704番
魔導技師は事務的な手つきで道具を片付けると、欠伸を噛み殺しながら部屋を出て行った。
重い鉄扉が閉まる音が響き、白亜の処置室には再び静寂が降りる。
残されたのは、機械の駆動音と、リリスの荒い呼吸音のみ。
彼女の首筋には、真新しい双頭の鷲の焼印が赤黒く腫れ上がり、その上を冷たい銀色の金属が覆っている。
肉を焼かれた激痛と、首輪の物理的な重み。
そして何より、魂に刻み込まれた「所有物」としての絶対的な敗北感が、彼女の細い肩にのしかかる。
リリスは足元の冷たい床を見つめ、震える膝に力を込めて立ち尽くしていた。
エヴァがその手を両手で包み込んでいるが、リリスの指先は氷のように冷たいままである。
ゼノンは顔を背け、拳を握りしめていた。
直視できない。
誇り高き騎士として、無垢な少女に首輪を嵌める現場に立ち会い、それを是認した自分自身への嫌悪が胃の腑を焼く。
リアムもまた、いつもの皮肉な笑みを消し、沈痛な面持ちで書類に視線を落としている。
その重苦しい空気を察したのか、リリスはゆっくりと顔を上げた。
彼女は大きく一つ息を吸い込むと、エヴァの手を弱々しく、しかし確かに握り返した。
そして、ゼノンとリアムの方へ向き直る。
蒼白な唇が、震えながらも弧を描く。
硝子玉のような瞳が細められ、頬に微かな窪みができる。
リリスは自身の首元にある忌まわしい枷を、細い指先でそっと撫でた。
「……ゼノン様、リアム様」
声は掠れ、風に消え入りそうだ。
「似合いますか……?」
問いかけと共に、彼女は微笑んだ。
それは、痛みを隠し、屈辱を飲み込み、恩人たちを安心させるために作られた、あまりに健気で、残酷なほどに美しい笑顔であった。
「私には……分不相応なほど、立派な首飾りです」
ゼノンの喉が引きつる。
言葉が出ない。
似合うはずがない。
その首は、宝石や花で飾られるべきものであって、処刑装置付きの首輪で締め付けられるべきものではない。
だが、彼はそれを肯定しなければならない。
それが彼女の命綱であり、唯一の生存の証なのだから。
「……ああ」
ゼノンは搾り出すように答えた。
声が震えるのを止められない。
「……よく、似合っている」
嘘だ。
これほどの欺瞞が、この世にあるだろうか。
ただ魔族の血を引いているというだけで。
それだけの理由で、この少女は自由を奪われ、尊厳を焼かれ、兵器として登録された。
彼女は何一つ悪いことをしていない。
誰よりも優しく、誰よりも他者を想う心を持っているのに。
ゼノンの胸の奥で、行き場のない怒りと悲しみが渦を巻く。
法とは何か。
正義とは何か。
この小さな少女の笑顔を守るために、どれほどの代償が必要なのか。
リアムは書類を握りしめたまま、リリスの笑顔を凝視していた。
彼は政治家だ。
冷徹な計算と、妥協の積み重ねで世界が回っていることを知っている。
今回の処置が、現時点で最善の「救済」であることも理解している。
だが、その論理的帰結としての光景が、これほどまでに胸を抉るとは計算外であった。
彼女は泣かない。
喚かない。
ただ静かに、与えられた運命を受け入れ、あまつさえ加担者である自分たちに微笑みかけている。
その強さが、痛々しい。
リアムは目を伏せ、深いため息をついた。
(……僕たちは、なんて残酷なことをしているんだ)
彼は自嘲気味に口元を歪めた。
「……大事にするんだな、704番」
わざと冷たい識別番号で呼ぶ。
それが、自分自身への戒めであり、彼女との間に引くべき線だと自分に言い聞かせるように。
だが、その声には隠しきれない湿り気が混じっていた。
エヴァは何も言わず、リリスを強く抱きしめた。
その震える肩を支え、髪を撫でる。
言葉はいらない。
リリスの演技も、ゼノンの苦悩も、リアムの葛藤も、すべて分かっている。
だからこそ、彼女はただ「家族」としてそこに在り続ける。
「……行きましょう、リリス」
エヴァが静かに促す。
「はい……」
リリスは頷き、ゼノンの方へ一歩踏み出した。
足枷はないが、見えない鎖が彼女の歩調を重くする。
「帰りましょう。……私たちの、家に」
ゼノンは頷き、扉を開けた。
外の空気が流れ込む。
帝都の朝霧が立ち込める中、四人は無言で歩き出した。
リリスの首元で、銀色の首輪が冷たく光り、その輝きは彼女の未来に待ち受ける過酷な運命を予兆していた。
だが、その隣には確かに、彼女の手を握る温かな掌があった。




