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救うべからざる者



リアムの唇から、それまで浮かんでいた人好きのする笑みが、すっと消えた。


彼の視線は、オルレアン侯爵の芝居がかった賞賛の声と、それに和する貴族たちの拍手の向こう側、執事に先導されて人混みの中へと消えていくゼノンと、その傍らに寄り添う少女の後ろ姿を、鋭く捉えていた。


その光景が、彼の脳内で、ある種の警鐘を鳴らした。


*あの馬鹿、本気で選びやがったのか。よりによって、あんな曰く付きの娘を。ただの気まぐれか、それとも…いや、あの表情はただごとじゃない。*


普段の軽薄な態度は、彼の本質を覆い隠すための、計算された仮面に過ぎない。


その仮面の下にあるのは、神聖ルミナール帝国の牧師として、そしてゼノンという、あまりにも脆く、理想主義的な英雄の監視役としての、冷徹な分析眼だった。


彼は隣に座るフィオナの方へ、僅かに身を乗り出した。


その声は、周囲の喧騒にかき消されるほど低く、しかし、確かな緊張を帯びていた。


「フィオナ。一体何があった?あの娘は、何者だ」


フィオナは、手にしたワイングラスの中で揺れる深紅の液体を、無感情に見つめていた。


リアムの問いかけに、彼女は視線を動かすことなく、その唇の端を、侮蔑の形で歪めた。


「何者、か。問うまでもない。あれは、汚泥よ。魔族の血が混じった、ただの雑種。そして、あの愚かな騎士様は、その汚泥に、自ら手を伸ばした」


彼女の声は、冬の湖面を滑る風のように冷たく、その一言一句に、魔族という存在に対する生理的な嫌悪が滲み出ていた。


彼女はゆっくりとグラスをテーブルに置くと、その琥珀色の瞳をリアムに向けた。


「あの娘は、計画的にゼノンを誘惑した。涙と媚態で、彼の憐憫を誘ったのよ。そして、彼は、見事にその罠に嵌った。英雄が、戦場で屠るべき敵の血を引く奴隷を、夜伽の相手に選ぶ。これ以上の醜聞があるかしら。これが帝国の本国に伝われば、彼の、そして我々の威信は、地に落ちる」


*やはりか。あの時、奴が感じ取っていたのは、単なる魔力の残滓ではなかった。六年前の、あの娼館での記憶が、亡霊のように奴に取り憑いていたのだ。あの時から、奴の心には、魔族に対する「憐憫」という名の、致命的な毒が巣食っていた。*


リアムの顔から、完全に表情が抜け落ちた。


フィオナの言葉は、彼の最悪の懸念が、現実のものであったことを証明していた。


ゼノンの個人的な感情。


六年前から続く、あの少女に対する歪んだ罪悪感。


それが、今、共和国との微妙な関係や、帝国軍人としての立場という、より大きな任務全体を、根底から揺るがしかねない危険因子と化していた。


*許容できない。ゼノン・アルトリウスは、帝国の「断罪の槍」であり、個人の感情で動くことを許された存在ではない。彼の感傷は、帝国に対する裏切り行為に等しい。俺の任務は、奴を英雄として機能させることだ。そのためならば、どんな非情な手段も厭わない。*


彼の心の中で、冷たい決意が固まった。


友としての情ではない。


任務遂行者としての、非情な論理。


彼は、席を立った。


その動きには、一切の迷いがなかった。


「行くぞ、フィオナ。あの馬鹿が、取り返しのつかない過ちを犯す前に、その目を覚まさせてやる」


フィオナもまた、無言で立ち上がった。


彼女の瞳には、リアムとは質の異なる、しかし同じ方向を向いた、冷酷な光が宿っていた。


二人の間に、言葉はもはや不要だった。


リアムとフィオナは、まるで獲物を追う二頭の獣のように、音もなく、そして迅速に、祝宴の喧騒を抜け出した。


彼らは、媚びた笑いを浮かべて挨拶してくる貴族たちを、視線一つで黙らせ、最短距離で、ゼノンたちが向かった回廊へと進んだ。


大理石の長い廊下の先、豪奢な客室へと続く扉の前で、彼らはその姿を捉えた。


執事が、恭しく扉を開けようとしている。


その背後には、虚ろな表情で立ち尽くすゼノンと、その腕に、まるで最後の命綱のように縋り付くリリスの姿があった。


「そこまでだ」


リアムの声が、静かな廊下に、厳かに響いた。


それは、いつもの冗談めかした口調とは似ても似つかぬ、有無を言わさぬ、絶対的な命令の響きを持っていた。


執事の肩が、びくりと震えた。


彼はゆっくりと振り返り、そこに立つリアムとフィオナの姿を認めると、その顔から血の気が引いた。


融合級の実力者二人が放つ、剥き出しの威圧感。


それは、一介の執事が耐えられるものではなかった。


「リアム様…フィオナ様…これは、一体…」


リアムは、その執事の言葉を、冷たい視線で遮った。


「ここは、我々帝国の者で話がある。貴様は下がれ。オルレアン侯爵には、私から後で話を通しておく」


その言葉は、拒絶を許さない。


執事は、ゼノンの方を窺うように見たが、当のゼノンは、まるで魂が抜け落ちたかのように、何の反応も示さない。


執事は、この状況が、自分の手に負えるものではないことを、瞬時に悟った。


彼は、深く、深く頭を下げると、足音を忍ばせて、その場から逃げるように去っていった。


重厚な扉の前、長い廊下に、四人だけが取り残された。


リアムとフィオナは、ゼノンとリリスの前に、まるで壁のように立ちはだかった。


フィオナの琥珀色の瞳は、隠そうともしない、剥き出しの憎悪と侮蔑を込めて、リリスの全身を舐め回すように見ている。


リリスは、その視線に射抜かれ、思わずゼノンの腕の後ろに、その小さな身体を隠した。


リアムは、凍りついたままのゼノンの顔を、真っ直ぐに見据えた。


そして、その口から放たれた言葉は、友情の欠片も含まない、鋼のように冷たく、そして鋭い、刃そのものであった。


「ゼノン。貴様、一体何を考えている」

【作者よりお願い】


もし、この物語の中に

胸に引っかかった感情が、ほんの少しでも残ったなら。


苦しかった。

切なかった。

救いが見えなかった。


それでも――

「この先を、最後まで見届けたい」

そう感じていただけたなら。


評価【★★★★★】や、

続きを忘れずに辿っていただくための

【ブックマーク】をしていただけましたら、

それだけで、この物語は救われます。


あなたが感じてくれた、その気持ちが、

この物語を、最後の一行まで導いてくれます。


ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
物語の歯車が動き出した感じがドキドキするー。 良い方向に進んだらいいな。続きが気になります。
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