俺も動物は好きなんだ
びくりと肩が跳ねた。
ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは男子寮の寮長――名前は覚えていないが、高校三年生の先輩だった。
長い睫毛の影から覗く涼しげな目元、白い肌に儚げな微笑みを浮かべている。山本博士とは別ベクトルの、中性的な顔立ちの美形だ。
まずいと思った。
私の腕の中で丸くなっている猫を見られてしまった。この学校では、小動物は危険性が高いとして殺処分されてしまうことが多々ある。というか、白露院に利用されやすいからそうすべきであるとされている。
このことをもしこの寮長が学校側に知らせたら、私の部屋も徹底的に調べられるかもしれない。
赤く染まった空は西の端から黒に溶けていく途中で、雲の縁がじわりと血のような色を滲ませている。男子寮の壁に映る影はまるで地面を這う亡者の指先のように伸びている。風は止まり、あたりは妙に静かだった。
寮長の顔が、何だかやけに不気味に見える。
心臓がバクバクと暴れた。
寮長と私の目が合う。お互い一言も発しないまま、ただ睨み合うように見つめ合う。寮長の目はひどく冷たかった。
風が一度、二人の間を撫でていく。私はごくりと唾を飲み込んだ。
数秒して寮長がふっと唇の端を上げ、微笑んだ。
「拾ったの? その子」
優しい声音で、何事もなかったように聞いてくる。
私は声にならないまま目を瞬かせた。彼の真意が読めない。てっきり注意されると思ったのに。
「気を付けなよ? 事務員にバレたら殺されるよ」
あははと明るく笑われ、私は戸惑ったままぎこちなく頷く。
「すみません。事情があって一時的に匿っているんです。あの、このことは……」
「言わないよ。こっそりペット飼ってる奴、うちの寮にも結構いるしね」
寮長は一歩私の方へと歩み寄り、私の腕の中で丸まる猫の頭をそっと撫でた。
「俺も動物は好きなんだ。自分より弱い存在ってかわいいよね」
そう言って、寮長は目を細める。
「同じ動物好きとして、このことは隠しといてあげる」
私の心臓が、やっと緊張をほどいて静まっていく。
「ありがとう……ございます」
「ふふ。内緒だよ。見つかったら俺も怒られちゃうからね」
寮長が口の前で人差し指を立てて、内緒話のように囁く。沈みかけた陽に照らされた彼の横顔は、どこかこの世のものではないような、美しさと危うさを併せ持っていた。
私は猫を抱き直して深く頭を下げ、その場から早足で立ち去った。
夕焼けの影がさらに長く伸びていく。寮の灯りがぽつりぽつりと灯り始めていた。
◆
女子寮に帰って自分の部屋の扉を閉めると、ようやく一人になれた安堵が胸に広がった。
部屋の灯りをつけ、猫を布団の上にそっと降ろす。「もう脱走しないでよ」と呟いても、猫は知らん顔で毛づくろいを始めている。言葉が通じないとは厄介だ。早くミナトの意思が戻ってきてほしい。
制服を脱ぎ、スウェットに着替える。外の空気はすっかり秋の色を深めていて、体が冷えていたことにようやく気づいた。
私はローテーブルの下に隠しておいた買いだめのカップラーメンを取り出す。
封を破り、ポットの湯を注ごうとした時、スマートフォンが震えた。
画面に表示された番号は知らないものだった。
私は湯を注ぎかけていたポットを止め、嫌な予感がしながらも通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『おう、久しぶりやな。ゆみたん』
耳に飛び込んできたのは、懐かしくてうざったい、関西弁の男の声だった。
京都の本家にいる私の――兄だ。
ずっとブロックしていたはずなのに、まさか別の端末から連絡してくるとは。嫌すぎる。
「……急に何? 大した用事がないなら切るけど」
『つめたぁ。もっと優しぃしてよ。俺、唯一無二のゆみたんのおにいちゃんやんかぁ』
「三秒以内に本題に入って」
『はいはい、俺なあ――』
そこで一拍置いて、兄はふっと笑ったような声を漏らした。
『今年の霊冥の文化祭、行くから』
「……は?」
突拍子のない一言にさっきまでの驚きも吹っ飛ぶ。
スマホを握る手に力が入った。
『心配せんでも行くんは俺だけ。親父とか家の奴らは行けへん。ゆみたんに嫌われとるん知っとるし』
「なのに何でお兄ちゃんは来るわけ?」
『いちおう霊冥、俺の母校やで? 懐かしい先生方にも挨拶したいし。あと……あんだけ除霊師目指すん嫌がっとったのに、無理やり霊冥に入れられてもうたゆみたんの顔もたまには見たなってな! ぎゃはは! 傑作や!』
「…………」
沈黙が落ちる。私は言葉を失ったままスマホを見つめた。
私の兄――真中清光は、霊冥高等学校を卒業後立派な本家の跡継ぎとなり、メディアでも活躍中の大人気除霊師だ。
そんな奴が学校に来たら、一気に注目を浴びるに決まっている。
「来ても知らない人のふりするから」
『ええ!? ほんまに言うとる? さすがにそれはひどいんちゃう――』
ブツッ。
私は通話を切り、兄の新しい電話番号を着信拒否した。
気を取り直してポットの取っ手に手をかけお湯を注ごうとした、まさにその時。
ピンポーンと、部屋のインターホンが甲高く鳴った。
今度は何だ。
私の部屋を訪ねてくるような人物はそういない。何故なら私には友達がいないからだ。しかも今日は文化祭準備の疲れもあって、みんな早めに自室に戻っているはず。
警戒しつつ、ドアスコープを覗く。
「……は?」
そこにいたのは、スーパーのロゴ入りレジ袋を両手に提げた山本博士だった。
どう見ても完全に買い物帰りだ。
私は混乱しながらドアを開けた。
「どうしたの……?」
「こんばんは。夕飯、まだですよね」
少しだけ得意げな色をにじませながら、山本博士はレジ袋の中身を掲げて見せた。袋からはネギや豆腐、肉のパックがちらりと覗いている。
「今日は文化祭準備で忙しくて、お昼を一緒に食べられなかったでしょう? 真中さんの栄養が偏っているのではないかと思いまして」
オカンか……!!




