間章
約一年ぶりの更新です。
何度目になるか分らない奇妙な感覚に眼を覚ましたのは、あれから三日目の夜のことだった。
覚えのあるその感覚に、それが彼の来訪だと気づかないほど寝ぼけてはおらず、しかもその理由に心当たりがありすぎる身としては、それを無視するわけにもいかなかった。
彼が時折ふらりとやって来るようになってしばらく、いつの頃からか私のベッドの傍にはいつでも外に行っても大丈夫なように上着が置かれるようになっていた。
エメラを始めとする私の世話をしてくれる神官さんたちの心遣いに感謝しつつ、それを羽織る。
そして、同じくテラスに常備されるようになった靴を履いて内庭へと出た。
こうして彼と夜に会うのは暫くぶりだなと思い、恐らくは祭りの準備期間の多忙さゆえだったのだろうと考える。
今も同様に忙しい筈の中、彼がここへきた理由を思うと重くなりそうな足を、それでもこの後の睡眠時間を少しでも確保する為に懸命に動かした。
「阿呆。」
開口一番、傾国の美貌の麗しき唇から放たれたのはそんな言葉だった。
多分に呆れと苛立ちを含んだそれすらも、耳に心地よい美声と言うのだから美形は得だ。
零下の視線ですらも喜ぶ人は沢山いるだろう。
「私のせいじゃないです……。」
言葉では否定しつつも、視線を逸らしてしまったのは、若干の後ろめたさ故だろうか。
自分が悪いわけではないという自信はあるが、引き起こしたのもまた自分であると言う自覚は確かにあった。
「……はぁ。
竜の同調能力の高さを甘く見ていたこちらにも責はあるのだろうな。」
暫しの沈黙の後、溜息とともに紡がれた言葉に、興味を覚え、アカシェへと視線を戻した。
祭りの晩ほどではないにしろ、いつもよりは格段に明るい夜に、夜光石の東屋はいつも以上の明るさでその白皙の美貌を照らし出していた。
怒りでも、呆れでも無い、けれど無表情でもない何とも言い辛いその表情に、彼が何を考えているのか読み取るすべは私には無かった。
あの夜、そのまま寝てしまった私だが、起きてから不味いことをしたなと言う思いはあった。
何かしら、誰か――ナイルか、神殿長、或いはアカシェ――に言われるだろうと思って恐々としつつ一日を過ごしたが、神殿で会う誰もがまるで前夜のことなど無かったかのように何も言わなかった。
それが逆に不気味であったのだけれど、とりあえず昨日の今日で外に出る気にもなれず、もしかしたら離宮から呼び出しが来るかもしれないという思いもあって部屋に篭り、蛇もどきと戯れて過ごしたのだが、結局、そのままに夜を迎えた。
翌日も、昨日は何も無かったが今日こそ何かあるのでは、昨日は疲れを癒す為に与えられた休日だったのではないだろうか、と言う予測に反して、やはり何も無かった。
どう考えても異常としか思えないような事態を引き起こしておきながらなにも言われないというのはとても気になったけれど、かといって藪蛇になりそうで自分から聞くことも出来ず、このまま何も無く、日々が過ぎて元のように戻っていくのだろうか、と思った矢先だった。
唐突に、目が醒めたのは。
もう一晩早ければ、もしかしたら安堵すらしていたかもしれない。
誰も何も言ってはくれない中で、無意識に求めていた言葉をきっと告げてくれるだろう人だったから。
けれど、彼が来たのはこのまま日常に戻るのだろうと受け入れた後のことで。
どちらかと言えば、感じていたのは憂鬱と睡眠妨害に関する苛立ちだった。
鈍りがちになる足を叱咤しながら部屋を出たものの、何か急かされるような気がして駆け出したのはすぐのこと。
小学校のグラウンドの半分ほどのたったの僅かの距離でも、全力疾走すれば息を切らせてしまう体力の無さに辟易しつつも、辿り着いた先でかけられた言葉はアレだった。
頭ごなしに否定されたことに反発を持ちつつも、誰かに言われるだろうと覚悟しながら誰にも言われなかった言葉を得たことで、若干の安堵があったのは否定しない。
でも、できれば昨夜までに来て欲しかった。
否定的な言葉を受けるには覚悟がいる。
覚悟しているうちならダメージは軽減できる。
が、覚悟も緩んだところで与えられた言葉はそれだけに攻撃力が増したように感じてしまう。
気のせいだって分っているけれど、誰だって否定的な言葉なんて聞きたくないのだ。
それが、意図してしたことが原因でないなら尚の事だ。
何も言い返すことも出来ず、溜まらず俯いた私にかけられたのは、なんとも苦々しげな言葉だった。
「あの件のせいで、厄介な奴がやってくるかも知れん」
「……厄介な相手?」
「堅苦しく融通の利かない若造だ。」
その声音と、共にこぼれた溜息から、彼の苛立ちの原因が、どうやら問題を起こした私にではなく、その結果として訪れるだろ人物に対して向けられたものだというのがわかり、少しだけ顔を上げた。
かち合った瞳は、八つ当たりを謝るかのようなのもので、へこんでいた気分がほんの少しだけ浮上する。
「うわー、それだけで十分お会いしたくない感じですけど、誰です、それ?」
いつもの会話には程遠い棒読み口調だが、それでも何とかいつもの会話に戻そうという私の意図を感じ取ったのか、今度こそ本当に苦笑してアカシェは口を開いた。
「以前、話しただろう。
現アウトラーシェン王、ツィリルだ。」
「は?」
「いずれ来るだろうとは思っていたが、当分先だと思っていたんだがな――」
一国の王が――まあアカシェも王族の一人であることはこの際置いておく――この街にやってくると言うことをこともなげに言い放ち、挙句には王を当たり前のように若造呼ばわりして話を続けていく彼を慌てて遮る。
「いや、それって、もう確定してることなんですか?
