているだけ」
ドクン、と鼓動が高鳴る。「何故そんなことを?」と思うより早く、僕は思わず反論していた。周囲に人が溢れかえっているのにも係わらず、堪える事が出来なかった。
「それで損するのは僕だけだろ! 僕だけが損するなら構わないだろう!? 何で”僕が”他人に合わせてやらないといけない!? 間抜け一人一人にご機嫌を取ってやるぐらいなら僕は駄々を捏ねて無様に泣いてたほうがマシだ!!」
視線が集まる。だが知ったことか。胸から燃え盛る炎を感じる。僕の心を舐めるその火はあっという間に僕の主導権を握ってしまった。
「だから今までずっと、そうして一人で居たの? じゃあ思い出して。何で私を拾ったのかを」
「それは……」
言葉に詰まる。さらに激しく燃えようとしていた炎は、解答を求めて暴れ狂う。それは渦を巻いて僕の心を焦がすが……。
(何でだ? 何で僕はメリーさんを受け入れた?)
記憶を遡ろうとする。そうすると、燃え立っていた炎も鳴りを潜める。『思い出す』という記憶を整理する行為が、感情の暴走を押しとどめてくれたらしい。
「僕はメリーさんを……助けられると思って――」
「そう、私の気持ちを考えて『助けてくれた』のよね? ほら、出来てるじゃない。あなたは私に『合わせて』くれた。だから私も、あなたの気持ちを知る事が出来た」
文字通り、駄々っ子をあやす様な優しい声が携帯電話から聴こえてくる。知らず知らずのうちに立ち止まっていた僕は、その声に耳を立てる。
雑踏の騒がしさは遠ざかり、耳に届くのはメリーさんの言葉だけ。世界が透明になってしまったように、此処には僕とメリーさんしか居ない。
「しょせん私は人形よ。でも私には心がある……あなたのように、ね。その私に出来たのだから、あなたが他の人間と心を通わすなんて簡単に決まってるわ。なんたって――この『都市伝説』のメリーさんとデートまでしてるんだからっ」
透明な世界で、僕の心はマーブルにも似た模様に変わった。様々な感情が湧いて、どれを選ぶべきか分からなくなってしまった。拒絶、歓喜、羞恥、懐疑、それらは交じり合い溶け合い、どんどん姿を変えていく。
「僕は一人が好きなんだけど……」
「あら、私は数に含まれないのかしら? 霊長類至上主義者なの?」
いたずらっぽく訊ねてくるのは、もう僕の気持ちがどう定まるか分かっているからなのか。
(あぁ、そうだ! メリーさんの言う通りだ!!)
やけっぱちな心の声が嬉しそうなのは、自身の悩みに立ち向かえたからだろう。僕自身の一番の悩みをあっさりと解決してしまった
「適わない、な。メリーさんには。分かった、少しずつ頑張ってみるよ」
天狗の鼻をへし折られた僕は、大人しく「頑張る事」を約束した。これで僕は間違いなく、メリーさんに主導権を完全に握られてしまった気がする。
狭くて暗いその店は、どこか新興宗教のセミナーを思わせる居心地だ。とにかく、僕の場違い感が半端じゃない。周囲の壁と棚を埋めるのは人形人形人形! サイズこそ違えど、誰も彼も綺麗な服を着込んでいる。そこに草臥れた男が人形を抱いて携帯電話に話しかけているのだ。どう見てもイカレてる。
「ここなら見つかるんじゃないなと思ってね。服は単体であっちに一杯あるし、ゆっくり選ぼう」
店内の客は僕にギョッとした目を一度向け、すぐさま逸らした。僕だってこんなヤツとは関わりあいたくない。
「……………………」
肝心のメリーさんは言葉を失っている。これはどうしたことか。喜びに打ち震えているのか、「こんな服は着れないでしょ!」と怒っているのか、はたまた――自分と同じ”人形”に何か思うところがあるのか。
しかし、僕の予想とは裏腹にメリーさんの反応は何とも不思議なものだった。
「えーっと、本当に何でも一着買ってもらえるの?」
「極端に高くなければ大丈夫」
気の抜けた言葉。その上、「あぁ、そう……」と呟くとまた黙ってしまった。喜びのあまり……という感じではない。本当にどうしてしまったのだろうか。
「――あ。もしかして、気に入る服が無かった? お店を変えようか?」
僕なりに気を利かしたつもりだったが、
「へ? あ……だ、ダメ! ダメダメダメ!! この店から出ようものなら刺すわよっ!?」
酷く不謹慎な言葉で拒否された。興味が無いわけではないようだ。ならば、何故……?
