優眠様
結局博士に門の内側から鍵を開けてもらい、何とか校内に足を踏み入れた。人気のない夜の霊冥高等学校は、昼間とは別世界のように静まり返っている。
理科室へ向かうまでの廊下は暗く、足音が妙に大きく響いた。スマホのライト機能を使って足元を照らしながら歩く。
旧理科室のある棟は、校舎の中でも特に古い。廊下に設置されたガラス窓の内側には誰かが描いた不気味な落書きが残っていて、掲示物が風で揺れ、擦れて音を立てる。
私はちらりと横を歩く博士を盗み見る。さすがというか何というか、こんなに不気味な雰囲気にも一切怯えていない様子だった。
その時。
コツ、コツ、と廊下の奥の階段から誰かが降りてくる音が聞こえた。
「……待って。誰か来る」
私は咄嗟に、少し前方を歩く博士の腕を掴んだ。
悪霊の気配はしない。でも、相手が幽霊の類でなく学校関係者である方が、今この状況では厄介だ。
スマホの光を静かに消す。辺りは再び闇に包まれた。
壁に身を寄せて息をひそめる。足音はゆっくりと、迷いなくこちらに近づいてくる。そして階段の先に、かすかに影が見えた。
窓から差し込む月明かりに照らされながら降りてきたのは――艶やかな黒髪を腰まで流した、中等部のマドンナと名高い、山本花恋だった。
目が合う。花恋さんは私を見て一瞬動きを止めた。そしてゆっくりと目を見開き――
「ま、ままままま……真中優眠!?」
ズザザザザザッと、勢いよく後ずさった。
驚愕の声が廊下に響き渡る。
遠目から見てクールなイメージのあった彼女は今、何故か顔を真っ赤にしている。目を見開き、両手で口元を抑えるその様子は、まるで滅多に会えないアイドルでも見たかのような反応だった。
「この展開は予想外ですね……」
隣の博士がぽつりと呟く。
「お兄ちゃん!?」
声でようやく私の隣にいる博士の存在に気付いたらしい花恋さんが、再び驚愕の声をあげる。
「な、な、な、なな何でっ、お兄ちゃんがこんな夜中に、こんなところでっ」
動揺を隠せていない様子だ。中等部のマドンナ、クールビューティーと評されていた彼女が、ここまで素直なリアクションを見せてくるキャラクターだとは思っていなかった。
博士はいつも通りの落ち着いた口調で返す。
「幽霊退治を依頼されました。花恋もそうなのではありませんか?」
「わ、わた、わたしもそうだけど……」
頷きながらも、花恋の視線はちらちらと私の方に向けられ続けている。
「何でお兄ちゃん、この人と……」
その視線には、明らかに戸惑いが混じっている。
しかし博士は妹の動揺など意にも介さずさらりと言ってのけた。
「優眠さんとは今後、バディを組もうと考えていまして。その予行練習として、たまにこうして行動を共にしているのです」
「いや、バディを組むことは一度も了承してないけど……」
すかさず否定するが、博士はどこ吹く風で首を傾げる。
「では、前向きに検討中ということですか?」
「前向きでもない」
思わず語気が強くなった私に、花恋はますます困惑したような表情を浮かべていた。
そして俯き、きゅっと制服のスカートの裾を握りしめる。
「そっか、お兄ちゃん、もう接触してたんだ……わたしが何もできずにいた半年の間に……しかも、なんか親しそう……そんな話、聞いてない、聞いてない、聞いてない……」
どこか壊れた人形のように、ぶつぶつと呟き続けていた花恋は不意に黙り込むと、ぱっと顔を上げた。
黒目がちの瞳が私を映し出す。
「優眠様」
……様?
花恋はしゃんと背筋を伸ばし、きゅっと両手でスカートの両端をつまむと、丁寧に引いて広げた。
「申し遅れました。わたくし、中等部二年の山本花恋と申しますの。以後お見知り置きを」
まるで貴族のご令嬢のような完璧すぎる礼。さっきまでパニックになっていたのが嘘のように、彼女はキリリとした顔つきになっている。
「え、あ、ああ、うん。よろしく」
反して私は情けない返事を返すことしかできなかった。
友達がいない私に仲の良い後輩なんてもっといない。年下に対してどう接していいか分からず、素っ気ない返ししかできない。
けれど花恋さんは何故かぱぁっと目を輝かせ、嬉しそうに顔を綻ばせる。その表情が花のように愛らしくて、これはモテるのも分かるかも……と納得した。
花恋さんも、眼鏡を外した時の博士に負けず劣らず美形だ。山本家の遺伝子、恐るべし。




