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ガリ勉優等生・山本博士の霊障事件手帖  作者: 淡雪みさ
FILE 3 白露院

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旧校舎



 ◆



「旧校舎、汚……」


 旧校舎の昇降口を通った瞬間、むわっとした埃の匂いが鼻を突く。何年も手入れされていないことは一目瞭然だった。床には無数のひび割れと、誰かが引きずったような黒ずみがあり、壁紙はところどころ剥がれ落ちている。蜘蛛の巣が天井の角にしっかりと張られていて、窓から差し込む光すら薄汚れて見えた。


 本当にここ、全く使われてないんだな……。


 私は周囲を見渡す。足元の床板がきしむたび、全身にじわじわと嫌な感覚が這い上がってくる。空気そのものが淀んでいるように感じた。

 隣にいる博士はというと、まるで気にも留めていない様子で、無言で前を歩いていく。博士は霊感がほとんどない分、この吐き気がするような嫌な空気の中でも躊躇わずに歩いていけるのだろう。鈍感なのはある意味長所だ。


「地下ってどこなんだろう……。人体模型にもっと詳しく聞けばよかった」


 私は小さく独りごちる。元々校舎として使われていた場所なので、とても広い。

 古びた廊下を博士と並んで歩きながら、あちこちに散らばる椅子や机と、壁に貼られた色褪せた掲示物を横目に見た。

 足元の木の板が不規則に軋むたびに、不気味な雰囲気が近付いてくる気がする。


 その時――ばきんっ! と、鋭く木が裂ける音がした。


「っ!」


 足元の感覚が消えた。驚いて息を呑んだが、もう遅い。床板が崩れ、私と博士の体は空に投げ出された。

 重力が私の体を一瞬で飲み込んでいく。周囲の光がぐるぐると回り、埃まみれの空気が頬を打った。横で博士が何か叫んだような気がしたけど、耳がちゃんと働いていなかった。

 ガンッと鈍い衝撃と共に、背中から床に落ちた。埃がもうもうと舞い上がり、しばらく視界が真っ白になる。息が詰まり、咳き込みながら上体を起こした。


「博士、生きてる!?」


 隣から低くうめくような返事が返ってきた。


「……ええ、問題ないです。骨も折れていません」


 博士の声だ。無事だったらしい。それを確認して、私はようやく息を全部吐き出した。

 見上げれば、ぽっかりと開いた床の穴がはるか頭上に見えた。そこから差し込む薄明かりが、私達を曖昧に照らしている。

 どうやら、地下に落とされたらしい。

 あの廊下が私たちの体重に耐えきれなかっただけなのかもしれないが、床が崩れるなんて、偶然にしては出来すぎている。まるで誘い込まれたみたいだ。

 私は床に手をつき、慎重に立ち上がる。博士も同じように体を起こした。その瞬間、ぞわっと全身に悪寒が走った。首筋が粟立ち、背骨の奥から凍りつくような感覚が這い上がってくる。

 ――いる。


「……あっち」


 私は暗闇の向こうを指差した。はっきりとした怨霊の気配がある。

 私と博士は肩を並べて歩き出した。最初は見えなかった足元が、目が暗さに慣れるにつれて徐々に判別できるようになる。割れたタイル、崩れたコンクリの柱、封じられていた何かが這いずり出たような爪痕。

 やがて目の前に現れたのは、体育館ほどの広さを持つ開けた空間だった。その中心に、古びた祠のようなものがぽつんと佇んでいる。

 ……いや、正確には壊された祠だ。

 屋根は片方が崩れ、木柱は裂けて倒れていた。封印を施していたはずの結界の気配は薄く、無残に破られている。兄が壊したのだろう。あの人なら、躊躇なくそういうことをする。


 そして、その祠の奥。

 全ての視線を吸い寄せるような、異様な存在があった。

 真っ黒な球体。どこまでも暗く、光をも沈ませるような塊。それはまるで、空間にぽっかり空いたブラックホールだった。


「……何でしょうか、あの黒い塊」


 博士が不可解そうに眉を寄せる。


「……中から人の気配がする」


 私はそう答えながら、鞘から刀を抜いた。

 まさか、あの中に動物にされた生徒たちがいるのだろうか。そうだとしたら、もしかしたら兄やミナトもそこに――。



『二人だけか。随分と舐められたものだね』



 ねっとりと、舌で肌を撫でられるような不快な声が空間に響き渡った。どこからともなく響くその声に、思わず背筋がぞわりと粟立つ。

 直後、何もなかったはずの空間に突如、鷹が現れた。空の裂け目からすっと出てきたそれは、一直線に私の方へと突っ込んでくる。


「うわっ! 動物霊!?」


 反応が間に合わなかった。

 鋭い爪が私の体を掴み、高く上空へと舞い上がっていく。息を飲む間もなく、視界がみるみる地から遠ざかる。

 白露院は動物霊を操ることができる。やばい、と思った瞬間だった。


 シュッと風を切る音がした。

 次の瞬間、私を掴んでいた鷹が矢に貫かれ、ギギ、と奇怪な声を上げながら黒い塵となって霧散した。支えを失った私の体は、宙に投げ出される。


 落ちる。

 重力が私の全身を真っ逆さまに引きずり落としていく。何も考える余裕がなかった。ただ、地面の感触を覚悟した。

 ドン、と衝撃が走ったが、痛みはなかった。

 私の体は、博士の腕にしっかりと抱きとめられていた。


「――無事でよかった」

「ひ、博士……」


 博士はほっとしたようにそう言って、どこか張りつめた目付きで空を睨む。


「優眠さん、上空にも警戒してください」


 博士の視線の先を追う。

 その瞬間、私の全身に戦慄が走った。


 ――沢山いる。

 鋭く光る視線が幾つも浮かんでいた。ハヤブサ、ハゲワシ、フクロウ――猛禽類の霊だ。品定めするかのようにじっと私たちを見つめている。

 はっとして正面に目を戻すと、地上では、虎、クマ、狼、ヒョウ……大型の獣たちが静かにこちらを取り囲んでいた。

 よく見ると、どの動物も体表が不自然に揺らいでいる。




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