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ガリ勉優等生・山本博士の霊障事件手帖  作者: 淡雪みさ
FILE 2 理科室の声

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人体模型との約束



『そう、あれは三年前の春……』

「聞いてないわよ」


 すかさず割って入った花恋さんは、辟易したように顔を顰めている。

 しかし、人体模型は構わず続けた。


『湊クンは遅くまで理科室に残って、ずっと勉強をしてた。化学が苦手みたいで、眉間にしわを寄せて、すごく真剣な顔で……。アタシは湊クンの顔と、努力家なところに惚れたのヨ。だから三年間、授業のたびに湊クンをずっと見ていた』


 人体模型は、どこか遠くを見つめるように虚ろな目で言う。花恋さんがぼそっと「怖……」と呟いたが、人体模型は語るのに夢中で聞こえていなそうだ。


『でもね、三年生の三学期。先生が来て、湊クンを呼び止めたの。〝テスト、どうした。大事な時期なのに前より落ちてるじゃないか〟って。湊クンは、黙って下を向いていたワ。明らかに傷付いてること、アタシでも分かった……でも先生ったら、平気で言うノ。〝そういえばお前の弟、首席入学らしいぞ〟って――』


 私達が黙って見守る中、人体模型はそっと首を傾ける。目の奥に、過去の幻を浮かべるように。


『……あの時の顔、忘れられない。悔しくて、惨めで、消えてしまいたいって顔してた。あんなに綺麗な目が、あんな風に曇るなんて。だからアタシ、思ったの。湊クンのことを守ってあげたいって、傍にいてあげたいって……。そう強く願ったら、いつの間にか動けるようになってた。言葉も喋れるようになっていたノ。だけどその日から、湊クンは理科室に来なくなって……』


 突如、人体模型の泣き声が理科室に響き渡る。


『アタシはもう、湊クンとは会えない運命なのヨッ!』


 ガタガタと試験管の入った棚が震え、天井の蛍光灯がチカチカと瞬いた。人体模型の強い感情に反応して、理科室の空気が軋んでいる。


 その傍らで、私はちらりと博士の顔を盗み見た。

 暗がりの中、博士の表情はよく見えない。博士は、兄である湊が自分と比べられていたことを知っているのだろうか。たとえ知っていたとして、兄が自分のせいで思い詰めていたと分かれば、かなり複雑なのではないだろうか。

 私は人体模型を見据え、はっきりと口を開いた。


「……山本湊をここへ連れてきたら、白露院がどこにいるか教えてくれる?」


 人体模型の嗚咽がぴたりと止まった。ぎぃ……と、首が不気味な角度でこちらへ向く。涙でぐしゃぐしゃの顔に、驚きと警戒、そしてほんの少しの希望が浮かんでいる。


『……ホントに? ホントに、連れてきてくれるノ?』


 私は黙って頷いた。連れてくると言っても、湊は今猫の姿である。今の湊の姿を見て人体模型がどう感じるかは分からない。けれど、連れて来るだけなら可能だ。


『アタシ言っちゃうカモ。湊クンが来て、アタシの目を見て優しくしてくれたら……白露院のこと、話しちゃうカモ』

「分かった。連れてくるって約束する」


 私は人体模型の目を見て言い切った。信じてもらえるように、はっきりした口調で。

 やっと白露院の手がかりになりそうな魂を見つけたのだ。交渉材料があるのであれば活用していきたい。


「湊を連れて改めて出直す。……この人の縄、解いてもらえるかな?」


 花恋さんに視線を送ると、彼女は困惑した顔で返してくる。


「折角捕まえましたのに、逃がすのですか?」

「多分その御霊具は、こいつが本気になれば外れると思う」


 私の言葉に、花恋の表情がさらに曇った。彼女は納得がいかないのか、唇を引き結んで手の中の縄に視線を落とす。

 この人体模型がどれほどの霊力を持っているか、私にはもう大体視えている。私たちの今の装備で、正面から戦って勝てる相手じゃない。下手に逆なでするより、約束を守って丁寧に立ち回った方が良い。


「……優眠様が言うなら……」


 花恋は小さく言って縄を解いた。

 縄が解かれると、人体模型はパキパキと音を立てて関節を回しながら、満足そうに背伸びをする。そして、肩をすぼめてにやりと笑った。


『アナタ、強いのネ』


 その声は私に向けられていた。


『アタシの力量が視えている。アタシの声にも一番最初に気付いた。アナタが一番、勘が鋭いワ。人間はそういうのを、霊感って呼ぶんだったかしら?』


 気味の悪い笑み。冷ややかな汗が背を伝うのを感じながら、視線だけで応じる。


「……どうも」


 私たちは理科室から退出する準備を始めた。花恋さんは警戒を解ききれない様子で人体模型から距離を取っている。博士は何も言わなかった。


 私達三人が、扉の前まで来たその時。

 背後から、あの妙に艶やかな声が不意に響いた。


『でも、気をつけた方がいいワ』


 振り返る。

 人体模型は、もう先程までの軽薄な様子ではなかった。静かに、重々しく、言葉を続ける。



『アナタ、白露院に恨まれてる』



 理科室の扉が閉まる。

 私達三人は無言で廊下を歩いた。足音が等間隔で響く。校舎の外灯が遠く、窓の外はほとんど闇だった。

 博士が不意に口を開いた。


「遅いよりも早い方がいいでしょう。明日の朝、僕も時間を作りますので、もう一度あの理科室に――」

「次は私一人で行く」


 言った瞬間、博士の足が止まった。その顔にはわずかな困惑が浮かんでいた。


「……何故ですか?」


 その問いに、私はすぐに答えられなかった。言葉が喉の奥でつかえて、口を開いたまま何も出てこない。心の奥にある確信は、まだ形になっていなかった。だから、視線を外しながら言った。


「考えがあるの。とにかく私に任せてほしい」


 嘘じゃない。けれど、全部は言えない。あくまでまだ予想に過ぎない、湊のプライバシーだから。

 不思議だった。ずっと。いつもは昼間起きているのに、何故博士が来るタイミングで、毎度湊の意思が猫のものになるのか。


 多分湊は――――博士がいると出てこない。





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