王都から連絡きているとか。
てか国王を若造とか……」
「いや、先触れはまだだな。
だが、時間の問題だろう。
やつは確実にやってくる。
何せ、久々に現れた渡り人がまだ未熟な段階で既に古の精霊の一柱を呼び出すほどの力を持っていると分ったのだからな。
若造は若造だ。
私はこれでも現界している神族としては最古参の部類に当るんだ。
あんな昨日今日生まれたばかりのガキは若造で十分過ぎる。」
思いがけず知ったアカシェの年やらなにやら色々と聞きたいことは多かったけれど、今私が聞きたいのはそれじゃなかった。
「アトルディアは、何者なの?」
私をこの世界に順応させるまで守ってくれていたと言う精霊は。
聖域を守る精霊なら、特別であってしかるべきだとは思うけど、なんだか、彼らの考えはそれを超えたものであるように思う。
神殿の人たちも、話題に出さなかったと言うより、道話して良いかわからなかったようにも、今なら思える。
でも、その違いは異邦人である私には直感的には到底理解できない事だ。
多分、私の人選は間違ってない。
アカシェは恐らくその答えを知る人だ。
「アトルディアは古き精霊の一柱。
水を司り、その名を冠す世界の半分を潤す水源たる泉の主。
私が正しく知っているのはそれだけだ。」
そう思ったのに、以外に答えは短かった。
古い水の精霊、それは誰もが知ること。
何故だか、アカシェの答えは嘘ではないけれど、本当でもないようなそんな気がした。
「この世界の始まりからいたとも、元はこの世界を作った神の一柱であったとも言う。
何故、半竜の姿をとっているのかも、何年生きているのかも、何を考えているのかも、私は実際のところを知らない。
実際に会ったのもほんの数回程度に過ぎない。
その多くがお前のことに関連してだからな。
彼女に関してなら、私よりイドリの英雄かザウルディカのマレビトが詳しい筈だ。」
「イドリ?」
「ギルド発祥の地だ。
最近会ってはいないが、放浪していなければ今も恐らくギルドの隣に住んでるはずだ。
ザウルディカのマレビトは、かの国の元の王宮近くに居を構えている。
もし会いたいなら紹介状を書こう。
あれはなかなか国を離れられぬ身だからな。」
それは自分で会って聞け、と言うことなんだろう。
「だが、人に聞くより何より、自分で会いに行けば良いのではないか?
イドリもザウルディカも、ここからアトルディアまでの距離の一体何倍あると思っている。」
そうは言っても、前情報が欲しいのは臆病者ゆえの性だ。
こればっかりはどうしようもない。
「今は力もないお前におあそこまで行くことは無理だろう。
だが、お前が本当に望めば連れ出してくれるものはいるだろうし、手を貸すものは多いはずだ。
人をもっと頼れ。
お前は、一人ではないのだから。」
なんだか、丸め込まれた気がしないでもないけれど、それ以上聞くことも出来ず、その後はアカシェによるツィリル王に対する愚痴大会となってしまった。
うん、私はもう十分すぎるほどにその王様には会いたくなくなったよ。
一年振りなのに割り込み投稿とかorz
リアルが落ち着いたので、そろそろ連載再開できそうです。