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いい魔族は、死んだ魔族だけだ

神聖ルミナール帝国とドラコニア共和国の国境線、その灰色の中間地帯に位置する無人の宿場町は、二つの大国間の緊張を映す鏡であった。


風が埃っぽい道を吹き抜け、放棄された建物の空虚な窓が、まるで髑髏の眼窩のように不気味に口を開けている。


此処は、かつて両国間の交易で栄えた場所であったが、今では外交という名の戦争が繰り広げられる、もう一つの戦場と化していた。


その廃墟の中心に、三つの人影があった。


彼らは神聖ルミナール帝国が派遣した使節団、しかしその実態は、共和国の軍事動向を探るための先鋭部隊に他ならなかった。


一人は、陽光を反射して白銀に輝く全身鎧を纏った槍騎士、ゼノン。


その背には、帝国最強の騎士団の紋章が刻まれた長大な槍が背負われている。


彼の佇まいは、まるで鋼鉄の塔のように揺るぎなく、その瞳には理想と正義を信じて疑わない、純粋で危険な光が宿っていた。


彼の傍らに立つのは、軽やかな法衣を纏った牧師、リアム。


その人好きのする笑顔と、常に冗談を口にする軽薄な態度は、彼の持つ「融合級」の治癒魔法の使い手という本質を巧みに隠蔽している。


彼の指には、教会の聖印が刻まれた指輪が嵌められ、時折、意味ありげな光を放っていた。


そして、少し離れた場所に、深緑のマントを纏ったエルフの魔法使い、フィオナが立っていた。


彼女の銀色の髪は月光のように冷たく、その尖った耳は周囲の微かな音すらも捉える。


琥珀色の瞳は、いかなる感情も映さず、ただ目の前の現実を分析し、評価するだけである。


彼女の一族は、かつて魔族との大戦で多くの同胞を失っており、その憎悪は血の記憶として、世代を超えて受け継がれてきた。


「…さて、共和国の連中との面倒な茶番も終わったことだし、そろそろ帝都に帰るとしようじゃないか。ここの酒は水で薄めたみたいで、どうにも性に合わん」


リアムが肩をすくめ、わざとらしくため息をついた。


彼の言葉は、張り詰めた空気を和らげようとする試みであったが、ゼノンの表情は硬いままだった。


「リアム、今は任務中だ。不謹慎な発言は慎め。共和国の奴らは、我々の補給網に関して執拗に探りを入れてきた。奴らの狙いは明らかだ。辺境での小競り合いを口実に、我が帝国の軍事力を測ろうとしている」


ゼノンの声は、彼の纏う鎧のように冷たく、硬質だった。


彼の思考は常に、帝国の栄光と、皇帝陛下への忠誠に帰結する。


その時、それまで沈黙を守っていたフィオナが、ふと鼻をひくつかせた。


彼女の視線が、遥か南、ドラコニア共和国の首都がある方角へと鋭く向けられる。


「…この風、穢れた匂いが混じっている」


その声は、冬の夜気のように冷え切っていた。


「穢れた匂い、だと?フィオナ、それは魔物のことか?」


ゼノンが眉根を寄せ、警戒を露わにした。


リアムもまた、冗談めかした表情を消し、真剣な眼差しでフィオナを見つめる。


エルフ族の五感、特に魔力に対する感知能力は、他のいかなる種族の追随も許さない。


「違う。これは、魔族の気配だ。微かだが、紛れもなく。腐臭のように、この土地の空気に纏わりついている」


フィオナの言葉に、場の空気が凍り付いた。


魔族。


その名は、大陸の全ての知的生命体にとって、戦争と破壊の同義語であった。


「馬鹿な。このドラコニア共和国の首都近郊に、魔族だと?奴らは魔族領から出ることを禁じられているはずだ」


リアムが信じられないといった様子で首を振る。


だが、フィオナの表情に揺らぎはない。


*この感覚…忘れもしない。故郷の森を焼いた、あの忌まわしき魔力の残滓。たとえどれほど薄まっていようと、私の血がそれを覚えている。*


「奴らが禁を破ったのか、あるいは、共和国が密かに奴らと手を組んでいるのか。いずれにせよ、看過はできない。魔族は疫病だ。一匹見つけたら、その巣ごと焼き払わねばならん」


