理科室の幽霊
「それで、白露院のことなのですが」
博士が少し視線を逸らし、照れ隠しのようにごほんっと咳払いをした。そしてすぐに真面目な表情へと戻り、話題を切り替えた。
「幽霊の行く先を足で追って探るという方法には、そろそろ限界を感じています」
「……うん」
「動きを予測できない霊を追いかけるのは、それ自体が困難ですし。仮に見つけたとしても、その場所が白露院の本拠地である保証はありません。以前の落ち武者のように、単に自分の未練のある場所をさまよっているだけ、ということも多いでしょう」
「それはまあ、たしかに」
単純に後を追うやり方では、時間がかかりすぎる。ミナトの猫としての時間が有限である以上、悠長にはしていられない。ミナト本人の意識がいつ戻らなくなるかわからないと思うと、焦りだけが募っていく。
「そこでです」
博士が唐突にポケットからスマホを取り出した。
こいつスマホ持ってたのか、とちょっと驚く。学校でもスマホをいじることが多い私と違って、博士はスマホを出している姿を見たことがない。連絡端末を持っていることが少し意外だった。
博士は画面をこちらに向けた。そこにはメッセージアプリの画面が開かれている。相手はどうやら私の知らない、他の生徒のようだった。
『理科室の幽霊をどうにかしてほしい。〝会いたい、アナタが恋しい〟とすすり泣くような声が何度も聞こえる』
目が自然と細くなる。
博士が説明を付け加えてくれた。
「生徒からの依頼です。理科室で不気味な現象が相次いでいるとのこと。他の生徒では祓えなかったそうで、優等生の僕に連絡が来ました。生徒の証言によると――この幽霊、喋るそうなんです」
「ええっ?」
「複数の生徒が声を聞いたと証言しています。しかも、会話のように応じてきた、と」
「……人とコミュニケーションを取れる霊ってこと?」
私は、自然と背筋が伸びるのを感じた。そんな存在、そうそういるものじゃない。人間の言葉を理解して、言葉を発するということは、幽霊の中でも階級が上だ。
「強い個体である可能性が高く、少々危険ですが、幽霊に白露院のことを直接聞くという作戦に切り替えましょう」
直接、聞く。普通はそんなことしない。
幽霊とは祓うものであり、話すものではない。……でも。
「……話が通じる相手なら、白露院の居場所を教えてもらうことができるかもしれないってことか。危険性は高いと思うけど……」
「はい。もちろん、慎重にいきます。相手がどこまで理性を保っているかは分かりません」
博士がスマホをポケットにしまい、静かに立ち上がる。
「では早速、準備が整い次第、理科室へ向かいましょう」
「えっ? 今から!?」
私は思わず声を上げていた。
山本博士は、まるで当然のように頷く。
「ええ、はい。昼間は文化祭準備で忙しくて、なかなか動けないので」
そうか、それが目的でこんな時間にわざわざ食材を持ってうちに来たのか。来る前に説明しといてよと思ったけれど、そういえば博士は私の連絡先を知らない。
私は自分のスマホの画面を付けてQRコードを差し出した。
博士が目を丸くする。ほんの少し、間抜けな顔だった。
「私の連絡先教えとく。今度来る時は事前に言って」
「……はい、ぜひ……!」
博士が慌ててスマホを取り出す。
夜の気配が窓の外に深まっていく。
そういえば、この高校の生徒と連絡先を交換したのは初めてだ。
〝あたらしい友達〟の欄に追加されている博士のアカウントを見て、友達のいない私は少し感慨深かった。
夕食を終え、私は制服の裾を直しながら寮を出た。夜の空気はすっかり冷たく、秋の匂いを深く孕んでいる。
文化祭の装飾が風に揺れ、カラカラと寂しく音を立てていた。
校門の前に着いた時、私は思わず立ち止まる。
「……閉まってるじゃん」
時刻を確認すると、すでに十時を回っていた。霊冥高等学校の決まりでは、夜十時以降、許可のない生徒の校舎立ち入りは原則禁止である。
こんなのバレたら絶対怒られるやつだ。
「問題ありません」
隣にいた博士が立ち止まり、深呼吸を一つする。
少し後退し、気合いでも入れるようにしてスッと助走したかと思えば――そのまま軽やかに柵のてっぺんに手を付き、無音でそこを飛び越えた。
アクロバティックな映画を観ている心地だった。
博士はあっさりと向こう側に着地し、軽く服の埃を払ってから、涼しい顔でこちらを振り返る。
「さあ、優眠さんも!」
「いや、無理」
誰もが自分ほど運動神経がいいと思わないでほしい。




