灰かぶりの章~鬼と鬼ごっこ~(3)
ぱしゃんっ
それは思ったよりずっと浅くて腰までも無かったから、炎を消すためには不格好に水底に横たわるしかなかった。
**************************************
水と火は天敵同士。
でも、天敵がいるからこそお互いより強い力を発揮できるんだよ。
すべてを焼き尽くしてしまう前に水が冷ましてくれるって火は知っているし
すべてが水没してしまう前に火が蒸発してくれるって水は知っているからね。
それは自然も人間も同じ、バランスを保つことによって世界は保っているんだ。
だから、ロダ。
正しくて賢い者がこの世に存在するならば
愚かで疎い人間も必要だという事なんだ。
それを忘れちゃいけない・・・・
賢者を目指すならそれを忘れちゃいけないよ。
**************************************
処刑される少し前にそんな事を言っていたお父さん。
どうして?
愚かな人間なんて必要無いだろうに。
お父さんを処刑した悪い皇帝様なんていらないのに。
分からないよ、お父さん。
ちゃんと教えてよ。
いつもみたいに私の質問に答えてよ。
まだまだ、聞きたいこと、教えて欲しい事がいっぱいあるのよ。
言っても仕方ないって、どうしようもないって分かっているけれど・・・・
全身から叫び声があふれ出して止められないの!
(お父さん、どうして死んじゃったのっ!?)
『もう諦めるのか?
ハルバートの娘だと言うから少しは骨のあるヤツかと思ったのに
大した事ないな・・・・・』
がぼっ
ごぼごぼと顔に泡がぶつかる。
酸素を求めて必死に水面を目指そうとしたが、その必要は無かった。
身体を起こせば簡単に顔は外に出ている。
こんな浅い所で一瞬でも溺れかけた自分が恥ずかしい。
それだけパニックに陥っていたのかもしれない。
全身から匂い立つ焦げくささが、丸焼きにされかけた現実を物語っていた。
(それにしても・・・さっきの声は誰だったのかしら?)
思わず、人の姿を探す。
背後は永遠と続く浅い湖、前方には岸。
ススキ野原は奇麗に姿を消していて人の気配は無い。
(今、この世界に存在するのは私と鬼さんだけの筈なのに・・・)
でも、あれは鬼の少年の声では無かった。
もっと低い大人の男性の声だったし、そもそも実体の無い響きで頭の中に直接聞こえてきたような気がする。
不思議な感じ。
私はその人を知っている気がする。
いや、おそらくこれから・・・・・・・・
「おいっ、そんな所でもたもたしていて良いのか?」
今度は現実味のある声。
主を確認すると、岸側の斜め上、空へと続く階段の上の方に鬼のシルエットが見えた。
しまった!もうあんな所まで逃げている。
「まっ・・・待て~!!」
勢いよく水を押し返し、重くなった服を足かせに感じながら、階段を上り始める。
どれだけ離れているかは分からないが、少年は余裕をこいてこっちを見下ろしたまま動かない。
油断こそ最大の敵。
だけど相手が油断したらそれは最大のチャンスになる。
そう、これはチャンスだ。
今のうちに追いつこうと、足取りを速める。
疲れきった身体に階段は辛かったけれど、際に咲く紫陽花の花がとても奇麗で少しは気を紛らわしてくれる。
まるで見知っている公園の階段を上っているような気分だ。
(花が青いからここの土はアルカリ性なのね・・・・)
なんて、最初こそ心に余裕を感じていたが、いつの間にか景色は色を失い周囲には色の無い空だけしか残っていなかった。
真っ青に晴れているわけでも無ければ、どんよりと曇っているわけでもない空白の空。
変わり映えの無い色と景色は虚無感を産み、心の体力を奪っていく。
一歩一歩踏み出す事に意味を見いだせなくなり、今自分が何のために何をしているのかもよく分からなくなる。
重力に逆らう事が、全てに逆らっているのかのように思わせる。
上って
上って
昇っても先が見えない
まるで前に進めない・・・・
魂が抜けていく・・・・
「はあ、はあ、はあ・・・・・」
思わず、両手を階段に付いてしまう。
脈打つ全身が悲鳴をあげ、まるで命を削られているような気分だ。
このまま進み続けると死んでしまうような気にさえなる。
(・・・・・そういえば!
お父さんが、人は死ねば宇宙の果てにいくんだって言っていた。
空は宇宙の手前だから・・・・・もしかしてっ!?)
心臓が縮こまるこの感覚は、変だと思っていた。
酸素が足りないだけではこうはならない。
この階段は死へと直接繋がる道・・・
知らないうちに私は自分の命を削っていたんだ!!!
(いけない、ここのまま進んだら本当に死んでしまうわ!)
思わず引き返す為に階段を降りようとする。
幸い道が消えているというような事は無く、後戻りは可能だ。
(ちょっと待って!ロダ。今ここを引き返したら勝負はどうなるの?捕まえなくちゃいけない鬼さんは前にいるのよ。)
下る一歩をまた戻すと、階段の上方を確認する。
鬼の少年は相変わらずさっきと同じ距離を保ったまま見下ろしている。
勝負に勝つには引き返すわけにはいかない。
だけど、このまま闇雲に命を削るわけにもいかない。
(お父さん、どうしたら良いの??)
**************************************
いいかい、ロダ、物事には必ずルールがある。
まずは約束事を知る事なんだ。
人が一人で生きられないように、世界も一つでは成り立たない。
常に事なる2対、またそれ以上にによって均衡を保っているんだ。
困った時は、そのバランスを一度崩してごらん。
きっと、答えが見えるよ・・・
**************************************
2対とはこの場合は鬼さんと私の事。
「鬼さん、私・・・・鬼さん・・私・・・・・鬼さんと私・・・・」
逃げる鬼さん・・・
追いかける私・・・
逃げる鬼さんがいるから追いかける私。
二つは繋がる歯車。
追いかける私がいるから逃げる鬼さんは逃げる。
連鎖を解くためには・・・・・
・・・・・・・どちらかが止まれば良いんだっ!!
「お父さん!解けたわ!!!」