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情報間違い

奴隷兵になった以上、使い潰されるまで、任務は終わらないでしょ。


廃墟と化した石造りの礼拝堂は、雨音と雷鳴にかき消されそうな悲鳴で満たされていた。


カビと腐敗臭が漂う堂内で、黒い影が踊るように駆け抜ける。


リリスは濡れた石床を音もなく蹴り、逃げ惑う信徒の背後に迫った。


右腕の袖口から真紅の茨が射出される。


棘は肉を容易く貫通し、脊髄を砕く感触が腕に伝わる。


「あ、が……」


男は声にならない呻きを残し、前のめりに倒れ伏す。


リリスは表情を変えず、茨を引き戻すと同時に次の標的へ視線を移した。


情報は正確であるはずだった。


武装した凡人の集団。


原始的な邪教崇拝。


特務兵として簡単な相手だ。


彼女は返り血を避けるように身を翻し、祭壇へと続く通路を制圧していく。


十数名の死体が転がり、石床は赤黒い血で模様を描いていた。


リリスは呼吸を整え、最奥の重厚な扉を見上げる。


この先に、組織の首魁がいる。


彼女は扉の隙間に指をかけ、音もなく押し開けた。


祭壇の間には、無数の蝋燭が揺らめき、異様な熱気が充満していた。


中央には、豪奢な服を纏った男が背を向けて立っている。


周囲には護衛の気配はない。


リリスは好機と判断し、床を蹴った。


瞬時に距離を詰め、喉元を狙って【紅茨】を突き出す。


殺せる。


確信と共に茨が男の首に触れようとした、その瞬間。


「愚かな」


男が振り返りもせず、低い声で呟く。


空気が凍りついたように重くなる。


茨の先端が、見えない壁に阻まれ、弾かれた。


物理障壁。


それも、凡人の使う簡易な結界ではない。


高密度の魔力が凝縮された、融合級の防御術式である。


リリスは目を見開く。


話が違う。


凡人の集団という情報は、致命的な誤りだった。


男――主教がゆっくりと振り返る。


その顔は、ただれた皮膚と狂気的な光を宿した瞳で構成されていた。


彼の手には、どす黒い光を放つ魔石の杖が握られている。


「我らが神聖な儀式を汚す害虫め。……その穢れた血を以て贖うがいい」


主教が高らかに杖を掲げる。


詠唱が始まる。


「深淵の底より這い出し、光を蝕む黒き牙よ。


腐肉を喰らい、骨を砕き、生ける者を泥へと還せ。


嘆きと共に朽ち果てよ――【腐食の呪詛弾】」


空間が歪み、黒いタールのような魔力の塊が生成される。


リリスは反射的に後方へ跳んだ。


だが、魔力を持たない彼女には、魔法の軌道を感知することも、相殺することもできない。


黒い塊は生き物のように軌道を変え、空中で炸裂した。


回避しきれなかった飛沫が、リリスの左半身を襲う。


「ぐっ……!」


軍服の袖が瞬時に溶け、白い肌に触れた黒液が、ジュという音と共に肉を侵食する。


激痛が脳髄を走る。


ただの火傷ではない。


呪いが傷口から侵入し、血管を腐らせながら心臓へと遡行しようとする感覚。


リリスは自身の左腕を見る。


肘から先が黒く変色し、皮膚が焼けただれて筋肉が露出している。


あまりの痛みに、視界が明滅する。


「ほう、一撃で死なぬか。……だが、次はどうかな」


主教が再び杖を構える。


勝てない。


リリスの生存本能が警鐘を鳴らす。


奇襲が通じず、防御手段を持たない現状で、融合級の術者と正面から撃ち合えば、数秒で肉塊に変えられる。


リリスは懐から発煙筒を取り出し、足元に叩きつけた。


白煙が充満し、視界を遮る。


「小賢しい!」


主教が風の魔法で煙を払うまでの数秒間。


リリスはその隙に祭壇脇のステンドグラスへ向かって疾走した。


残った右手で茨を出し、ガラスを粉砕する。


冷たい雨風が吹き込む。


彼女は躊躇なく、その開口部から闇夜へと身を投げた。


地面に叩きつけられる衝撃を、リリスは受け身をとって殺す。


泥にまみれ、左腕の激痛に歯を食いしばりながら、彼女は立ち上がる。


森の中へ。


木々の陰へ。


背後の礼拝堂から、主教の怒号と魔力の爆発音が響く。


追手が来る。


リリスはよろめく足取りで走る。


雨が傷口を打ち、呪いの進行を早めるような冷たさを与える。


息が続かない。


出血と腐食毒の影響で、体温が急速に奪われていく。


視界が霞む。


木の根に足を取られ、泥の中に無様に転がる。


「あ……うぅ……」


泥水を吸い込み、咳き込む。


立ち上がろうとするが、左腕の感覚がない。


指先一つ動かせない。


死ぬのか。


ここで、名もなき泥の中で、道具として壊れて終わるのか。


「嫌……」


リリスは地面を掴む。


死にたくない。


まだ、約束を果たしていない。


エヴァに別れを告げた意味がなくなる。


リリスは震える手で、懐の奥から通信用の魔導具を取り出した。


彼女は水晶を握りしめ、魔力を込める。


「……リアム、様……情報が間違ってます」


掠れた声で、名を呼ぶ。


「敵は融合級で、私今重傷を受けてます。救援をお願いします……」


水晶が微かに光り、雨音にかき消されそうな救援信号を虚空へと放った。


リリスは意識を手放しそうになるのを必死で耐え、泥の中を這いずりながら、少しでも礼拝堂から遠ざかろうと足掻き続けた。

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