第8章
ここに孤児院があるとか初耳だし、神官になるつもりはなかったとか、ここから出ていきたいと思っていたとか思いもよらない言葉の連続に驚くしかない。
私の知る彼は、学生の頃はギルドで働き、卒業後は高位の神官になるために首都の神殿へと修行に出て、そこでの出世も約束されていたにもかかわらず、故郷の神殿に入ることを望みここへと帰ってきたエリートなのだということだけ。
ギルドや神殿で耳にしたことのある情報はそんなところだ。
戻ってこないことを選ぶこともできたはずだ。
そもそも、神官にさえならない道もあったはずなのだ。
今の言葉を聞く限り、田舎で燻ぶるつもりはない、と野心に燃える少年であったことは間違いなさそうだ。
聞きたいことも色々あるが、ナイルの言葉に耳を傾ける。
「神官長――いえ、当時はまだ高位神官の一人であったツェフ神官からもよく叱られていたのですよ。世話になっているのに不満を漏らしては問題を起こしてばかりいる私は、今からして思えばですが、さぞや鼻持ちならないクソガキだったことでしょうね。」
ワルガキだったナイルというのはあまり想像がつかない。
どちらかといえば昔から優等生タイプかと思っていたのだが。
「もちろん、学校の成績などは優秀でしたがね。」
やっぱり。そう思ったことが表情に出たのかもしれない。
「孤児だから、とそういう理由でバカにしてくる子供とはどこにでもいるものですよ。」
と、ネイルは笑みを深めた。なんとなく、腹黒さを感じさせるような笑みだ。
「そいつらの鼻を明かしてやりたくて学業だけは本気で取り組んでいました。お蔭で教師陣の覚えはよかったのですよ。ハルディア女史もそのころお世話になった一人です。」
そういえば、そんな話も聞いた気がする。
ハルさんは恐い先生だったという噂もあるが、優等生なナイルにとってはきっといい先生だったのだろう、浮かべた笑みが柔らかいものへと変化する。
「彼女はやる気のある学生にとっては何よりも素晴らしい教師でしたよ。そして、その動機は気にしない方でもありました。そこが、私にとっては何より有難かったですね。」
言葉で話す以上に、彼の少年期は恵まれたものではなかったのだろう。神官たちに養護されているとはいえ、家族と呼べる人がいない、頼り、甘える相手がいない環境がどんなものであったかは、私には想像するしか出来ないけれど。血の繋がりはなくても、私には家族と、親と呼べる人がいた。血の繋がった親に養育されていないという一点において少しだけ親近感を覚えたけれど、一緒にするのは彼に失礼だし、私の家族にも失礼だ。
「まあ、すぐに座学だけでなく実技も人並み以上に出来てしまったが故に、実力を勘違いしてしまったのでしょうね。大人たちと同じように外でも戦えると。こうして振り返ってみれば、すぐにでも気が付けたはずのことなのに。学校での学びはあくまで練習に過ぎず、実戦とは違うということを、私は分かっていなかったのです。僅かな人物からの些細な言葉や行為に傷つけられる以上に、多くの人から守られていることに気付いてもいない愚かな子供でした。」
ナイルが少しだけ哀しげに、目を細めるのが見えた。
ああ、もっと、話が聞きたいのに。たぶん、きっとこれからが良いところなのに。
マレビトとの出会いを聞きたいのに、布団に沈んだ体はいうことを聞かない。
否応なく、瞼が自然と下がってくる。
「また、今度続きを話しますね。」
柔らかな声が降ってくる。
頭を撫でられる心地よさを感じながら、私は眠りに落ちていった。
彼が話をしながら微弱な眠りの魔法をかけ続けていたことも、それが孤児院でなかなか眠りにつかない子供によく使われている手だということも、撫でられたことがその止めとなっていたことも、私が知るのはだいぶ後になってからのことだ。
それらを知ることなく、長いことこの手は使われ続けることになる。