第19話 『沈黙が答えにならなかった夜 ― 白へ滲む声(The High Priestess)』
Ⅰ.ほどけ始めた沈黙(The High Priestess)
デッキの中で、
『The High Priestess』が――
静かに、文字としてほどけ始めていた。
インクが滲むみたいに。
意味が、薄れていくみたいに。
その白へ、Re: がじわりと滲み込む。
ベルト横のケースに収められたままのデッキ。
触れていないのに、
中で何が起きているかだけは、はっきりと分かってしまった。
吐き気。めまい。
落ち着かない、嫌な気配。
すべての感覚が、細かく軋んでいる。
占い師としての自分が、
どこに立っているのか分からない。
見えているはずのものほど、
輪郭だけが、先に失われていく。
《神よ。
いったい、オレに何を見せたい。
……答えろ。答えてくれ》
返事は、来ない。
来ないという形で、そこに在った。
沈黙だけが、
固定された点みたいに胸の奥へ沈み、動かない。
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Ⅱ.影が触れる場所
その瞬間、影が触れた。
エテイヤは正面から。
右腕を胸へ――
迷いなく、心臓へ溶かす。
背後で、ボニが同じ場所をなぞる。
右腕が影のように重なり、
鼓動の内側へ、するりと滑り込む。
右横から、サヴァの左腕。
肩が開き、境界が意味を失い、
三本の腕が、ひとつの臓器へと収束していく。
鼓動は、確かに在る。
けれどそれは、
もう誰のものでもない。
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Ⅲ.届かない声の温度
エテイヤは、
耳元へ、息を落とす。
冷たい吐息が、背骨を伝って全身へ広がる。
神経の隅々まで、
別の呼吸で塗り替えられていく。
「ねぇ、シオン。
……届かない相手に手を伸ばすの、疲れるでしょう」
囁きは優しい。
だからこそ、逃げ道はなかった。
「“見よう”としてもね。
今のあなたの目は、まだ合わないの」
エテイヤの指が、
画面の滲みに触れるふりをする。
触れた、その場所から。
Re: の白が、わずかに増えた。
「ほら。Re: が、それ」
言い切らない。
けれど、線は断ち切る。
「Areteは、あなたを“形”へ寄せる」
笑いもしない。慰めもしない。
「それが、誰かの望みと重なることもある。
……あなたたちが“神”って呼びたがるものと、似た形に」
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Ⅳ.選ばれなかった可能性
ボニが目を丸くする。
興味だけで跳ねる声。
「ねね、エテイヤ様。
シオンちゃんって、選ばれたの?」
サヴァは肩をすくめる。
わざと軽く。
「今回は、たまたま。
近かっただけだよ」
エテイヤが、静かに重ねる。
「そう。“今回は”ね」
「近い形だった。それだけ」
「――別に、シオンじゃなくてもよかったかもしれない」
その言葉は、救いじゃない。
特別を剥がし、
立っている場所だけを奪う言葉だ。
シオンの喉が鳴る。
声にはならない。
胸の奥で、
“固定された沈黙”だけが、揺れずに残っている。
エテイヤは、そこで初めて笑った。
「うふふ……」
女教皇の白が、Re: に侵されていく。
――見えるはずのものほど、見えなくなる。
そして、その見えなさこそが、
いちばん正確に“在る”ことを示していた。
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Ⅴ.別の結末を映すスクリーン
また、映画が流れ出した。
いや、ずっと観ていたのかもしれない。
よく分からない。
ただ、スクリーンに映る映像は、
フィルムが切り替わるみたいに連なり、
まったく別の結末を、見せたがっていた。
そこは、穏やかで美しい国だった。
人々は笑い合い、
子供たちは星屑を集めて遊び、
歌が、どこからともなく流れてくる。
(これが……オレの……?)
胸の奥が、わずかに震えた瞬間。
空が、裂けた。
星々は黒い闇に呑まれ、
笑顔は悲鳴へ変わる。
炎が広がり、
声は次々と、意味を失っていく。
「……」
言葉にならないまま、
胸の奥に、戻らない感覚だけが沈む。
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Ⅵ.残された笑顔
崩壊する景色の中で、
ただひとつ、残ったものがあった。
暗闇を裂くように浮かぶ、
女性の笑顔。
声はない。
ただ、その光だけが、胸を締め付ける。
「……オレは……いや……私は……」
その瞬間、
視界は、闇に閉ざされた。
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Ⅶ.支えでしかなかった願い
ただ、誰かの支えになりたかった。
地図を広げて、
道を指し示してあげるだけでよかった。
未来は、
誰かに渡されるものじゃない。
選ぶのは、いつだって本人だ。
《ありがとう、シオンさん》
《もう一度、頑張ってみます》
《救われた気がします》
《占ってもらって、よかった》
占いは、ひとりでは成立しなかった。
道を見失った誰かがいて、
その隣に立つ者がいる。
それだけで、人は前を向ける。
――それで、よかったはずだ。
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Ⅷ.Areteの盲点
「Areteは……何を見せてるの?」
エテイヤは、
シオンを理解しているはずだった。
そう思っていた。
それなのに。
「……分からないわ」
言葉にした瞬間、
確信だけが、静かに崩れた。
《シオンさんに会えて、よかった》
《今日、話せて嬉しかったです》
《シオンさん……ありがとう》
声が、重なっていく。
感謝でも、祈りでもない。
ただの“残響”として。
そこへ――
異質な文が、割り込んだ。
《《あなたは、一人ではありません
セレフィーズと共に、歩むのです》》
スクリーンいっぱいに、
映像と文字が流れ込む。
「あっ……だめ!!」
「――っ、きゃぁ!」
次の瞬間、
エテイヤ、ボニ、サヴァの三人が
磁石の極が反発するみたいに弾き飛ばされた。
侵食は、拒絶に反転した。
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Ⅸ.呼ばれた存在
同時刻――
しおぽんが、立ち止まる。
理由は分からない。
ただ、胸の奥が引かれた。
「……シオンさま」
小さく、名を呼ぶ。
「ごめんなさい……
言いつけ、守れなかったぴょん」
一拍、間があって。
「でも……呼んでるぴょん」
しおぽんの身体が、
引き寄せられるみたいに浮いた。
意志ではない。
使命でもない。
ただ、
そこに在るものに、引かれただけ。
しおぽんは、
そのまま星界へと、滑り込んでいった。
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次回予告
第20話
『踏み出してしまった場所、戻れなかった足先 ― 名のない一歩(The Fool)』
答えは、まだない。
地図も、正解も、保証もない。
それでも、
立ってしまった場所がある。
信じたわけじゃない。
選ばれたわけでもない。
ただ――
一歩、踏み出してしまった。
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