灰かぶりの章~幻のエデン~(3)
「私、行かなくちゃ!」
そう!ここは幻を見せるマフタの森なのだ。
温かで穏やかな幸せの世界などある筈がない。
「駄目だ、行かせない。」
走りだす私を強い力が引っ張り返してきた。
お父さんだった。
まるで、お父さんとは思えないような冷たい冷めた目。
怖いぐらい低い声。
いや、確かにこの人はお父さんでは無いのだから当たり前なのかもしれない。
「離して、私は行かなくちゃいけないの!」
手を振り払おうとするが、拘束は解けない。
まるで微動だにしない得体のしれないこの人に私は恐怖さえ感じだ。
「どうして、そんな怯えた眼を向けるんだい?ロダは誰よりもお父さんを信用してくれていたじゃないか。もう嫌いになったのかい?」
「違う・・・」
「ロダ、ここに居るんだ。ここでなら父さん、ずっと傍に居てやれる。もう、誰かにいじめられる事も無く、苦しみも悲しみも、辛さも無い。父さんの夢なんか忘れて家族一緒に幸せに暮らそう。」
「違うのっ!!」
全身を奮い立たせて声を出す。
お父さんと同じ声でそんな事を言わないで。
お父さんと同じ顔でそんな怖い瞳を向けないで。
「私には、お兄ちゃんなんか居ないし、顔も知らないお母さんは私を産んですぐにどこか遠くへ行っちゃって知らない人なの・・・・・それに・・・・」
グッと唇をかみしめる。
これを言うのは一番辛い。
「大好きなお父さんは死んでしまったのっ!!」
(お父さん・・・・)
(お父さん・・・・)
「どんなに願っても、無いものが有るようになったりしない、死んだ人は絶対に生き返らない。それが世界のルールだって・・・・そう教えてくれたのはお父さんだわ!」
(お父さん)
(お父さんっ)
(お父さんっ!!)
「だから、お父さんがそんな事言ったりしない、貴方はお父さんなんかじゃない。」
(お父さんは、もういない。
もう・・・どこにもいないんんだ・・・・・・・・・)
「ずっと後悔していたんだよ・・・・」
頭上から響く声。
優しくて穏やかで・・・まるで本物のお父さんのような声。
堪える為に落としていた視線を、おそるおそる上げる。
「父さんはロダにたくさん伝えてしまったからね、自分を追ってくると思っていた。でもそれはきっとロダにとっては幸せな事では無い、背負わなくてもいい運命を背負う事になる。」
痛いぐらいの手首の拘束がそっと緩んだ。
何かを諦めたかのように眉を下げると、大きな腕が私の身体を拘束する。
でも、今度は痛くない。
慈しみを込めて優しくそっと抱きしめられる。
私の大好きな大きな手で。
「これが最後のチャンスの選択だ。」
覆いかぶさるようにお父さんの声が耳のすぐ傍で聞こえた。
あぁ、もう遠い昔のように思える懐かしい香り。
「ここに居るんだ、ロダ。ここでならお前に永遠の楽園を約束してやれる・・・」
切なくちぎれそうな声。
そうか。
お父さん、私分かったわ。
お父さんは心配してくれているのね。
だから魂が逝けずに残って、私に幻を見せてくれているのね。
でも、もう運命の選択は済ませちゃったの。
だから・・・・
「お父さん、安心してね。」
まるで冷めているお父さんの胸板をトンっっと両手で優しく押し返す。
冷たい温度は死人の証。
「ロダはちゃんと生きるよ。どんなに苦しくて、辛くても・・・・」
生きて
生きて
生き続けて
「お父さんのような、立派な賢者になる。何度つまずいても、何度迷っても、丸い世界のように最後はお父さんの夢に戻ってくる。いつだってロダはお父さんの夢に生きていくわ!」
だから、安心してね・・・・と、もう一度心で呟く。
私、今ちゃんと力強く笑えているかしら?
