あったかい
漆黒の森は、赤と黒の閃光が交錯する地獄と化していた。
鴉部隊の隊員たちは、影のように木々の間を跳躍し、主教が召喚したインプの群れを次々と斬り伏せる。
だが、数は減らない。
主教は祭壇の跡地から、狂ったように魔力を放ち続けている。
腐食の弾丸が雨のように降り注ぎ、鴉の一人が直撃を受け、断末魔と共に黒い粘液に溶けて消滅した。
リリスは泥濘の中、残った右腕で必死に這いずっていた。
意識は朦朧とし、視界は赤く明滅している。
左腕の傷口から侵入した毒が、心臓を凍らせるように冷たく脈打つ。
上空から、無機質な声が響く。
鴉部隊長が、飛竜の背から戦況を見下ろしている。
「敵性体、想定以上に強固。……地上班の損耗率、許容範囲を超過」
彼はゴーグルの数値を読み取り、冷徹な結論を導き出す。
個別の排除は非効率である。
まとめて焼き払う。
管理番号704は回収対象だが、汚染が深刻であり、回収コストが見合わない。
ならば、敵と共に焼却し、灰を持ち帰れば良い。
彼は懐から深紅の魔石を取り出し、杖に装填した。
「照準固定。……座標、全域」
部隊長の詠唱が、雨音を切り裂いて響き渡る。
「煉獄の釜より溢れし災いよ、慈悲なき炎で地を舐め尽くせ。
不浄なる者、壊れし者、等しく灰塵と帰すがいい。
滅びの赤を以て、ここに終焉を刻め――【広域魔導・紅蓮の葬列】」
空気が熱を帯び、雨粒が蒸発して白い霧となる。
リリスは空を見上げた。
頭上に巨大な魔法陣が展開され、太陽のような熱量が膨れ上がっていく。
逃げ場はない。
彼女は泥に顔を伏せ、最期の祈りを捧げた。
ごめんなさい、ゼノン様。
私は、ただの壊れた道具でした。
ゼノン様の光を守ることもできず、こんな場所で、誰にも知られずに燃え尽きるのです。
熱波が肌を焦がす。
死の瞬間を待つリリスの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、泥に吸い込まれた。
その時、夜空を両断する閃光が奔った。
雷鳴ではない。
純粋な魔力の塊が、物理的な質量を伴って飛来したのである。
「貫け――【聖槍・天穿】」
荘厳な声と共に、白銀の槍が鴉部隊長の展開した魔法陣を粉砕した。
炎の魔力は霧散し、行き場を失った熱風が森を揺らす。
槍は止まらない。
一直線に地上へ突き進み、主教が展開していた防御障壁を紙のように引き裂いた。
「な、に……?」
主教が空を見上げた瞬間、その胸板を白銀の刃が貫通した。
衝撃波が地面を抉る。
主教の体は後方へ吹き飛ばされ、巨大な老木の幹に縫い付けられた。
彼は口から大量の血を吐き、痙攣し、やがて動かなくなった。
圧倒的な静寂が、一瞬だけ戦場を支配した。
森の入り口から、蹄の音が轟く。
白馬に跨った銀色の影が、闇を裂いて現れた。
ゼノン・アークライト。
彼は馬上から飛び降り、地面に降り立つと同時に、右手を天に掲げた。
全身から眩いばかりの光が溢れ出す。
「邪なる者どもよ、我が光の前に消え去れ!」
彼の意志に呼応し、光の波紋が全方位へと広がる。
残存していたインプたちは、その光に触れただけで断末魔を上げることもなく蒸発した。
鴉部隊の隊員たちは、その神々しいまでの魔力に圧倒され、影に溶け込むように撤退を開始した。
部隊長もまた、飛竜を反転させ、闇夜の彼方へと消え去った。
彼らにとって、帝国の英雄と交戦することは契約外であり、最大の禁忌だからである。
敵の気配が消えると、ゼノンは槍を引き抜き、リリスの元へと駆け寄った。
泥と血にまみれ、左腕を失った少女の姿を目にした瞬間、彼の端正な顔が苦痛に歪んだ。
「リリス……!」
彼は膝をつき、震える手で彼女の体を抱き起こした。
冷たい。
氷のように冷え切っている。
リリスは薄く目を開け、ぼんやりとした視界の中に、英雄の顔を認めた。
「……ゼノン、様……?」
掠れた声。
「ああ、おれだ。……遅くなって、すまない」
ゼノンは自身の白いマントを脱ぎ、リリスの無惨な傷跡を隠すように優しく包み込んだ。
そして、彼女を強く抱きしめる。
泥も血も構わずに、その温もりを伝えるために。
リリスは、その腕の中で、かつてないほどの安心感に包まれた。
道具としての恐怖も、死への絶望も、彼の体温に溶けていく。
「あったかい……」
彼女は小さく呟き、糸が切れたように意識を手放した。
ゼノンは彼女を横抱きにし、立ち上がる。
その瞳には、かつてないほどの激しい怒りと、深い悲しみが宿っていた。




