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忠犬。道具。兵器。

巨大な水晶のシャンデリアが、磨き上げられた大理石の床に無数の光の破片を落とす。


絹の衣擦れと、宝石が触れ合う硬質な音が、貴族たちの談笑に混じり合う。


帝都ルミナリスの心臓部、皇宮で開催された夜会は、表向きは戦勝の余韻に浸る華やかな場であった。


だが、扇の裏側で交わされる言葉には、毒が含まれている。


リアムは琥珀色の液体が入ったグラスを指先で回し、会場の隅にある柱に背を預けていた。


彼の唇には、聖職者らしい穏やかな笑みが張り付いている。


耳を澄ます。


音楽の切れ間から、粘り気のある声が鼓膜を打つ。


「……聞いたかね。ゼノン卿の屋敷の噂を」


「ああ、あの魔族の娘のことだろう? 英雄ともあろうお方が、穢らわしい血を屋敷に入れるとは」


「正気ではないな。いっそ、魔に魅入られたのではないか」


太った男爵と、痩せぎすの伯爵が、ワインを片手に嘲笑を漏らす。


その波紋は、静かに、しかし確実に会場全体へと浸透しつつあった。


ゼノン・アークライトの名声に、泥を塗ろうとする者たちの悪意。


リアムはグラスの中の液体を一気に飲み干す。


喉を焼く酒精と共に、彼は柱から背を離した。


さあ、仕事の時間だ。


リアムは軽やかな足取りで、噂の中心地へと歩み寄る。


服の裾を翻し、完璧な礼法で一礼する。


「おや、皆様。随分と熱心な議論ですね。帝国の防衛に関する話題でしょうか」


突然の介入に、貴族たちは一瞬言葉を詰まらせ、次いでぎこちない愛想笑いを浮かべる。


「これはこれは、リアム司祭。……いやなに、ゼノン卿のあまりに慈悲深い振る舞いについて、少々憂慮していたのです」


伯爵がもっともらしい顔で言う。


「魔族の血を引く者を側近にするなど、前代未聞。万が一、その獣が牙を剥けば、帝都の安寧に関わりますぞ」


周囲の視線が集まる。


リアムの返答次第では、この場でゼノンへの弾劾が始まりかねない空気。


リアムは目を細め、ことさらに明るく声を上げた。


「ああ、誤解なさらないでください。ゼノン卿が屋敷に置いているのは、魔族ではありませんよ」


彼は間を置く。


貴族たちが怪訝な顔を見合わせる。


「あれは、帝国軍魔法技術開発局が認可した、最新鋭の生体兵器です。……管理番号704。それが彼女の正式名称です」


リアムは両手を広げ、演説するように語る。


「皆様もご存知でしょう。我が軍のフィオナ魔導師が、その性能をテストしました。結果は……驚くべきものです。魔力感知をすり抜ける暗殺能力。痛みを感じない忠実な遂行力。まさに、敵の喉笛を食い破るために生まれた狂犬」


彼は声を潜め、貴族たちの顔を一人一人覗き込む。


「それを、ただ殺してしまうのはあまりに惜しい。そうは思いませんか? 資源の有効活用こそ、帝国の繁栄の礎です」


「し、しかし……裏切る可能性は……」


男爵が汗を拭いながら反論する。


リアムは冷ややかな視線を一瞬だけ滑らせ、すぐに聖人の笑みに戻る。


「ご安心を。その首には、対魔族用の特製首輪が嵌められています。一度でも反抗的な思考を持てば、即座に頸椎が弾け飛びます。それに……」


リアムはグラスを給仕の盆に置き、手袋を嵌めた手を組み合わせた。


「その所有権と監督責任は、ゼノン卿が命を賭して引き受けました。もし704番が暴走すれば、英雄ゼノンの首もまた、物理的に飛びます。……彼ほどの男が、何の勝算もなく自分の命をチップにすると思われますか?」


場が静まり返る。


ゼノンの覚悟と、物理的な安全装置の存在。


それを提示されれば、安易な批判は英雄への侮辱、ひいては帝国の軍事判断への疑義となる。


リアムは畳み掛ける。


「彼女は人間ではありません。心を持たず、恐怖を知らず、ただ帝国の敵を殺すだけの便利な道具です。……そのような強力な忠犬を手に入れたことを、我々は祝すべきではありませんか?」


彼は微笑む。


だが、その目は笑っていない。


これ以上、友の決断に口を挟む者は、帝国の利益を損なう者と見なす。


無言の圧力が、貴族たちの背筋を冷やす。


やがて、伯爵が咳払いをし、強張った笑顔を作った。


「……なるほど。さすがはゼノン卿、深慮遠謀というわけですな」


「ええ、左様でございます。……帝国の新たな剣に、乾杯を」


リアムの音頭に合わせ、貴族たちは渋々と、しかし従順にグラスを掲げる。


クリスタルが触れ合う澄んだ音が、悪意ある噂を強制的に打ち消した。


リアムは輪から離れ、バルコニーへと出る。


冷たい夜風が、火照った頬を撫でる。


眼下には帝都の灯りが広がっている。


彼は手すりを強く握りしめた。


忠犬。


道具。


兵器。


自らの口から出た言葉の軽薄さと残酷さが、舌の上に苦い後味として残る。


あの少女は、笑っていた。


首輪を見せつけ、「似合いますか」と。


その健気さを、自分は今、政治のカードとして切り売りした。


「……悪くない商談だったろう? ゼノン」


誰もいない闇に向かって、リアムは自嘲気味に呟く。


これで、彼女の居場所は法的に、そして社会的に固定された。


誰からも人間として扱われない、孤独な道具としての居場所が。


リアムは夜空を見上げる。


月はなく、星々だけが冷ややかに地上を俯瞰していた。


友が守ろうとした「人間性」を守るために、彼女を「非人間」と定義し続けなければならない矛盾。


その業を背負い、リアムは再び仮面を被り、光と欲望が渦巻く会場へと戻っていった。

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