「そうか・・・・」
諦めたような・・・・でも少し残念そうに崩すお父さんの表情。
まるでそれに同調するかのように、幻の世界も一気に崩れる。
マフタの森が作りだした魔法は今、解けたのだ。
おそらくこれはお父さんが作りだした幻覚の魔法、私の為に作ってくれた試練だった。
(行かなくちゃ・・・)
私はお父さんの出した最後の問題を解いて、試練を超えたのだ。
出口は探さずとも、目の前にある筈。
「この幻の世界もじきに消える・・・・」
白く色を失ったお父さん。
お父さんの最後の想いも一緒に消えちゃうのね。
「うん・・・・私も、もう行かなきゃ・・・」
そう言うのとは裏腹に、いまいち声に元気がでない。
私の未練を感じ取ったお父さんは少し首をかかげて顔を覗き込んでくる。
優しい音さんの瞳が目の前に広がった。
「ロダ、お父さんは感心しているんだよ。よく頑張ったね。
現実を受け入れるのは辛かったろうに、偉いよ。」
ふわっと頭に当たる優しい感触。
「・・・・・・・・・・・・ぅっ・・・つぅ・・・・・ぅ」
涙ってボロボロとこんなにも、とりとめも無く溢れてくるのね。
止まらないのね。
お父さん、ロダはお父さんが死んでから初めて涙が出たよ。
「お父さん・・・・お父さん・・・・・お父さんっ!」
何度そう呼んでも、世界がボロボロと禿げていくのは止められない。
別れは変えられない。
もう時間は無いようだ。
「お父さん、ロダは行くね・・・・さようならっ!!」
今度はきっと思い通りに笑えている筈。
それが正解だよ・・・と言わんばかりに深くゆっくりと頷くと、くしゃくしゃと私の頭をかきまわすお父さん。本当に満足そうだ。
「頑張ったロダにご褒美だ。最後に少しだけ、父さんの記憶を見せてあげるよ・・・・」
何処か遠くに聞こえるお父さんの声。
溶ける視界に消えていく優しい笑顔を見送ると、遠い彼方へ意識が飛んでいく。
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「ユウリキ皇子、私には娘がいるんです。歳は皇子より少し下でね・・・」
「それがどうした?」
「自分で言うのもなんなのですが、なかなか聡明な子で将来が楽しみなんですよ。」
「フン、ただの親バカ自慢か、退屈だ、やめろ。」
「そう言わず少しだけお付き合いください。皇子にはロダの兄になってやって欲しいんです。」
「なんだと?」
「あの子には兄弟がいないんですよ。もともと賢すぎる子ですから、同世代の子とも関わろうとせず私とばかりいるのが前から気になっていたんです。皇子とならきっと上手くやっていけます。」
「それで、なんで兄弟なんだよ、兄弟は血の繋がりでなるものだ。勝手に決めてなれるもんじゃねぇし。お前、賢者なんかやってるのに本当は馬鹿なんじゃねぇのか?」
「いいえ、他人の兄弟は誰とでもなれるんですよ。遠い異国の文献にも残っています。『義兄弟の契は永遠の証、死を分かつまで・・・・』と。血の繋がる家族は確かに血の縁で深く結ばれているかもしれません、けれど心が離れると意外と簡単に縁も切れてしまったり、憎しみあったりしてしまうものなのです。しかし、心で絆を結ぶ他人は決して血の繋がりの縁におとったりしないんですよ。どんな時も共にあろうと願えば兄弟であり続けられるんです。」
「又、お前の自論哲学か・・・いい加減それを証明してみろよ。口ばっかりでは誰も信用しない。ひとまず俺をここから出してみろ、でないとお前の娘とやらも会えない。」
「申し訳ありません、皇子。もうしばらくは・・・・・」
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(あぁ、そうか。)
すべては繋がっていたんだ。
運命はやっぱり決まっていたんだね。
お父さん、ロダは彼の元へ行くよ。
ちゃんと一緒に行くよ。
お父さんが作ってくれたこの道をしっかりと歩んでいくよ。