第14話『魔 ― それでも欲しいと言ったもの(The Devil)』
Ⅰ. 導入(現実)|送れない夜の、湿度
夜。
電車の音が一度だけ鳴り、途切れる。
部屋には昼の熱が残っている。
逃げ場を失った空気。
澪はベッドの端で、スマホを持つ。
《元気?》
送信ボタンは光っている。
押せば届く。届いてしまう。
指は、動かない。
最近のシオンは、笑っている。
でも、目が遠い。
近くの言葉が、すり抜ける。
「……心配してるだけなのに」
口に出した瞬間、
それが“確かめたい”に触れていることが分かってしまって、
澪は口を閉じた。
幼馴染。
壊さずにいられる距離。
でも今は、少し足りない。
“安心したい”。
送れば、何かが決まる気がした。
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Ⅱ. 星の兆し|入口の手前で、音が止まる
同じ頃。
シオンの部屋。
配信機材のLEDが、規則正しく瞬く。
いつもと同じ。
なのに、空気が薄い。
しおぽんがソファの端にいる。
跳ねない。耳も立たない。
「……音、あるぴょん」
「どんな?」
「きれい。……きれいすぎて、こわい」
右目の奥が、じわりと熱を持つ。
焦点が、勝手に合う感覚。
「……またか」
吐いた息が、少し白く見えた気がして、
シオンは眉を寄せた。
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Ⅲ. 接続(配信)|相談じゃない、報告が流れる
「こんばんは。シオンです」
コメントが流れる。
整っている。礼儀正しい。
温度がない。
《こんばんは》
《今日も待ってた》
《Eteraで決めました》
《最適でした》
《良かった》
“良かった”。
その言葉は、浮かぶだけで、着地しない。
少し遅れて、別の文言が混ざる。
《もう迷わなくなりました》
《正解が分かるって楽ですね》
《これでいいですよね?》
問いの形。
でも答えは、もう決まっている。
さらに、ひとつだけ。
《……もう、自分で決めなくてよくなった》
その一文を追いかけようとして、
視線が、一瞬遅れる。
呼吸が、浅くなる。
喉が渇く。
加湿器の音だけが、やけに大きい。
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Ⅳ. 影の発生|きれいな願いほど、ほどけない
揺れなければ、壊れない。
正しい。
間違っていない。
だから、厄介だ。
“欲しい”が、
すでに触れられた形で、
静かに、立ち上がる。
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Ⅴ. 星界への引き込み|甘い匂いのする、縛り
温度が変わる。
肌の表面だけが冷える。
タロットをシャッフルしていない。
それなのに。
星界の入口が、勝手に開く。
整いすぎている空間。
道は並んでいる。
数は多い。
でも、どれも同じ匂いがする。
鎖は、見えない。
代わりに、甘い香り。
安心。
鼻先に、まとわりつく。
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Ⅵ. 星界対話|触れているのに、届かない声
「ねえ、シオン」
声は、すぐ隣から。
なのに、
視線の先には、誰もいない。
澪に似た輪郭。
でも、澪じゃない。
エテイヤ。
肩口に、何かが触れた気がした。
温度はない。
冷たくも、温かくもない。
距離だけが、曖昧に近い。
「迷わなくていいって、楽でしょ」
「壊れない関係も」
「選ばなくていい未来も」
責めない。
怒らない。
ただ、分かっている声。
「それ、心を削ってる」
「でも……止められないんだよね」
一拍。
「澪は、言わなかったね」
ほんの少しだけ、
余計な近さ。
「欲しいって言えばいいのに」
甘い。
拒むには、優しすぎる。
シオンは、口を開きかけて、閉じる。
欲しい。
欲しくない。
そのどちらでもない。
“欲しいと言えば終わる”。
それだけが、はっきり分かる。
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Ⅶ. タロット展開|握ったままの三枚
カードに、指をかける。
一瞬だけ、迷って、
そのまま、離さなかった。
カードが、3枚だけ選ばれた。
コンパス:The Devil
トリガー:The Lovers
ルート:Wheel of Fortune
降りられない並び。
その瞬間、
コメント欄が揃う。
《助かりました》
《助かりました》
《助かりました》
——秒単位で、揃いすぎている。
胸が、わずかに沈む。
——触ってしまった。
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Ⅷ. 澪の回想|夏の匂いと、埃の光
澪は、目を閉じる。
古い木の匂い。
土の湿り気。
苔の青い匂い。
小学校四年生の夏。
裏山の獣道の先。
小さな祠。
崩れかけた屋根。
埃が、光っていた。
「ここ、オレたちだけの隠れ家な!」
シオンが笑う。
その声が、大きく響く。
カードを一枚。
《愚者》。
「始まりのカードなんだ」
少し間を置いて、
「先は、よく分かんない」
「でも……怖くても、進んじゃうやつ」
最後に、小さく笑う。
「オレは、こういうの嫌いじゃない」
——あの祠には、もう行けない。
壊されたから。
だからこそ、
あそこは、壊れないままの“懐かしさ”で残っている。
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Ⅸ. 現在|送れないのは、心配が恋に触れるから
《元気?》
消さない。
送れない。
心配している。
本当に。
でも、その心配は、
確かめたいに触れてしまった。
送れば、何かが決まる。
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Ⅹ. クローズ|同じ星界、別の席
星界。
静寂の中で、
固定された未来が流れている。
映画館みたいだ。
スクリーンだけが進む。
客席にいるのは、自分だけだった。
「……欲しいって言われるの、怖いな」
一拍。
多分、
怖いのは——
言われたら、動いてしまうことだ。
今なら、
固定された未来を
渡してしまう気がする。
もう、触っていた。
言葉になる前の“欲しい”に。
逃げない。
でも、言わせない。
「タロットクローズ」
「……大丈夫だよ」
配信の光が、わずかに揺れる。
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Ⅺ. 朝|通知0
朝。
澪はスマホを見る。
通知、0。
「……そっか」
昨日、送らなかった。
だから、返らない。
当たり前。
でも、
何も起きていないことが、少し怖い。
《元気?》
その文字は、
昨日より遠く見えた。
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次回予告
守ったはずの境界が、
音もなく、軋みはじめる。
壊したつもりは、なかった。
壊れる理由も、なかった。
それでも、
積み上げた「大丈夫」が、
内側から、ひび割れていく。
雷は、落ちない。
誰も、壊さない。
ただ、
立っていられなくなる。
次回
第15話
『塔 ― 崩れなかったはずの場所(The Tower)』
失ったのは、
選択じゃない。
土台だ。




