灰かぶりの章~鬼と鬼ごっこ~(1)
マフタの森へ入ったその瞬間、(しまった!!)と思った。
それは一瞬で分かった。
前に来たとは全然違う。
まず景色が違う。
鬱蒼とした薄暗い木々の風景は一見同じように思うが、道が無い。
おじいちゃんと来た時はケモノ道ではあったが、ちゃんと人が通った形跡のようなものは残されていて、そこを辿っていけば自然と外へ出られたのだ。
しかし今は、地面は湿った苔とシダに覆われていて道らしきものは見えず、無造作に伸びた草が足に絡みつき、前進するのを拒む。
それに追い打ちをかけるように、怖いぐらいの静寂が妙な感覚を引き起こす。
本来、森というのは生命の家である。
例えどんなに静かな森でも何らしかの生き物の生活音がするはずだ。
例えば鳥や虫の声。
例えば川のせせらぎ音。
例えば風に揺れる木々の葉の音。
しかし今は闇が濃く広がるだけで、まるで生命の気配がしない。
(やっぱりここは魔法の森だったんだ・・・)
早速、後悔が襲ってくる。
おじいちゃんが言った事は正しかったのだ。
でも今更どうしようも無く、ただひたすら道無き所を前進するしかないのだ。
地面を踏みしめる音だけが唯一、自分の存在を表しているかのようだった。
不安で
不安で
大声で泣きたい気分だ
今、私は本当にひとりぼっちなんだ・・・・・
「ナゴォ~」
いつの間にか足取りが止まっていた事に気がついたのは、ひどい猫の声で我に返った時だった。
相変わらず足元は背の高いシダで視界が遮られていたけれど、数メートル先に猫がいる事は不思議とはっきり分かった。
「ネコっ!!」
急に薄れる恐怖。
思わず走り出してしまう。
猫はそんな私から逃げるように更に前へ前へと進む。
それはまるで、いつもの日常のようだった。
猫はいつも私に悪戯をする。
その度に私は箒を片手に猫を追いかけまわしたものだ。
あの巨体に似合わず、すばしっこい猫にいつも最後は逃げられてしまっていたのだが、今回はただ私をおちょくっているというわけでは無さそうだ。
まるで道を知っているかのように森の奥深くへと入っていく。
(道案内をしてくれているのかしら?)
不思議とそう思ったから、ただひたすら猫を見失わないように必死に追いかけた。
どれくらい走っていただろう?
唐突に意識を呼び覚まされたかと思うと、景色は一変していた。
夜が明け朝が来たのだろうか?
さっきまではただの闇深い森だったのに、天から光の筋が流れ込み点々と笹の群生地に灯りをともしている。
さわさわさわ・・・・・・・
頬に撫でるような風を感じ、際の髪が揺れ上がって一瞬それらが視界を遮るが、すぐに開けた。
しかし、その景色の中には今までとは明らかに違うモノがはっきりと主張していた。
初めは幻かと思った。
黄金のように輝く黄緑色の髪。
先端が広がった袖の長い藍色の着物。
その背中は華奢だが、差し込む光にスポットライトをあてられたその少年からは神々しいまでの威厳を感じた。
「あなたは、だあれ?」
現実離れしたその光景に、夢うつつの気分でそう発する。
私の声に応えるかのように少年は演出かかった動きで、ゆっくりと振り向いた。
「きゃっ!!!!」
私は腹の底から出た、短く甲高い悲鳴をあげならその場を思わず飛び上がると、反射的に背後の木の陰に隠れた。
振り向いた少年の顔は人間のものでは無かった。
額に突き出た二本の角、真ん中に主張する大きなだんごっ鼻、威嚇するように大きく開けた口からは二本の牙がはみ出ている。
目の瞳孔は開いていて、分厚いまぶたは、怒っているようにも見えるし、困っているようにも泣いているようにも見える。
それは鬼の形相そのものだった。
「お前、皇帝に会いたいのか?」
その声は鬼からではなく、その裏にかくれた場所から発せられた。
おおよそ鬼らしくは無い、甲高い少年のものだった。
どうやら、鬼の正体はただのお面らしい。
よくよく見ると、耳のあたりにその証拠としてお面を固定する紐のようなものが見える。
それが被り物である証拠だった。
少し安著した気分で、私はひょっこりと顔をだして、それでもまだ少し恐怖を残しながら、たどたどしく会話する。
「皇帝様を知っているの?」
「ああ、よく知っているぞ、会わせてやろうか?」
「本当っ!?」
思わず反射的に感嘆の声をあげる。
素直に言葉が出てしまった。
「だが、木に隠れて怯えているような弱虫には教えてやらない。もっと近くに寄れ。」
鬼の少年は命令口調でそう言った。
背格好からすると、自分とそんなに年齢は変わらない筈なのにどこか偉そうだ。
歳というよりは育った環境の違いによるものかもしれない。
私はおずおずと木から出て、なるべく鬼の顔を見ないようにしながらじりじりと少年との間合いを詰める。正体が人間と分かっていても、怖いものは怖いのだ。
「びくびくするな、もっと近くだ!」
そんな私の行動にイラついたのか、少年は怒ったよう声をだす。
その、もの言いに不快感を覚えるけど、今は大人しく従う事にした。
できるだけ地面に視線を落としていたせいか、いつの間にか目の前には少年の着物が間近に迫っていた。
思ったより近かったその距離に思わず視線を上げると、視界いっぱいに開かれた五本の指が広がった。
かと思うと、一瞬にして目の前が赤く染まる。
ボンッ!!!!
火花が散ったかと思うと、全身を流れる血の中に酸っぱく冷たいものが走ったような気がした。
すぐに熱が頭を襲い、顔を覆う様にして両手を目の前にかざす。
「キャハハハハハハハハ、バ~カ」
頭上で人を馬鹿にした少年の笑い声が響いた時には、私は腰を抜かして地面に尻もちをついていた。
一瞬なにが起こったのか分からなかったが、すぐに脳が状況判断の分析をはじめる。
確かに火の玉が見えた。
それも少年の手から発生するのを。
人の手から火の玉が出たりする筈がない。
そうは分かっていても・・・・
(そうだ、ここは魔法の森だったんだ。常識は通じない。)
微かに焦げた前髪のきな臭さを感じながら、マフタの森は幻を見せる所だという事を思い出す。
「お前、面白そうだから特別に鬼ごっこで勝負をしてやる!」
鬼の少年はどこか嬉しそうに笑いをこらえながら身軽に一歩後ろへと飛びのき、ウサギのようにびょんぴょんと跳ねあがりながら小高い丘の上へと上っていった。
そのまま、行ってしまうのかと思ったがそうでは無く、まるで私を誘う様に顔だけ振り向くと少し声のトーンを上げて言った。
「俺を捕まえられたら、望みをかなえてやるよ。ゲームスタートだ!」