奴隷の首輪
夜の帳がまだ街を覆う中、黒塗りの馬車が石畳を重苦しい音で叩きながら進む。
窓の外には、帝都の軍事地区特有の無機質な石造りの建物が並び、冷たい霧が立ち込めている。
馬車の中、リリスは膝の上に置いた手を強く握りしめ、対面に座るゼノンを見つめる。
ゼノンは腕を組み、目を閉じて沈黙を守っているが、その眉間に刻まれた皺は深く、苦渋の色を隠せない。
隣のエヴァは、リリスの肩に手を回し、自身の温もりを少しでも伝えようとしている。
リアムだけが、窓の外を流れる風景を冷静な瞳で追い、これから始まる交渉の手順を脳内で反芻している。
馬車が停止したのは、「魔法技術開発局」と刻まれた巨大な鉄扉の前である。
衛兵たちが槍を交差させ、馬車の紋章を確認すると、敬礼と共に重い扉を開け放つ。
中庭の空気は乾燥し、魔力の残滓と薬品の臭いが混ざり合っている。
四人が降り立つと、そこには冷徹な機能美だけを追求した灰色の空間が広がっていた。
白衣を纏った魔導技師たちが忙しなく行き交い、誰もが書類や魔導具に視線を固定している。
ここには、戦場のような熱気も、街角のような喧騒もない。
あるのは、効率と結果のみを求める冷たい静寂だけである。
リアムが先頭に立ち、受付のカウンターへと進む。
彼は懐から、異端審問所長の署名が入った羊皮紙を取り出し、当直の士官に提示した。
「特別命令だ。この個体を特務戦力として登録し、即時に装備を整えたい」
士官は書類を受け取り、リリスを一瞥する。
その目は、人間を見る目ではなく、物品の検品を行うような無機質なものであった。
「……異例ですね。通常、このような深夜の持ち込みは……」
「急を要する案件だ」
リアムの背後から、ゼノンが一歩踏み出す。
白銀の全身鎧が魔導灯の光を反射し、圧倒的な威圧感を放つ。
「彼女は国家の重要資産だ。一刻の遅れが、帝国の損失に繋がる。……手続きを進めろ」
低い声。
命令ではなく、拒絶を許さぬ事実の通告。
士官は喉を鳴らし、ゼノンの眼光に射抜かれて言葉を飲み込む。
「は、はい。直ちに処置室へ案内します」
通された処置室は、真っ白なタイル張りの部屋であった。
中央には、拘束具付きの金属製の台が置かれている。
担当の魔導技師は、無精髭を生やした中年の男で、リリスを見ると面倒くさそうに欠伸を噛み殺した。
「はいはい、特務兵の登録ね。……ふん、随分と上等な素材を持ってきたもんだ」
彼はリリスに台へ上がるよう顎でしゃくる。
リリスは一瞬だけエヴァを振り返り、小さく頷くと、自らの足で冷たい金属台の上に横たわった。
魔導技師はリリスの首元に手をかざし、マダム・ロザリアが施した古い奴隷契約の痕跡を確認する。
「なんだこれ、随分と古い術式だな。民間レベルか。……邪魔だ」
彼は手近な作業台から、消しゴムのような形状の魔石を取り上げ、無造作にリリスの首筋へ押し当てた。
「んッ……」
リリスの口から呻きが漏れる。
焼けるような熱さが走り、皮膚の下で何かが強制的に剥ぎ取られる感覚。
技師は何の感情も込めず、淡々と詠唱する。
「契約の糸よ、解けろ。古き主の戒めは、今ここに無へと帰す――【契約破棄】」
黒い煙と共に、リリスの首筋から薔薇の刺青が消え失せる。
18年間も、彼女を縛り続けてきた絶対の鎖が、あまりにあっけなく消滅した。
だが、安堵する間はない。
技師は即座に、帝国の紋章が刻まれた真新しい焼印ごてを取り出した。
先端が赤熱し、揺らめく魔力を帯びている。
「じゃあ、新しいの入れるから。……動くなよ、ズレると面倒だ」
技師はリリスの首筋、右側の頸動脈の上に焼印を近づける。
エヴァが顔を覆い、ゼノンが拳を握りしめて視線を逸らす。
リリスだけが、天井の白い光をじっと見つめ、歯を食いしばる。
「……ぐぅッ!!」
ジュッという肉の焼ける音と共に、白煙が上がる。
激痛が首から全身を駆け巡り、意識が飛びそうになる。
技師は手早く焼印を押し付け、術式を固定する。
「汝、帝国の剣となり、盾となれ。魂の髄まで皇帝に捧げよ――【隷属刻印・定着】」
リリスの首筋に、漆黒の双頭の鷲の紋章が焼き付けられた。
それは彼女が、人間ではなく、帝国の所有物となったことの証明であった。
「よし、定着完了。最後はこれだ」
技師は引き出しから、鈍い銀色に輝く金属製の首輪を取り出した。
表面には微細なルーン文字がびっしりと刻まれ、中心には赤い魔石が埋め込まれている。
「管理番号704。対魔族用拘束首輪。位置検索機能、魔力制限、そして……処刑用術式付きだ」
カチャリ。
冷たい金属がリリスの細い首に嵌められ、ロックされる音が響く。
その音は、地下牢の扉が閉まる音よりも重く、冷たく、リリスの心臓を締め付けた。
「半径5キロ圏外への無許可移動、監督官への攻撃、反逆的言動。これらを感知した場合、即座に頸椎を粉砕し、脳を焼き切る。……まあ、暴れなきゃただの首飾りだ」
技師は軽く手を叩き、作業の終了を告げた。
「以上。連れて行っていいぞ」
首に嵌められた金属の重みが、彼女の新しい世界の全てを物語っている。
夜明けの光が、建物の窓から差し込み始めていたが、リリスの首輪はその光を鈍く、冷たく反射していた。




