御霊具
「しっかり掴まっていてください」
「わ、分かった」
山本博士の背後にまたがる。原付の座席は思ったより高い。猫を抱き、少し遠慮しながら、空いているもう片方の手をそっと山本博士の背中に置く。
「行きます」
博士がアクセルをひねると、バイクは軽やかに前へ滑り出した。風で髪が大きく揺れる。
バイクなんて乗るのは初めてで、何だか胸がどきどきした。
落ち武者が走り去っていった方向である第二グラウンドを横切ったが、その姿は見当たらない。
「見失ってしまいましたね……」
山本博士がブレーキをかけ、バイクがゆっくりと止まる。
第二グラウンドの端に差しかかったが、視界には誰の姿もない。風が落ち葉を巻き上げ、がらんとした昼休みの校庭が、やけに静かに広がっていた。
私は半ば諦めながら周囲をぐるりと見渡す。と、その時。
「ニャアアッ!」
猫が大きく鳴き、するりと私の腕の中からすり抜け、地面に降り立った。風になびく尻尾をぴんと立てながら、真っすぐ一点を示している。
「……どうやら、導いてくれているようです」
山本博士が感心したように言った。
確かに、動物の方が人間よりも霊的なものの気配には敏感だ。
猫は鳴きながら小走りで先へ進んでいく。私たちは再びバイクを発進させ、ゆっくりとその後をついていった。
猫の導きに従い、第二グラウンドの端を回り込む。古びたフェンスの奥、使われているのかいないのか分からないテニスコートの隣に、ひっそりと建つ小さな二階建ての建物があった。
硬式テニス部の部室だ。
ここだけ孤立していて部活の時間以外で生徒が通ることもないため、曇り空の下にあると、やけに不気味に見えた。
「何で落ち武者の幽霊が何の変哲もないテニス部の部室に……まさか、あの中に白露院が?」
「白露院を封じている場所に部室は作らないと思います。加えて、この場所はかつて戦乱があった土地の真上……彼はまだ、戦っているのでしょう」
つまり、あの落ち武者は白露院に引き寄せられているというよりは、自分がかつて戦った場所に向かっていたということだ。
彼を追っても白露院には辿り着かない。とんだ無駄足だったかもしれない――と脱力していたその時だった。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
部室の中から人の悲鳴が聞こえた。
「いけません! 中で生徒が襲われています。人を襲うのであれば一刻も早く祓わねば……!」
「ええ!? 祓うつもりなかったから何の準備もしてないんだけど!?」
「僕が持っています」
山本博士はバイクに乗せていた三巾サイズの大風呂敷から弓具を取り出した。
「まさかそれ、御霊具……?」
「はい。僕の御霊具は弓です」
御霊具というのは、除霊をする時に扱う弓や刀、銃などの武器のことだ。
かなり高価なので学校から貸し出される場合がほとんどだが、個人で持っている生徒もいる。
山本博士は弓道部。全国大会にも出場している。もしかすると弓の腕を鍛えているのは、除霊のためという理由もあるのかもしれない。
山本博士がバイクから降りて走り出す。
ここで全部任せて逃げるのも忍びないので、私は慌てて山本博士の後を追った。
外の階段から二階に上がり、慎重に部室のドアノブを回す。
万年帰宅部の私が運動部の部室に侵入するのは初めてだ。
勇気を出してドアを開ける。
中には生徒が一人、倒れていた。
あとは誰もいない。落ち武者の姿も見当たらない。汗と革製品の香りが混ざった部室独特の匂いがするだけだ。
山本博士が倒れた生徒に駆け寄る。そして呼吸と脈を確認した後、深刻な表情で弓をその場に置いた。
「まずいです。一刻も早く保健室に連れて行かなくては……。真中さん、除霊は任せてもいいですか?」
「え?」
私は驚いて山本博士を見つめ返す。
「僕は彼をバイクに乗せて保健室に戻ります。なので、後は真中さんに頼みたいです」
倒れているのは、おそらくテニス部の部員であろう大の男。
私は原付バイクの免許なんて持ってないし、自分より大きな男子生徒を担いで運ぶこともできない。
山本博士が生徒を保健室まで運び、私がこの部屋のどこかに隠れているであろう落ち武者の除霊をするというのが、今考えられる最善策だ。
できない――ということはない。技術的には。私は弓も刀も銃も、御霊具の類であれば一通り扱える。
でも、できない。
「む……無理」
私はか細い声で拒否した。
「私、人の幽霊は除霊できないの……」
昔は兄に付いていって、よく幽霊を祓っていた。山本博士と同じように、自分の御霊具だって持っていた。
だけど、ある日を堺に私は除霊をやめた。
御霊具だって実家に置いてきた。除霊師を目指す高校に進学させられることになったって、もう二度と誰も祓わないと決めたから。祓おうとすれば恐怖で足が竦むから。
「昔、女の人の生霊を祓ってしまったことがあるの。あの人の魂はまだ、現世と結びついていたのに。鎖で肉体と繋がれていたのに、私は、その人を殺してしまった」
打ち明けながら、声に力が入っていく。




