騙された!
冷たい雨雲を切り裂き、黒い飛竜の翼が風を掴む。
上空三百メートル。
鴉部隊長は、眼下に広がる漆黒の森を見下ろした。
暗視の魔導ゴーグル越しに、地表の熱源が明滅する。
多数の赤黒い光点。
下級悪魔の群れだ。
その中心で、今にも消え入りそうな青白い光が一つ、泥の中を這いずっている。
管理番号704。
対象は左腕を欠損し、腐食毒に侵されている。
生体反応は低下しているが、まだ稼働している。
「各機、状況を確認」
部隊長の声は、無線機を通しても温度を感じさせない。
「目標地点に多数の敵性反応。中心に回収対象あり。……破損甚大だが、生存を確認」
彼はゴーグルの倍率を上げ、リリスの無惨な姿を捉える。
泥にまみれ、血と雨で濡れた身体。
もはや少女としての尊厳など欠片もない。
ただの壊れかけた肉塊。
だが、部隊長にとってそれは「同情すべき被害者」ではなく、「修理可能な高価な備品」でしかない。
「作戦を開始する。第一班、第二班は降下し、周囲のゴミを掃除しろ。……一匹残らず殺せ」
彼は淡々と告げる。
「第三班は対象を回収せよ。……丁寧に扱う必要はない。腕の一本や二本折れても、生きてさえいれば修理できる。……迅速に網へ放り込め」
了解。
無機質な応答と共に、黒い影たちが飛竜の背から次々と闇夜へ飛び降りていく。
部隊長もまた、腰の剣を抜き放ち、重力に身を任せた。
リアム様の命令は絶対である。
敵を殲滅し、証拠を消し、道具を持ち帰る。
それだけが、彼らの存在意義であった。
同時刻、帝都ルミナリス。
ゼノンは寝室の窓辺に立ち、激しさを増す雨を見つめていた。
眠れない。
目を閉じれば、リリスの笑顔が浮かぶ。
「私は幸福です」と語った、あの完璧すぎる笑顔が。
リアムは言った。
「野良の魔物だ」と。
「調査部隊に任せろ」と。
理屈は通っている。
だが、胸の奥で警鐘が鳴り止まない。
戦場で何度も死線を潜り抜けてきた、英雄としての第六感。
何かが決定的に間違っている。
あの「不在のアリバイ」で見せられた温室の灯り。
あれは、あまりに作為的ではなかったか。
リリスは本当にあそこにいたのか。
あるいは、もっと深い闇の中へ、一人で放り出されたのではないか。
ゼノンは窓枠を叩き、部屋を飛び出した。
温室に、だれもいなかった。
「いない……いないっ!?」
「……くそっ」
廊下を走る足音が、静寂な屋敷に響く。
マサが驚いて顔を出すが、彼は止まらない。
厩舎へ駆け込み、愛馬「白銀」の手綱を解く。
鞍もつけず、裸馬に飛び乗る。
門番が制止する声を背に、ゼノンは夜の街へと馬を走らせた。
雨が顔を打ちつける。
冷たさが思考を鋭敏にする。
彼は目を閉じ、大気中の魔力の流れを探る。
微かだが、感じる。
帝都の北東。
古い森の方角から漂う、放出された魔力の匂い。
リリスか!?。
彼女があそこにいる。
そして、命の灯火が消えようとしている。
「走れ、白銀!」
ゼノンは叫び、馬腹を蹴る。
石畳の街道を、白い流星となって疾駆する。
リアムの言葉など、もうどうでもいい。
焦燥が心臓を焼く。
間に合え。
ただそれだけを祈り、英雄は雨の闇を切り裂いて進んだ。