「ね、ねぇ。見に行かないの? 早く行きましょ?」
うずうずとした声を聞いて、僕はやっと此処に来た甲斐があったと喜べた。いや、胸を撫で下ろしたと言ったほうが正しいか。
「取り合えず、飾ってあるヤツから一つずつ」
僕は携帯電話を耳に当てたまま、メリーさんがよく見えるように腕の位置を少しずつずらしていく。今、彼女の目の前にあるのは魔法少女のようなピンクと白のけばけばしい服を着た人形だ。
「これはどうなの?」
「見てはいるけど絶対に買わないし要らないわね。なに、着て欲しいの?」
この服は正直、僕も似合わないと思う。僕がその旨を伝えると、「じゃあ次!」と急かされてしまった。
「じゃあこのゴスロリは? 今着ている服に少し似てるけど」
眼帯を付けた人形が着ているのは黒いゴスロリ。何とも、『メリーさん』の都市伝説にはうってつけな服だが……。
「正直センスがないわ。私はこう見えても多感な少女じゃなくて淑女なの。もっと落ち着いた服が良いわ」
「落ち着いた……これはどう? 涼しそうだけど」
指で指し示す先にあるのは白いワンピースと帽子を被った上品な装いの長髪の人形だ。その憂いを帯びた瞳はどことなくメリーさんのソレにも似ていた。
「うーん、悪くはないけど……少し重いわね」
「重い? どういうことだ?」
僕の疑問に彼女は少し悩み、答えてくれた。
「何ていうか……私には背負い切れないわ、その服。水と油とまでは言わないけど、きっとちぐはぐになる」
彼女にだけ分かるのか、それとも僕が鈍感なだけか。どちらにせよ、彼女が望まないならこの服には用は無い。
「きっと、あなたもそのうち分かるようになるわ。あなたに馴染むモノ、馴染まないモノ。何を受け入れるべきで、何を拒絶すべきか。生きるってことは取捨選択の果てに『死』を受け入れる事だから」
まさか『都市伝説』のメリーさんが「生きる」ことを語るとは思わず、僕は驚いていた。『都市伝説』では人の命を奪う呪いの人形に様に語られている彼女、その実はもしかしたら違うのかもしれない。
「メリーさんってさ、いつから『メリーさん』なの?」
思わず、一歩踏み込んだ質問を投げ掛けてしまった。何でこんな事を訊ねてしまったのか。きっとそれは、「生」を語る彼女が哀しそうで、その辛さを共有したかったからだろう。
「分からないわ。そもそも曖昧なのよ、意識を自覚するという行為は。あなただっていつから『黒賀莞爾』だったかなんて分からないでしょ? そもそも昨日の記憶の中にいるあなたが本当に意識を持っていたか証明できる? ……出来ないのよ。意識を自覚して生きる生物なんていない。無自覚な一瞬を繰り返す私たちが、意識の確立を証明することなんて出来ないわ」
「じゃあ、覚えてないってことか?」
「そうじゃなくて、私が『メリーさん』になった瞬間なんて無いのよ。過去は靄が掛かったように、未来は帳が下りたように。曖昧な『生』を一瞬、『現在』という光で照らす行為が『意識』を生み出す。いや、『意識』が『現在』を生み出すのかもしれないわね。……はい、この話はおしまい! 今日は服を買いに来たんでしょ? ほら、次!」
僕としてはもう少し話を聞きたかったが、メリーさんの興味は既に「この服は悪くないかも……」と本来の目的に戻ってしまった。僕も水を差すわけにもいかず、彼女の服選びを手伝う事にした。
他作品を優先するやもしれません。