異教徒
「名も知らぬ生き残りのために、貴様が愛したギルドが半壊し、積み上げてきた全てが瓦礫となる。それで、本当に良いのか?」
ギャレットが問いかける。
彼の言葉は、粉塵の舞うギルドの残骸に、奇妙なほど静かに響き渡った。
「白銀の天秤亭」は、その名の由来となった天秤のオブジェが砕け落ち、誇りであったオーク材の長大なカウンターは無惨にへし折られている。
壁には巨大な斧槍による亀裂が走り、天井の一部は崩落して、星のない夜空が覗いていた。
共和国軍の重装歩兵たちが、破壊された入口からバリケードを乗り越え、包囲網を狭めてくる。
その鋼鉄の壁の中心で、ギャレットはオーギュストと向かい合っていた。
オーギュストは、己の愛したギルドが瓦礫と化していく様を、その目に焼き付けていた。
しかし、彼の心に満ちるのは絶望ではなかった。
*……もう、充分だろう。*
地下水路の悪臭と暗闇の中を、みんながうまく逃げてる姿が脳裏に浮かぶ。
この惨状は、彼らが自由へと至るための時間を稼ぐための、必要かつ正当な代償であった。
彼は、己の責務を果たしたという、静かな満足感を覚えていた。
ギャレットの問い。
それは、任務と効率のみを是とする軍人としての、純粋な疑問であったのだろう。
大義のためには、個の犠牲も、組織の損壊も厭わない。
だが、その大義が「名も知らぬ弱者」の救済であることに、彼は論理的な破綻を感じているのだ。
その揺らぎを見透かしたかのように、オーギュストの口から、乾いた笑いが漏れた。
それはやがて、腹の底から湧き上がるような、哄笑へと変わった。
「はっ……はははは! 良いのか、だと? 愚問だな、大隊長殿!」
瓦礫を蹴り飛ばし、オーギュストは胸を張る。
その顔に刻まれた無数の傷跡が、彼の笑みによって歪み、歴戦の猛者としての凄みを増幅させた。
「いいか、よく聞け。ギルドとはな、そもそも強い奴らのための場所じゃねえ。一人じゃ何もできねえ、か弱い連中が、寄り集まって互いを支え、どうにかこうにか生き延びるための最後の砦だ。助け合う。それが俺たちの唯一にして絶対の法だ」
彼は折れたカウンターの破片を指さす。
「この建物が? 積み上げてきたものが? そんなもんは、その法を実践するための、ただの道具に過ぎん。助けを求める者がいて、そいつを守るためにこの箱が壊れるというのなら、結構。大いに結構! これこそ、ギルドの本懐というものだ!」
その言葉には、一片の迷いもなかった。
それは、ギルドマスターとして長年抱き続けてきた、揺るがぬ信念の結晶であった。
ギャレットは、そのあまりに純粋で、非効率的な精神性に、言葉を失った。
彼は国家という巨大な機構の歯車として、常にコストとリターンを計算し、最適解を導き出すことだけを叩き込まれてきた。
個人の感情や、定義の曖昧な「助け合い」などという理念は、彼の思考の範疇には存在しなかった。
*……こいつは、狂っているのか?*
否、狂っているのではない。
ただ、生きている世界が、信じている神が、守るべきものが、根本的に違うのだ。
ギャレットは、理解不能な異教徒と対峙しているかのような、底知れぬ断絶を感じた。
「……交渉の余地はない、と。そういうことか」
ギャレットが絞り出した声は、兜の中でくぐもって響いた。
「ああ、そうだ」
オーギュストは、瓦礫の中から自身の得物である、使い込まれた巨大な戦斧を拾い上げた。
その刃は欠け、柄には血と汗が染み付いている。
だが、それは彼の腕の中で、今なお鋭い殺意を放っていた。
オーギュストは戦斧を肩に担ぎ、燃え残ったギルドの旗の下に、仁王立ちになった。
それは、時間稼ぎのための芝居ではない。
一人の冒険者として、守りたい正義のための戦いの始まりを告げる、狼煙であった。




