オカマの人体模型
「それでお兄様は、この理科室の幽霊についてどこまで情報を得ていますの?」
真剣な顔に変わった花恋さんは、顔にかかった髪を耳にかけながら博士に尋ねた。
博士が返す。
「物音がする、何者かが話しかけてくるということしか伝えられていませんが。花恋は他に何か?」
花恋さんはちらりと私に目をやった後で、博士に向き直って勝ち誇ったような得意げな顔で言った。
「わたくしは、理科室にいるのは動く人体模型であるという証言を得ましたわ。被害を受けた方全員に聞き込み調査をしましたの」
「人体模型ですか……物に魂が宿ったものということですね」
博士は顎に手を当てながら考え込むようにそう言った後、ポケットから再び小型の懐中電灯を取り出した。
花恋さんが先陣を切るように、通り過ぎた理科室の方へ体を向ける。
「さあ、参りましょう。正体を確かめてみなくては始まりませんもの」
彼女の背を追うように、私と博士も歩き出す。
理科準備室の前まで来たとき、私は思わず足を止めた。空気の層が違う。重く、ひたひたと湿った感触が肌にまとわりついてくる。
理科室のガラス越しに見える骨格標本が、薄闇の中でこちらを睨んでいるようだった。
『――あらぁ、あなた、元がいいわネ』
ふと何かが聞こえた。振り返っても誰もいない。風は止まっている。足音ひとつ、聞こえない。
「……今、何か喋った?」
「僕は喋っていませんが」
私が問いかけると、博士は首を横に振る。花恋さんの方にも聞こえていないようだった。
気のせいだろうか、と私は首を傾げる。
三人でおそるおそる理科室の扉を開けた瞬間、ツンと鼻を突くような悪霊特有の生臭い匂いが立ちこめた。どこか腐敗したような、薬品にも似た、得体の知れない刺激臭。思わず眉をしかめた私の耳元に、またねっとりとした声が囁いた。
『――あらぁあらぁ。肌ツヤが若さって感じネ。やだぁ、うらやましい』
ゾクリと背中を這う冷たい感覚。振り向くと、壁際の棚の隅――埃をかぶった人体模型が、まるで命を宿したかのように赤く目を光らせてこちらを向いていた。
それは明らかに異様だった。割れた唇に真紅の口紅が塗られ、睫毛は不自然なほど長く、肘をくねらせたポーズを取っている。胸にはなぜか詰め物がされ、無理やり女性の体型に整えられていた。だが、男の骨格のまま。まるで、オカマのような人体模型だ。
花恋さんが気色悪いものを見たかのように顔をしかめたその瞬間。
『――あらあらぁ、その子……気取った態度で、ちょっと気に入らないワァ』
一際低く、どこか怒気を含んだ声が私の耳に届いた。次の瞬間、隣にある理科室の棚がガタガタと激しく揺れ始める。中に入っていた器具が跳ねるように暴れ、ガラス器具がカチャカチャと不気味な音を立てる。
棚が開き、花恋さんの頭上に器具が複数落下していく。
「危ないっ!」
咄嗟に体が動いていた。私は花恋さんを強く押しのけ、自分の肩でその落下物を受け止める。鈍い衝撃が背中を走り、床に倒れ込むようにして二人とも崩れた。
「大丈夫!?」
花恋さんを庇いながら、人体模型の動きを確認した。人体模型は、ゆっくりと首を傾けて笑っている。
『あらやだ……惚れちゃいそう……その勇気、100点満点よォ。お友達にならない?』
ぬめるような声が、頭の奥にこびりつく。どうやらこの声は、私にしか聞こえていないらしい。
『でも、そこの女はやっぱり、気に入らないワ』
人体模型の異様な顔がカクンと傾いたかと思うと、ぎしぎしと関節を鳴らしながら、一歩、また一歩と歩み寄ってくる。
模型の瞳孔のない目が、どこを見ているのか分からない。だが確実に花恋さんを狙っていることだけは伝わってきた。
床を引きずるような音を立てて人体模型が近づいてくる。
「花恋さん、逃げて……!」
私は思わず叫び、人体模型の進行方向に立ちはだかる。
――しかし、次の瞬間、人体模型は私をすり抜け、背後に立っていた。
いつの間にか、花恋さんのすぐ傍にいる。
私が振り返ると同時に、人体模型が腕を振り上げた。関節のボルトが悲鳴のような音を上げ、金属の骨格がきらめく。
花恋さんは反射的に身をひねり、模型の攻撃をかわす。花恋さんの背後のガラス棚がガシャンと砕け散った。
花恋さんは咄嗟に理科室の机に手を伸ばし、金属の三角フラスコ立てをつかんだ。握りしめたまま、思い切り振りかぶる。
「来ないで、キモい!」
叫びとともに渾身の力でそれが人体模型に打ちつけてくる。がしゃんッと鈍い衝撃音がした。人体模型の頭がぐらつき、首の接合部が外れてカクンと垂れる。しかし、倒れない。
私はこの隙にと思い、咄嗟にポケットへ手を伸ばした。あるのは霊の動きを封じる用の塩だ。しかしその瞬間、指先に奇妙な痺れが走った。肩から先、まるで金縛りに遭ったように動かない。
「……ッ!?」
力を入れても、まるで腕が封じられたようにびくともしない。模型の視線がこちらに移っていた。まるで、塩を出す意図を読み取られたようだった。
『それは嫌いヨ。出さないでちょうだい』
脳内に直接響く声。女とも男ともつかぬ高音。その声は、明らかに威圧感を帯びていた。私はぎゅっと奥歯を噛み、無理にでも手を動かそうとするが、肘から下は石のように硬直している。




