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第195話 英雄の末路

頭上に広がる夜空は、黒いベルベットのごとく深く、そこに散りばめられた星々は冷徹な輝きを放っていた。


フィオナは立ち止まり、首を傾けて天頂を見上げる。


エルフの瞳には、数千年の時を超えて変わらぬ星の配列が映る。


悠久。


それが彼女の生きる時間だ。


森の大樹が芽吹き、巨木となり、朽ち果てるまでのサイクルを数十回繰り返すほどの永き生。


対して人間はどうだ。


瞬きする間に生まれ、走り、燃え尽き、土へと還る。


彼らの寿命は、エルフにとっては深呼吸ひとつ分の長さに過ぎない。


その刹那の時間を、彼らはなぜこれほどまでに激しく、無意味に浪費するのか。


命の半分、あるいはそれ以上を「恋」などという不確定な熱病に費やし、残りの時間をその喪失の痛みに捧げる。


非合理的だ。


理解に苦しむ。


フィオナは白く細い指先を夜空へ伸ばす。


だが、その理解できない愚かさが、かつて一度だけ、目を焼くほどに眩しかったことを彼女は記憶していた。


記憶の扉が開く。


五十年という時間は、彼女にとっては昨日のことのように鮮明だ。


あの男、アルレン。


ボロボロの剣を腰に吊るし、常にヘラヘラと笑っていた人間の青年。


帝国の勇者という称号を持ちながら、出世にも名誉にも興味を示さず、ただ困っている者を見れば後先考えずに手を差し伸べる愚か者。


フィオナ、君は笑わないんだな。


森の妖精みたいに綺麗なのに


無神経な言葉。


だが、その手は温かく、泥にまみれていた。


時は魔族の大侵攻の最中。


エルフの隠れ里が上位魔族の軍勢に包囲されたあの日。


帝国軍の本隊は撤退を決定した。


戦略的観点から見れば正しい判断だ。


少数民族の集落を守るために主力部隊を危険に晒すメリットはない。


だが、アルレンは違った。


彼は軍規を破り、撤退命令を無視して、部隊を率いて橋の上に立った。


「行ってくれ、フィオナ。」


「君の家族を守るんだろう」


彼は震える手で剣を握り、迫り来る魔族の大群に背を向けず、フィオナたちに背を向けた。


「僕は勇者だからな。」


「ここを通すわけにはいかないんだ」


嘘だ。


彼は怖がっていた。


膝は笑い、顔は蒼白だった。


それでも彼は、フィオナが守りたかった森と、彼女の未来を守るために、自らの命というチップをベットした。


結果は惨憺たるものだった。


アルレンと多くの人間は死んだ。


数千の魔族を道連れにし、五体満足なパーツが一つも残らないほどの激戦の果てに、肉塊となって散った。


エルフの里は守られた。


フィオナも生き延びた。


だが、帝国に戻った彼女を待っていたのは、彼への賞賛ではなく、冷淡な事後処理だった。


「独断専行による部隊指揮の混乱」


「命令違反による戦力の無駄遣い」


「よって、アルレン・グレイの勇者称号を剥奪し、記録を抹消する」


上層部の古狸たちは、保身のために彼の死を犬死として処理した。


彼の命が救った数千のエルフの命など、帝国の国益計算書には計上されなかったのだ。


墓石すらない。


名前すら残らない。


彼はただ、歴史の波間に消えた無数の泡沫の一つとなった。


フィオナはその時、悟った。


感情は毒だ。


熱情は破滅への特急券だ。


生き残るためには、心を凍らせ、合理という名の鉄壁で魂を守らねばならない。


フィオナは視線を地上へ戻す。


夜露に濡れた草花が、月光を受けて震えている。


リリス。


あの銀髪の少女。


魔族の血を引いたから憎んでることもあるだろうが


彼女の行動原理、その危うさ、その愚かしさは、あまりにもアルレンに似ている。


ゼノンという男のためだけに、自らの肉体を削り、魂を汚し、地獄の業火に飛び込んでいく。


彼女は知っているのだろうか。


その献身の先に待っているのが、幸福な抱擁ではなく、無銘の墓標であることを。


そしてゼノンもまた、かつてのフィオナのように、残された空虚な時間を抱えて生きることになる恐怖を。


「……嫌なものですね」


フィオナは誰に聞かせるでもなく呟く。


「鏡を見ているようで」


彼女はリリスの中に、かつてのアルレンを見ているのか、それとも過去の自分を見ているのか。


あるいは、その両方か。


だからこそ、排除しなければならない。


あの二人が破滅のダンスを踊り続け、かつての悲劇を再演するのを止めるために。


それは帝国の利益のためという建前。


だが、その奥底にあるのは、もう二度と「眩しすぎて直視できない愚か者の死」を見たくないという、フィオナ自身の弱さだった。


彼女は服の裾を翻し、執務室への帰路を急ぐ。


夜風が冷たい。


だが、その冷たさこそが、今の彼女には心地よかった。


凍りついた心臓だけが、痛みを忘れさせてくれる唯一の麻酔なのだから。

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