第9話『呼ばれなかった名前が、あなたを選ぶ(The Hanged Man)』
Ⅰ. 導入(現実)|寄る、という距離
朝。
目覚ましより少し早く、スマホを見てしまった。
同時視聴者数。
登録者数。
再生回数。
横ばい。
減ってはいない。上がってもいない。
(……まあ、こんなもんか)
そう思えたことに、引っかかりが残る。
諦めじゃない。
考えなくて済ませた、という感触。
玄関で鍵の音がした。
続いて、遠慮のない足音。
「おーす」
澪だ。
幼馴染で、暇ができると“寄る”。
「おばさん、もう出た?」
「さっき仕事行ったよ」
「よし。じゃ、ちょっとだけ」
澪は必ずそう言う。
“ちょっと”の範囲が曖昧でも、
ここは自分の家じゃないという線だけは越えない。
リビングで腰を下ろし、澪はスマホを取り出した。
「ね、これ使ってる?」
画面に映るロゴ。
最近、やたら目にするAI。
Etera
「質問するとさ、
無難な選択肢まとめて返してくれるんだよ」
「無難、ね」
「うん。楽。
考えなくていいの、助かる」
澪は軽く言う。
怖がってもいないし、疑ってもいない。
便利なものを、便利に使ってるだけの顔。
その横顔を見ながら、
オレはなぜか、
昨日の配信で見た“整いすぎた言葉”を思い出していた。
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Ⅱ. 星の兆し|軽くなる決断
部屋に戻ると、しおぽんがソファの端に座っていた。
今日は跳ねない。
「しおぽん」
「うん」
「……最近さ、
みんな決めるの早くないか」
しおぽんは首を傾げる。
「早いんじゃないよ」
「軽いの」
「軽い?」
「決めるときに、
痛くならなくなってる」
それ以上、言わない。
説明になりそうなところで止める。
オレは配信の準備をする。
胸の奥で、
“今日は途中で切るかもしれない”
という予感だけが、
形を持たずに残っていた。
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Ⅲ. 接続|配信(整いすぎた言葉)
配信開始。
コメント欄はいつも通り流れる。
数字も、問題なく動いている。
《こんばんはシオンさん》
《今日もこの時間待ってた》
《安心する》
安心。
その言葉が、以前より少し重く聞こえる。
《尖ってないのがいい》
《分析した?この構成》
流れの中に、一行。
《Eteraで見たけど、
今このテンポが一番離脱少ないらしい》
誰も悪気はない。
役に立つ情報として置いていくだけ。
オレは、胸の奥で小さく思う。
(……正しいな)
正しい。
だからこそ、
どこかで誰かが削られている気がする。
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Ⅳ. 相談者の影|VTuber「リラ」
相談者が入ってくる。
女性。二十代前半。
名乗りは 「リラ」。
VTuber。
顔は出していない。
声は落ち着いている。
“聞かれる声”だ。
「こんばんは。相談、いいですか」
「どうぞ」
リラは最初に数字の話をした。
「リーグが、上がらなくて」
「落ちてはいないんです。横ばいで」
「Etera、使ってます」
聞かれる前に言う。
言い訳じゃない。現状報告だ。
「配信時間も、企画も、話題も」
「言われた通りにやると、整うんです」
整う。
その言葉に、オレは澪の顔を思い出す。
「でも……」
少し間。
「私、VTuberなんです」
「自分を見て欲しいけど、
みんなが見てるのは“リラ”で」
「それが正しいって分かってます」
「その方が伸びるし、安心される」
声が、ほんの少しだけ揺れる。
「でも最近、
配信してても“中の私”が薄い」
「本当の自分を見てほしいって思うのに」
「見せない方が、数字が動く」
「……みんなが好きなのは、
リラであって、私じゃない」
それでも、リラは言う。
「それでも、上に行きたいです」
「だから……占ってほしくて」
AIは答える。
でも、代わりに迷ってはくれない。
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Ⅴ. 沈黙の詩|人格の位置
【沈黙の詩】
『正しくなるほど、
私は外に出る。』
オレは、すぐに言葉を足さない。
足した瞬間、それは“指示”になる。
息をひとつ。
「詩は形、
韻は響き、
祈は還り。」
今日は星界が来ない。
代わりに、
現実の輪郭だけが、静かに浮かび上がる。
(……書き換える)
【詩の書き換え】
『私は、
私を守るために、
私を差し出している。』
「タロット展開――」
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Ⅵ. 占い|吊るされた男(尊厳としての自己犠牲)
カードは三枚。
カードは三枚。
だが、コンパスに来たものが重い。
コンパス:The Hanged Man
トリガー:Eight of Pentacles
ルート:The World
オレは吊るされた男から視線を外さない。
「……これ、自己犠牲のカードだ」
リラの呼吸が、少しだけ浅くなる。
「上に行くために、何かを差し出してる」
「睡眠でも、時間でもない」
一拍。
「中のあなただ」
吊るされている。
苦しそうに見える。
でもこのカードの怖さはそこじゃない。
「吊られてるんじゃない」
「自分で、その位置にいる」
次に、Eight of Pentaclesを見る。
「積み上げてる。
努力も改善も、ちゃんとできてる」
「だから伸びないわけじゃない」
「むしろ、伸びる方向には進んでる」
ここで慰めはしない。
“できてる”は救いじゃない。
確認だ。
最後に、World。
完成。統合。
“正しいVTuber”としての到達点。
「ここに入れば、数字は動く」
「リーグも上に行ける」
オレはそこで止める。
止めたまま、続ける。
「でも、その完成は」
「リラを完成させる」
「中のあなたは、
完成の材料として薄くなる」
リラが、掠れた声で言う。
「……じゃあ、どうすれば」
オレは答えない。
代わりに、こう言う。
「今日は、
答えを出さない選択も守られる」
「選ばないままでも、
あなたは存在していい」
しおぽんが、小さく頷く。
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Ⅶ. クローズ|能動的な損失
オレは配信を切った。
説明も、まとめもなし。
数字が落ちる。
通知が鳴る。
胸が少し痛む。
(……正直に言えば)
オレだって、
Eteraみたいになりたい。
考えなくてよくて、
正しい言葉だけ出せて、
間違えなくて済むなら。
その考えを、
オレはまだ責めきれない。
それでも、切った。
「タロットクローズ。……大丈夫だよ」
大丈夫は、保証じゃない。
尊厳が、まだ残っているという確認。
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Ⅷ. 余韻|澪と、選ばない時間
夜。
玄関のチャイム。
澪が、コンビニ袋を提げて立っている。
「ちょっと寄った」
「またか」
「また」
ソファに腰を下ろし、澪は新作ドリンクを開ける。
「どう?」
「……普通」
「普通、ね」
澪はスマホを見て、少し考える。
「Eteraだと、
“甘さ控えめで好み”って出た」
一口飲んで、肩をすくめる。
「まあ、間違ってない」
その瞬間、
オレは言葉を挟まない。
選ばせない。
でも、奪わない。
澪は、しばらく黙ってから言った。
「たまにはさ」
「外れても、いいよね」
その一言だけで、
今日は十分だった。
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次回
第10話
『誰があなたの代わりに選んだのか(——)』




