反撃
リリスは血に濡れた手を伸ばし、エヴァの蒼白な頬に触れた。
指先から滴る鮮血は、単なる液体ではない。
オーガの剛力とアサシンの魔力を濃縮し、彼女自身の生命力と融合させた、純粋な魔力の塊である。
リリスは躊躇うことなく、傷ついた自身の手首をエヴァの唇へと押し当てた。
「飲んでください、エヴァさん」
静謐な声だった。
「私の血は、貴方の力になる」
エヴァは一瞬だけ目を見開いたが、すぐにリリスの瞳の奥にある揺るぎない覚悟を読み取った。
彼女はリリスの傷ついた手首を両手で包み込み、その赤い命の水を受け入れた。
鉄の味と、焼け付くような熱。
それが喉を通り、胃に落ちた瞬間、枯渇していた魔力回路に爆発的な活力が奔流となって駆け巡った。
不浄な魔族の魔力ではない。
リリスという個体が純粋に精製した、無垢なる力の奔流である。
エヴァの肌に赤みが戻り、瞳に力強い光が灯る。
エヴァは立ち上がり、リリスの血で染まった唇を拭うことなく、両手を掲げた。
「光よ、満ちよ。我が祈りは鋼鉄の如く、我が愛は城壁の如し」
詠唱と共に、彼女の全身から眩いばかりの黄金の光が溢れ出した。
それは先刻までの薄い膜ではない。
分厚く、重厚で、神聖な輝きを放つ絶対的な防壁。
「拒絶せよ――【聖域の盾・完全展開】!」
光のドームがギルドホールの入口を完全に封鎖した。
殺到していたオークの群れが、見えない壁に弾かれ、後方へと吹き飛ぶ。
物理的な衝撃のみならず、魔力による攻撃さえも無効化する最強の盾が、再び戦場に君臨した。
エヴァは背後のリリスに微笑みかけた。
「行きなさい、リリス。背中は私が守る」
「はい」
リリスは短く答え、杖を捨てた。
もはや、魔導師を演じる必要はない。
彼女は彼女自身のやり方で、この場所を守る。
リリスは光の盾を透過し、敵陣の只中へと躍り出た。
「飢えよ。喰らい尽くせ!」
両腕から無数の茨が噴出した。
それは生き物のようにのた打ち回り、視界に入る全ての敵を標的と定めた。
切っ先がオークの喉を貫く。
絡みついた蔦がゴブリンの四肢を引きちぎる。
リリスは止まらない。
敵の血を吸い上げるたびに、茨はより太く、より赤く、より凶悪に成長していく。
負傷すれば、即座に敵を捕食して再生する。
魔力が尽きかければ、敵の命を啜って充填する。
彼女は永久機関と化した殺戮の機構であり、戦場に咲いた狂乱の花であった。
返り血を浴びて真紅に染まった少女が、無表情に、しかし機械的な正確さで魔物を解体していく様は、美しくさえあった。
茨の鞭が振るわれるたび、魔物の肉片が舞い、血の雨が降る。
その中心で踊るリリスは、痛みも疲労も知らぬ死神のようだった。
その光景を、結界の内側から冒険者たちは見ていた。
最初は恐怖に震えていた彼らの瞳から、次第に怯えの色が消えていく。
代わりに宿ったのは、理解を超えた存在に対する畏怖と、純粋な敬意であった。
彼女は化け物かもしれない。
だが、その化け物が、自分たちのために血を流し、敵を屠っている。
その小さな背中が、絶望的な敵の波をたった一人で押し留めている。
「すげぇ……」
誰かが呟いた。
「あいつ、痛みを感じないのか……?」
「いや、違う。耐えているんだ。俺たちを守るために」
恐怖が熱狂へと変わるのに、時間はかからなかった。
「負けてられるかよ!」
「あの娘だけに背負わせるな! 槍を出せ! 援護しろ!」
冒険者たちが吼えた。
失われていた闘志が、燎原の火の如く燃え上がる。
弓兵が矢を放ち、魔導師が炎を投射する。
リリスが作り出した隙を突き、冒険者たちが一斉に反撃に転じた。
オーギュストもまた、最前線で大剣を振るいながら、口元に獰猛な笑みを浮かべた。
戦線の空気が変わった。
押し込まれていたギルド側が、リリスという特異点を中心に、逆襲の波濤となって魔族軍を押し返し始めたのである。




