第6章
精霊と言うのは、一概に"こういう姿である"というものではないらしい。
見るもの、聞くものによる精霊の姿は変化する。
同じ精霊を見ても、違う姿形に見えていることは普通にあることのようだ。
私にはビー玉からピンポン玉サイズの、カラフルな光球に見え、男とも女ともつかない中性的な声に聞こえるが、他のヒトには違った姿で見えているらしい。
また、可視・不可視、可聴・不可聴は精霊自身の意思に最も左右されるが、見る側の才能によっても若干異なるらしい。
つまり、精霊が自分の姿を見せようと思っていても、見ることが出来ないものもいれば、これは数が少ないが、隠れている精霊の姿すら見通すものもいる、と言う事だ。
見える見えないも技能として磨くことは出来るが、その一方で何らかの切欠によって、或いは何の兆候もなく突如として、精霊を見る力を失うものも居る。
その原因はいまだ解明されておらず、精霊と明確な交流を行えるヒトの数は極わずかに留まっている。
その数少ない者たちを精霊話者と呼ぶ。
彼らは声すら介さず、直接精霊と意思の疎通を図れるのだと言う。
横目で見ているだけだけれど、ナイルはどうやらその精霊話者の一人であるらしかった。
精霊たちの姿を見ることができるようになって、明確に意思疎通を行えるとはいっても、私はつい先刻、出来るようになったばかりだ。
彼が精霊たちと何を話しているのかなんて分かるはずもなく、そもそも聖徳太子でもあるまいにアルシュとゲルドの話を精霊に伝えながら、精霊たちのおしゃべりの中からその答えを見つけ出すだけでも私のキャパはオーバー寸前だ。
「……すみません、そろそろお腹空いたんですが。」
ついにそんな言葉が口をついて出たのは、一体どれくらい経過した頃だっただろうか。
「すまん、それほどに時間がたっていたか?」
アルシュは時間のことなど今気がついたとでもいうように(恐らく実際に全く意識なんてしていなかったのだろう)驚きの声を上げる。
昼前に来て、太陽が天頂を過ぎたのが大分前なのだから、お腹を空かすには十分すぎる時間だ。
一日きっちり3食派の私にとってはもう我慢も限界に近い。
というか、食事はまだしも、飲み物さえ飲む暇を与えてくれないのはどうなんだ。
そうまでしても収穫はわずかだったとなれば、流石に気力も費える。
なかなかこちらの意図が伝わらなかったということもあるけれど、聞いて分かったことを要約すれば、たったこれだけだ。
Q1.何故ここに精霊が大量発生するのか。
A1.居心地がいいから
Q2.何故居心地がいいのか
A2.力に満ちているから
Q3.何故力に満ちているのか。
A3.アトルディアがそうしたから。
Q4.アトルディアは何故そうしたのか知っているか?
A4.知らない。
Q5.誰なら知っている?
A5.アトルディアに聞いて。
好き勝手に話したり、関係のないことを言ってみたり、思わせぶりなことを言ってみたり、そういう精霊の言葉の中から質問に対しての答えを見つけ出すのは至難の業だった。
なんというか、何十人もの小学生達が好き勝手話している中から、必要とする情報を探し出す、そんな気分だ。
この疲労感の大部分を占めるのは気疲れであろうという確信がある。
10人が一斉に話す内容をしっかり把握していたという聖徳太子のその能力が本気で羨ましいし妬ましい。
私もそんな耳と脳が欲しかった……。