危険因子
帝都の喧騒が眠りについた深夜、軍魔法技術開発局の最上階にある執務室は、冷徹な静寂に支配されていた。
魔導灯の青白い光だけが、卓上に積み上げられた羊皮紙の束を照らし出し、琥珀色の液体が入ったボトルに反射している。
フィオナは革張りの椅子に深く腰掛け、羽根ペンを走らせていた。
紙の上を擦る硬質な音だけが、規則的に室内の空気を刻む。
彼女が作成しているのは、極秘扱いとされた「管理番号704・性能評価報告書」である。
インクが滲むことなく、整然と並ぶ文字は、彼女の性格そのもののように無機質で合理的であった。
フィオナは筆を止め、書き上げた一節を冷ややかな瞳で読み返す。
対象704は、従来の魔族奴隷とは一線を画す特性を有する
彼女の脳裏に、雨の中庭で突きつけられた真紅の茨が蘇る。
魔力感知網をすり抜け、物理的な死を運ぶ音なき刃。
魔力回路を持たない攻撃手段は、対魔導師戦闘において圧倒的な優位性を持つ。
既存の防御結界は反応せず、初見での回避は困難である
フィオナは眉間に皺を寄せ、苦々しい記憶を咀嚼する。
あの時、自分の喉元に迫った死の感触は、屈辱であると同時に、兵器としての完成度の高さを証明するものであった。
彼女はペン先にインクを含ませ、続きを記述する。
また、精神構造においても特筆すべき柔軟性が見られる。
夜会における諜報活動では、対象は自らを「無知な愛玩動物」として演出し、警戒心の高い貴族から重要機密を引き出すことに成功した
単なる殺戮機械ではない。
人の心の隙間に入り込み、毒を盛るように情報を抜き取る狡猾さ。
それは、野獣の凶暴性と、娼婦の媚態を併せ持つ、歪で危険な才能であった。
フィオナはグラスを手に取り、琥珀色の液体を一口含んだ。
酒精が喉を焼き、冷え切った思考に熱を与える。
問題は、その異常なまでの学習速度と適応能力である。
教えられたわけでもない礼法を完璧に模倣し、場の空気を読み、最適な仮面を被る。
その成長曲線は、帝国の想定を遥かに上回っている。
結論として、管理番号704は現時点において「制御可能な危険因子」である
彼女は断定的に記す。
首輪という物理的な枷と、ゼノンへの歪んだ執着心という精神的な鎖。
この二つが機能している限り、彼女は帝国の最強の犬であり続けるだろう。
だが、犬が賢くなりすぎれば、鎖の繋ぎ目を噛み切る方法を学ぶかもしれない。
フィオナの瞳に、冷たい警戒の光が宿る。
道具は便利であればあるほど、使い手の喉を掻き切るリスクを孕む。
フィオナは新しい羊皮紙を引き寄せ、提言の項を書き始めた。
対象の有用性を最大化し、かつ潜在的な反逆リスクを早期に摘出するため、以下の措置を推奨する
ペンの動きが加速する。
より過酷な環境下での単独潜入任務への投入。
および、精神的負荷の高い汚れ仕事の継続的な割り当て
彼女は筆圧を強め、最後の文を刻み込む。
これにより、対象の忠誠心の限界強度を測定し、同時に兵器としての損耗を促すことで、過度な戦力増強を抑制する
使い潰す。
それが、フィオナが導き出した最適解であった。
彼女が壊れるまで使い倒し、壊れれば廃棄する。
それが帝国にとって最も合理的で、安全な運用方法である。
フィオナは署名を添え、封蝋を垂らして家紋の印を押した。
重厚な音が、一人の少女の運命を決定づける判決のように響く。
「……精々、役に立ちなさい。704番」
彼女は独り言ち、冷たい夜景を見下ろす窓へと視線を向けた。
ガラスに映る自分の顔は、氷のように無表情であった。




