第8章
「で、朝も早くから一体何の用?」
ブラーシェ先生は、とりあえず私を部屋に入れると、まずお茶の用意をし、私が戴いたその苦いお茶にしっかりと覚醒したのを確認してから口を開いた。
「以前、話したことです。
私、まだユーリグに言ってないんです。」
「……それで?」
「きっと、バレてますよね。
私がマレビトだって。」
「まあ、可能性は高いだろうねえ。」
否定されるとは思っていなかったが、淡々と肯定されるとそれはそれでつらいものがある。
昨日になって思い出してしまったのだ。
あの夜のパレードで見かけた群集の中に、彼の顔もまたあったことを。
すぐに目を逸らしてしまったけれど、多分、目もあっていたと思う。
正直なところ、本当に彼だったかどうかとまで聞かれれば自身はない。
でも、多分、アレは彼だったと思うのだ。
私は、まあ彼に教えていなかったのに。
もしあれがユーリグではなかったとしても、あの時あれだけの精霊をまさに"纏い付かせて"いた私と、同じように普段から精霊をまといつかせている私が同一であることには、目端の利く彼には分かってしまうだろう。
例え、一番の目印であるともいえる蛇もどきを置いてきていたとしても。
「……どうしたら、良いんでしょう。」
「どうしたら、とは?」
「以前勧められたときに躊躇しておいて今更ですけど、どうすれば、ユーリグに嫌われずにすむと思いますか?」
「は?」
「あの時は分からない、と言ったけれど、認めます。
私は、多分、彼を友達だと思っているんです。
だから、彼に嫌われたくはない。
きっと、自分だけ知らされてなかったと知って、嫌な気持ちになってると思うんです。
でも、私は、そういう時どうしたら良いか分からないんです。」
二十二年余り生きてきてなんだけれど、どうやら地球にいた頃の私は、余程対人関係を蔑ろにし続けていたのだと思う。
何時もどこか冷めた目で見て、友達だと思っていた人とも一線を引いていたことに、今更ながら気が付いた。
自分の行動如何によって、相手がどう思うかなんて気にしたことがほとんどなかったのだ。
だから今も、きっとユーリグは不快感を抱いているだろう、と言うことは分かってもそれをどうすれば解消できるのかが全く分からない。
こんな情けないことは他の誰にも相談できず、一晩思い悩んだ末に浮かんだのはハルさん。
そしてもう一人、以前助言してくれたブラーシェ先生だけだった。
こういうことに、私に甘いナイルや、我が道を行くタイプのアカシェの話は参考にならない。
ハルさんのお宅に早朝からお邪魔するわけにも行かず、残った選択肢は一つしかなかった。
けれど。
「……思うままにしてみれば良いと思いますよ。」
呆れたような長い沈黙の後、先生は言った。
「隠していたことについて謝罪したいならそうすれば良い。
僅かばかりの彼が気づいていないだろう可能性にかけて黙っているも良し。
隠していたわけではないのだと言い訳するのも、それは全て君自身で選ぶべき事だ。
その結果得られるものも、途中経過の経験も、全て君の身になる。」
と、真面目腐った顔でのたまった後、俯くと先生は方を振るわせ始めた。
「……くっくくっ、ははっ。
ああ、全く、この年になってよもやこんな教師のような説教臭い言葉を吐くことになろうとは思いもしなかった。」
呆気に取られる私を余所に、一頻り笑いきると、ああ笑った、と再びこちらへと向き直り、いつものどこかつかめない表情でこう言った。
「好きにすれば良い。
君がどう頭の中で考えようと、少年がどう思っているか本当のところは分らないんだから。
結局君の考えたことは君の頭の中の出来事でしかないわけで、事実と同じであるかもしれないけれど、そうでない可能性だってあるんだからさ。
こういうのは頭でぐちゃぐちゃ考えるより、直感的に行動してしまった方が案外良かったりするものだよ。」
ああ、また年寄りくさいことを言ってしまった、と年齢不詳の教師はぼやいた。
「君と話すと、何故かこんな感じのことばかりになってしまうね。
さ、予鈴も鳴った事だ。
早く教室へ行くんだね。
遅刻しても、僕は知らないよ。」
追い出されるように部屋を出た私の耳に、予鈴のチャイムの余韻が響いた。