愛されたい
ゼノンの問いかけに対し、リリスの口元が引きつるように歪んだ。
将来。
夢。
希望。
それらの言葉は、彼女の辞書において空白のままである。
リリスは視線を床に落とし、震える両手を膝の上で強く握りしめた。
爪が皮膚を突き破りそうなほど食い込む。
彼女は言葉を探し、掠れた声を絞り出した。
「……将来、ですか」
リリスは顔を上げず、独り言のように呟く。
「私のような者に、未来などありません。私は……汚れています」
彼女は自分の身体を抱くように肩を縮める。
「娼婦の娘として生まれ、男たちに貪られ、魔族の血を引き、今は人殺しの道具です。……私の体も、心も、泥と血でできています」
リリスは空笑いをもらした。
乾いた、ひび割れた音が静寂な執務室に響く。
「そんな汚物が……普通の幸せなんて、望めるはずがありません」
リリスは顔を上げ、ゼノンを見た。
彼女は口角を無理やり持ち上げ、笑顔を作ろうとする。
頬の筋肉が痙攣し、引きつった笑みが張り付く。
「だから、いいのです。私は道具として使い潰されて、誰にも知られずに死ぬ。それが一番お似合いです」
「リリス……」
「大丈夫です、ゼノン様。私は……私は、幸せですから」
言葉とは裏腹に、彼女の硝子玉のような瞳から大粒の雫が溢れ出した。
透明な涙が頬を伝い、床の絨毯に吸い込まれていく。
笑顔のまま泣き続ける少女。
その姿は、あまりにも残酷で、痛々しい矛盾そのものであった。
彼女の魂が上げる悲鳴が、ゼノンの鼓膜を叩く。
ゼノンの奥歯が軋む音がした。
理性が、音を立てて崩れ落ちる。
彼は一歩踏み出し、床に跪くリリスとの距離を詰めた。
「……違う」
ゼノンは低い声で否定し、衝動のままに腕を伸ばす。
リリスの細い体を、力強く、しかし壊れ物を扱うように慎重に抱き寄せた。
金属の鎧越しではない。
執務着の布越しに、彼女の冷え切った体温と、小刻みな震えが伝わってくる。
リリスの瞳が見開かれ、呼吸が止まる。
「ゼノン、様……?」
彼女は困惑し、身を硬くする。
汚れた自分が、高潔な英雄に触れているという事実に恐怖する。
だが、ゼノンの腕は緩まない。
彼はリリスの頭を胸に押し付け、その銀髪に顔を埋めた。
「すまない……」
ゼノンの唇から、懺悔の言葉が零れ落ちる。
「ごめんなさい。俺が……俺がもっと強ければ。お前をこんな目に遭わせずに済んだ」
彼はリリスの背中に回した手に力を込める。
「お前は汚れてなどいない。誰よりも美しく、誰よりも尊い魂を持っている。道具などではない。お前は……人間だ」
ゼノンの声が震える。
「俺が守ると誓った。兵器としてではなく、一人の少女として。……だから、自分を卑下するな。俺の前で、そんな悲しい嘘をつかないでくれ」
温かい。
リリスの肌に、ゼノンの体温と鼓動が直接伝わる。
それは彼女が知る暴力的な熱ではなく、どこまでも優しく、包み込むような庇護の温度であった。
リリスの喉の奥から、嗚咽が漏れた。
張り詰めていた糸が切れる。
完璧な奴隷の仮面が砕け散り、ただの傷ついた少女が露わになる。
「あ……うぅ……っ」
彼女はゼノンの服を掴む。
強く、強く握りしめる。
「ゼノン様……ゼノン様ぁ……っ!」
リリスは声を上げ、子供のように泣きじゃくった。
エヴァのために殺したはずの感情が、ゼノンの腕の中で奔流となって溢れ出す。
寂しい。
怖い。
本当は、誰かに愛されたい。
誰かに必要とされたい。
そして、生きたい。
ゼノンは何も言わず、ただ泣き崩れるリリスを抱きしめ続け、彼女の涙が枯れるまでその背中を撫で続けた。
窓の外では、冷たい秋風が止み、静かな月光だけが二人を照らしていた。




