戻った意識
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一日を終えて寮に戻った私は、部屋の灯りをつけ、猫を鞄から出して床にそっと移動させた。鞄をソファに置き、その足でキッチンに向かう。晩ごはんは昼の購買で買っておいたチキン南蛮弁当。レンジに突っ込んでピッとボタンを操作する。
電子音と共にレンジが回り始める間、私はようやく落ち着いて椅子に腰を下ろした。
今日は一日、疲れた。色々ありすぎた。山本博士に目立たず話しかけるために神経をすり減らしたし、山本博士から持ちかけられたバディの話にもびっくりしたし、この学校で行方不明者が多発しているということにも動揺させられた。
山本博士とバディになるのはなしだ。それは絶対になし――だけど。
このまま動物になる生徒が増えていくとすると、それを放っておくのはまずい。私に全く関係ないのなら無視していたけれど、私だってこの学校の生徒の一人。動物にされないとは限らない。私にもリスクがある。普通の社会人になる前に人間をやめるのは嫌だ。
本当に相手が白露院なら、今の霊冥高等学校の教員に、対処できる人材はいない。
私はスマホを取り出して連絡先の画面を開いた。タップ一つで親族に連絡できる。でも、家が嫌いな私にはそれがなかなかできない。
……あの日、除霊師を目指すのはもうやめたのに。普通の人生を送ろうって決めたのに、何でこんな厄介事に巻き込まれるかな。
嫌な気持ちになりながらふと視線を落とすと、カーペットの上に丸くなっていた猫がぴくりと耳を動かした。
『ん?……あれ? もう夜か』
ミナトは眠たげな声で呟いてゆっくりと顔を上げ、ぱちりとこちらを見据える。
私は思わず立ち上がった。
「遅い!」
猫の口が、はっきりと人間の言葉を発している。よりによって今。
「何で今更意識戻るの!?」
『うおっ、わ、悪い。昨日も言ったけどいつ意識が途切れるかは俺がコントロールできるもんじゃなくて……』
ミナトは猫の姿のまま、いきなり怒鳴り付けられて驚いたような様子で言い訳してくる。
『昼間君に話しかけられたの、うっすらとは覚えてんだけど、返事する前にすーっと意識が落ちたんだよ』
「折角山本博士に繋いだのに……よりによって肝心なときに猫に戻るとか、ありえないんだけど」
『そんな怒るなよ。俺だって好きで戻ってるわけじゃねえよ』
そう、そもそもこいつが人間の意識を保っていれば、山本博士に猫を渡して終わり、という単純な話だったのだ。いや、そもそもこいつを拾わなければこの学校に迫る危機も知らずに済んで、私は昨日までと同様、のらりくらりと頑張りすぎないゆるゆる高校生活を送れているはずなのだ。
そう、全部こいつが悪いような気がしてきた! と心の中で八つ当たりをかます。
その時、レンジがチーンと間抜けな音を鳴らした。私は無言で扉を開け、温かくなった弁当を取り出す。
そして、ふと思い出して振り返った。
「……あ、そうだ。キャットフード、一応買ってきたよ」
言うと、ミナトが明らかに嫌そうな顔をする。
「何、その顔」
『いや、いくら猫の姿とはいえ、猫の食い物を食べんのは抵抗あるんだよな……ほら、人としてのプライドがさ……』
ミナトはもにゃもにゃと尻尾を振りながら、キャットフードの袋にチラリと目をやった。
『……チキン味とかだったら、まだ……いや、やっぱ無理かも……』
「面倒くさいな……」
私は呆れながら、ミナトのために皿を用意しに行った。一応、猫用フードが駄目だった時のためにシシャモも買ってきている。
猫に気を遣う日が来るとは思わなかった。
『おお! 助かる! ありがとな』
軽く焼いて持っていくと、ミナトは嬉しそうに小皿に顔を寄せて、シシャモを器用にひとつくわえた。
私は隣に座って自分の唐揚げをつまみながら、ふと思い立って問いかける。白露院が人を猫にするのに、前触れのようなものはあるのか知りたくて。
「ねえ、人間から猫になった時の記憶ってある?」
するとミナトは一瞬、動きを止めた。咀嚼する音がぴたりと途切れる。
『……まあ、多少は』
「その時、何してたの?」
箸を止めて見つめると、ミナトは私から目を逸らし、ゆっくりと尻尾を振った。
『……よく覚えてねぇな。その日はすごく疲れてて――目が覚めたら、もうこんな姿だった』
ミナトの耳が伏せ気味になった。何かを隠しているような、言いたくなさそうな雰囲気があった。
私は黙って冷めたご飯を口に運ぶ。触れてほしくなさそうな気配を察知してしまったからだ。ミナトもまた、皿のシシャモに口を戻す。
しばらくの間、食事音だけが部屋の中にぽつぽつと響いた。
「……動物になってるの、あんただけじゃないっぽいよ」
私は最後の米粒を食べた後、ミナトに教えた。
誰しも言いたくないことはあるだろう。でも一応、今は被害者が増えている段階だ。駄目元だが、状況を理解すればミナトも何か手がかりになることを教えてくれるかもしれないと思った。