フィオナの琥珀色の瞳に、憎悪の炎が燃え上がった。


「いい魔族は、死んだ魔族だけだ」


その言葉は、彼女の一族が幾世代にもわたって口にしてきた、呪詛にも似た誓いの言葉だった。


ゼノンはしばし逡巡した。


本来の任務は、共和国の軍事査察であり、逸脱行為は許されない。


しかし、魔族の存在は、帝国の安全保障を根底から揺るがす脅威である。


彼の内なる正義感が、危険を冒してでも真実を突き止めるべきだと叫んでいた。


「…わかった。フィオナ、気配の源へ案内しろ。リアム、万一に備えろ。これは、皇帝陛下への報告義務を果たすための、必要不可欠な調査である」


ゼノンは自らの行動を正当化するように宣言し、背中の槍を握りしめた。


彼の決断に、リアムは小さくため息をつき、フィオナは無言で頷いた。


三人の融合級の実力者が、一つの不確かな気配を追って、ドラコニア共和国の心臓部へと、その歩みを進めることになった。


フィオナの鋭敏な感覚を頼りに、三人は首都の雑踏を抜け、やがてドラコニア共和国で最も華やかで、そして最も深い闇を抱える場所、「花街」へと辿り着いた。


昼間だというのに、そこは濃厚な香水の匂いと、微かな退廃の気配に満ちていた。


けばけばしい衣装を纏った女たちが、物憂げな表情で通りを行き交い、男たちの品定めするような視線が、粘りつくように彼女たちに絡みついていた。


「…ひどい場所だな。人間の欲望が煮詰まって、澱のようになっている」


ゼノンが、嫌悪感を隠そうともせずに呟いた。


彼の理想とする清廉な世界とは、あまりにもかけ離れた光景だった。


「まあまあ、騎士様。これもまた人間の営みってもんですよ。聖書にだって書いてあるでしょう?人は皆、罪を背負って生まれてくる、ってね」


リアムが軽口を叩きながら、興味深そうに周囲を見回している。


フィオナは、そんな二人には目もくれず、一点をじっと見つめていた。


彼女の視線の先には、ひときわ大きく、そして美しく整えられた娼館があった。


その名は、「バラ園」。


無数のバラが咲き誇るその庭は、この汚れた街の中で、異質なほど清らかに見えた。


「…源は、ここだ。この建物の中から、微弱な魔力の波長を感じる」


フィオナが断言すると、三人の間に緊張が走った。


こんな場所に、魔族が潜んでいるというのか。


スパイとして情報を集めているのか、それとも、別の目的があるのか。


その時、バラ園の扉が開き、一人の女が出てきた。


年の頃は二十代半ばだろうか。


その顔には深い疲労の色が刻まれているが、それを隠すかのように、丹念な化粧が施されている。


彼女は、客を見送るために、作り物めいた、しかし完璧な微笑を浮かべていた。


フィオナの目が、その女、アイリスに釘付けになった。


彼女は目を細め、その魔力の質を慎重に分析する。


*間違いない。魔族の血だ。だが、何だこれは…あまりにも薄く、雑だ。魔力もほとんど感じられない。「凡人」レベル…いや、それ以下かもしれん。*


フィオナの眉間に、深い皺が刻まれた。


これほどの微弱な存在が、魔族のスパイとして機能するとは到底思えなかった。


彼女が感じ取った気配は、まるで遠い昔に焚かれた残り香のように、ただそこに存在しているだけだった。


三人の異様な出で立ちは、花街においてでさえ、人々の注目を集めずにはいられなかった。


白銀の全身鎧を纏った騎士、聖職者の法衣を纏った男、そして神秘的な雰囲気を漂わせるエルフ。


彼らが「バラ園」の前に立っただけで、周囲のざわめきがぴたりと止んだ。


道行く人々は足を止め、遠巻きに彼らを見つめている。


娼館の窓という窓から、好奇と不安に満ちた女たちの顔が覗いた。


「な、なんだい、あいつらは…?騎士団の視察かい?」


「馬鹿言え、ここはドラコニアだぞ。帝国の騎士が何のようだっていうんだ」


「あのエルフ…見てみろよ、まるで伝説から抜け出してきたみたいだぜ…」


アイリスもまた、彼らの存在に気づいていた。


彼女の血が、本能的な恐怖を訴えている。


特に、あのエルフの女から放たれる、刺すような視線。


それは、獲物を見つけた捕食者のそれだった。


アイリスの背筋を、冷たい汗が伝う。


*なぜ?なぜ私を見る?私はただの…ただの娼婦なのに…*


彼女の心臓が、警鐘のように激しく鳴り響いた。


客を見送るための笑顔が、顔の上で凍り付く。



【作者よりお願い】


もし、この物語の中に

胸に引っかかった感情が、ほんの少しでも残ったなら。


苦しかった。

切なかった。

救いが見えなかった。


それでも――

「この先を、最後まで見届けたい」

そう感じていただけたなら。


評価【★★★★★】や、

続きを忘れずに辿っていただくための

【ブックマーク】をしていただけましたら、

それだけで、この物語は救われます。


あなたが感じてくれた、その気持ちが、

この物語を、最後の一行まで導いてくれます。


ありがとうございます。

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