表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
114/212

貴女は私の最高の魔導師

石造りの螺旋階段を、ゼノンの金属靴が乱暴に叩く。


腕の中に抱えた少女の体温は低く、マント越しに伝わるその感触は、枯れ木のように脆く頼りない。


地下の澱んだ空気は背後へと遠ざかり、地上から差し込む薄明かりが、出口の扉を白く縁取っている。


鉄扉を蹴り開けると、そこには焦燥に顔を歪めたエヴァが立っていた。


彼女はゼノンの姿を認めると同時に駆け寄り、その腕の中にある血濡れた銀髪を見ると、喉の奥から悲鳴を絞り出した。


リリスの白い肌は無数の穴で穿たれ、囚人服は赤黒く変色し、その無惨な姿は拷問の凄惨さを無言で物語っている。


エヴァは崩れ落ちそうになる膝を叱咤し、震える両手をリリスの胸元にかざした。


「……光よ、その慈悲をもって、裂けた肉を繋ぎたまえ!」


エヴァの唇が震えながら詠唱を紡ぐ。


彼女の掌から柔らかな金色の光が溢れ出し、リリスの全身を包み込む。


【聖なる癒し(ヒール)】。


光の粒子が傷口に吸い込まれ、抉られた肉が盛り上がり、裂けた皮膚が縫い合わされるように塞がっていく。


出血は止まり、土気色だったリリスの頬に、微かな赤みが戻り始める。


だが、失われた血液までは戻らない。


リリスの呼吸は浅く、意識は深い闇の底に沈んだままである。


エヴァは涙を流しながらも、魔力を送り続けることを止めない。


「ごめんなさい……ごめんなさい、リリス……」


謝罪の言葉が、祈りのように繰り返される。


ゼノンはその様子を黙って見守り、彼女たちの再会が悲劇的な結末にならなかったことに、奥歯を噛み締めて安堵した。


「軍病院へは行かない。あそこはまだ審問局の息がかかっている」


リアムが背後から声をかけ、待機させていた一台の馬車を指し示した。


装飾のない、地味な黒塗りの馬車である。


「君の私邸を使え、ゼノン。あそこなら法的にも私的財産だ。侵入には面倒な手続きがいる」


ゼノンは頷き、リリスを抱えたまま馬車へと乗り込む。


エヴァもそれに続き、リリスの傍らに座り込んだ。


馬車が動き出す。


石畳の振動が車内に伝わるが、今度のそれは異端審問所へ向かう時の絶望的な重さとは違う。


生還への鼓動だ。


車窓の外を流れる帝都の風景は夕闇に沈みかけていたが、そこには確かに明日への時間が流れていた。


ゼノンの私邸は、貴族街の外れにある静かな屋敷であった。


使用人たちの驚愕の視線を制し、ゼノンはリリスを客用寝室へと運び込む。


純白のシーツが敷かれた天蓋付きのベッドに、彼女の体を横たえる。


血に汚れた囚人服はエヴァの手によって脱がされ、清潔な寝間着へと着替えさせられた。


柔らかな布の感触と、羽毛の枕。


それは「煤の底」の固い床とも、地下牢の石床とも異なる、人間としての尊厳が守られた場所の感触である。


部屋の隅にある暖炉には火が入れられ、爆ぜる薪の音が静寂を彩る。


ゼノンは一歩下がり、エヴァに場所を譲った。


「俺は外にいる。何かあれば呼んでくれ」


彼は扉の前で一礼し、静かに退室した。


部屋には、二人の呼吸音だけが残された。


エヴァはベッドの脇に椅子を引き寄せ、リリスの冷たい手を両手で包み込んだ。


「……リリス」


呼びかける声に、リリスの睫毛が微かに震える。


ゆっくりと、硝子玉のような瞳が開かれる。


焦点が定まらない視線が天井を彷徨い、やがてエヴァの顔を捉える。


「……エヴァ、さん……?」


掠れた、風のような声。


エヴァは涙を零し、何度も頷く。


「ええ。ここはもう大丈夫。誰も貴女を傷つけない」


リリスは力のない指先を動かし、エヴァの手の甲を撫でた。


「……私……守れ、ましたか……?」


拷問の苦痛の中でさえ、彼女が気にしていたのは己の命ではなく、誓いの履行であった。


エヴァはリリスの手を額に押し当て、嗚咽と共に答える。


「ええ……また守ってくれた。貴女は私の最高の魔導師よ」


リリスの唇が微かに弧を描く。


それは安堵の微笑みであり、彼女が初めて心から見せた、穏やかな表情であった。


「……よかった」


その一言と共に、リリスは再び深い眠りへと落ちていく。


今度は恐怖による気絶ではなく、安心による休息である。


エヴァはその寝顔を見つめ続け、握りしめた手だけは決して離さなかった。


窓の外には、帝都の夜空に星が瞬き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