第7章
「あら、私のではないわ。
勿論、嫌いではないし、良いかなとは思うけれど。
ねえ、貴女はこういうのは嫌い?」
先ほど手に取った反物を私の肩に合わせながら聞いてくる。
それは少し厚手の毛織物で今の季節にはまだ暑いけれど、秋になれば良さそうな感じの柔らかで手触りの良い生地だった。
色は、光の当たり具合によって微妙に色味を変える、まるで鴉の羽のような光沢を持った黒だ。
光の向きを変えると浮かび上がるように現れる文様は織りによるものらしい。
どことなく着物の地を思い起こさせるその布は、嫌いなものではなく、私にとっては寧ろ好ましいものだ。
だが、見るからに高そうな生地で、どれくらいの値段がするのかあまり聞きたくないし、自分では手に取ってみようとも思わなかっただろう。
何せ、未だにギルドや学校へは古着の子供服を着て通っているくらいだ。
良いな、とは思っても、買える類のものではない。
「嫌いではないですし、良いとは思います。
質も良いものだとは思いますが、ちょっと手は出せないですね。」
心動かされないでもなかったが、財布の口を緩める気はないし、無難な返事に留めた。
変な期待をさせるのはお店の人にも悪い。
金がないわけではない、だがギルドで稼いだお金を普段の買い物などに使う一方で、神殿から支給されているお金の大部分は今後一人立ちするときの資金として貯金している。
それを崩してまで、今欲に流される気はなかった。
元々服には頓着しない方だし、今までも特に欲しいものと言うのはなかったから、それで事足りていた。
「そう、良かった。
それじゃあ、ご主人、これ戴くわ。
お幾らかしら?」
だが、ハルディアさんの私の答えに対する反応は斜め上をいくものだった。
「ちょっ……待ってくだ――。」
止める間もなく、さっさと会計を済ましてしまい、何も無かったかのようにその包まれた荷をイドゥンさんに預けてしまった。
「きっとこの黒は貴女に似合うと思うのよ。
私に貴女に服を贈らせて頂戴。」
「っでも。」
「形式上は違うし、貴女もそうは思っていないかもしれないけれど、師として貴女に何か贈りたいのよ。」
そこまでして貰う謂れが無い、とは言えなかった。
短い期間ではあったし、厳しく扱かれたという訳でもなかったけれど、確かに彼女は私にとっての師であった。
逡巡している私に、イドゥンさんの声が掛かる。
「素直に甘えれば良いのですよ。
ハルディア教官は、精霊術師としても有名ですが、その能力を込めて作られた防具は更に有名です。
ギルドや神殿で教えていらした頃も、教え子が巣立つときには色々と贈ってくださいました。
かつて私たちも戴きました。」
隣ではフィズさんも頷いている。
「――良いので、しょうか?」
「貴女が受け取ってくれるのならば、私は嬉しいわ。」
三対一では勝ち目は無く、私は白旗を上げた。
「それでは、宜しくお願いします。」
「ええ、楽しみにしていて頂戴。」
私たちの様子を見守っていた布地商の店主も、ほっとしていた様だった。
その上、店の前で色々話をしてしまって、商売の邪魔だったろうに、追加で色々とおまけまでくれた。
日本人的気質からすれば、非常に心苦しかったのだが、「かの霧氷と、今話題のマレビト様が買ってくださったとなれば、十分店に箔がつきます。」と、逆に感謝されてしまった。
霧氷とは何のことかと思いきや。
「昔の渾名よ。」
と、ハルディアさんは微笑み、後ろの二人は若干顔色をわるくしていた。
うん、どうやらあまり聞かないほうがいい話題のようだ。
そんな感じで、ハルディアさんに連れまわされつつも、結構楽しみながら市を見て回ったのだった。
2011/10/08 一部加筆