第8章 (3)
新学期、最初の授業は「異種間コミュニケーション 中級」だ。
ほぼ単一民族国家であった日本で育ったからか、それとも単に知性体と呼べる生命体が人類一種だった地球生まれだからなのか、あまり民族間の問題を意識したことは無かった。
たまに意識することがあるとしても、それは画面の向こうの遠い世界での話であったし、身近な問題だと認識したことはやはりほとんど無かったといえる。
それが原因なのか、この世界に大分慣れてきたとはいえ、異種間の問題には未だに疎いままだ。
多分、この講義だけは卒業するまでとることになるのではないだろうか。
この講義では、前学期は主に人型種と呼ばれる種族による、アウトラーシェン国内で起きた事例が中心に取り上げられていた。
とりわけエグザーダナ周辺における種族の違いによって生じた諍い事が多数を占めた。
類似点や共存例を学ぶことは勿論大事ではあるが、身を守るという観点から見れば、幼いうちから災禍の種を知るということはとても有意義だ。
知識は身を守る盾となる。
原因を知れば二の轍を踏むのを避けることができるのだから。
今期もそういった内容を期待していたのだが、どうやら、今期の内容はそれとはちょっと方向性が異なるものになるらしい。
軽い今期の内容説明によれば、異種族間における問題は問題でも、夫婦間の寿命の違いによる相続問題やら、文化、風俗の違いから来る重婚問題など、どうも婚姻関係の微妙に昼ドラ展開を思わせる事例が何故か多かったりした――他にも種族、或いは部族ごとの求婚にまつわる作法だとか、いずれにせよ子供向けとは思えない内容が多かった。
グレイズ先生の趣味というわけではないだろう。
恐らく、それだけ気をつけねばならない、身近に起き得ることなのだ、多分。
前期の糞真面目な講義と同じ調子で行われる、中身は何処のゴシップ紙?と聞きたくなるような講義を終え、幾分か別の意味で疲労した頭を抱えてブラーシェ先生の元へと戻る。
講義の休憩中にも、私が恐れていたような私への誰何の声は上がることは無く、緊張していただけに逆に肩透かしを食ったような気持ちで廊下を急いだ。
いつもどおりなら、昼食を一緒に食べる為に待っていてくれているだろう小さな友人達の元へとは行かずに。
「そりゃそうだよ。」
部屋に着くなり疑問点を投げかけた私に、何言ってるの? とばかりにブラーシェ先生が呆れた声をこぼす。
「君は見えるようになったから忘れてしまったようだけど、そもそもあんな祭りの夜でもなければ普通の人は精霊の姿なんて見えないんだよ。」
「……あ」
「どうも君の周囲には僕を含めハイスペックな人間が集まりがちみたいだけれど、加護持ちでもなければ普通は精霊の姿なんて見えないからね。
普通の生徒から見れば、君はただ単にローブで顔を常に隠してる得体の知れない一生徒に過ぎないって訳。
だから、君がその顔を晒さない限り、或いは晒したとしてもあのマレビト様だとは気付きもしないだろうね。」
そうだった。
精霊を見えるようになったのが、前期の終わりぎりぎりだったものだから、すっかり忘れていた。
休み中は精霊が見える人ばかり回りにいたから、余計にだ。
確かに、見えない人になら、私が何者かばれる可能性は薄い。
例え、あの夜私の顔を見た人がいたとしても、あれだけ着飾ってナイルを傍らに伴い、精霊を引き連れていたのが、こんな一見根暗そうな素顔を見もしない怪しい子供と同一人物だとはそうそう気付くまい。
だが、逆に言えば、見える人ならば、私の顔なんかを確認しなくたって、その周りの精霊達を見れば一目瞭然、という事だ。
祭りの前までだったら、異常なくらい精霊を引き連れた子供、という認識だっただろうが、あの祭りで、私は膨大な数の精霊を纏いつかせている姿を公衆の面前に晒してしまった。
以前はただ珍しいだけだった存在が、それが他に類を見ないものであるが故に、今では容易にマレビトであると特定出来てしまうわけだ。
そして、残念ながら、というかなんと言うか、ユーリグはその"珍しい"見える側の人だ。
「ま、ユーリグ君とやらには早く言っちゃった方が良いんじゃないの?
彼は見えてるんでしょ?
なら、君がマレビトだということは、あの夜に顔を見られてなかったとしても、その精霊たちのせいでバレているのは確実。
最早隠そうと足掻く必要すらないじゃない。
前言を撤回する様で悪いけど、さっさと言ってしまいなよ。
君が言わないなら僕から言ってあげようか?
いい加減、僕としても食事時まで鬱々とした顔で居座られるのは迷惑なんでね。」
まだ授業が終わったばかりだから、きっと待っててくれてるんじゃないの、という言葉とともに私はブラーシェ先生の部屋を追い出された。
そんなに憂鬱そうな顔をしていたのか……。
いや、逃げ回っていても仕方ないことをいつまでもうじうじとしている人と席を共にしたい人なんて普通いない。
それが食事時なら尚更で。
人一倍、とは言わないまでも楽しく食事を取ることに幸せを感じる私としても、今の私は人様の食事時にお邪魔していい存在じゃないというのはよく分かる。
食事は、美味しく楽しくが一番だ。
前期の学校で、よく皆で食べたお昼が思い出される。
色んな出店を巡ったり、たまにお弁当を持ってきたときは日本の学生風の食事と言っておかずの交換をしてみたり。
楽しかったんだ、私は。
うん、正直にユーリグに話をしよう。
それで嫌われたなら、嫌われたなら……暫く登校拒否くらいはしたくなるかもしれないけど、それでも、いつかまた友達になれるように努力すれば良い。
そう、私の寿命が長いことだけはアカシェにもお墨付きを貰ってるんだから、長期戦の構えで行けば良い。
だって、私はこの世界に来て漸く、誰かと一緒にいるということに真剣に向き合えるようになってきたばかりなんだから。
対人関係スキルがないのも、経験値が低いのも当たり前。
こういうことは、弾みだろうが勢いが大事。
当たって砕けても、きっとナイルは拾ってくれるだろう。
――まあ、過保護が増すかもしれないけれど。
いっそ馬鹿馬鹿しいくらいまでの悲壮な覚悟で向かった先で、盛大な肩透かしを食らったことは、多分、この先何年も忘れることは無いだろう。