奴隷と兵器
灰色の石壁に囲まれた回廊を、金属質の靴音が乱雑に反響する。
ゼノンは兜を小脇に抱え、陽の光が届かぬ石畳の上を行き来していた。
白銀の全身鎧は帝都の湿気を帯びて鈍く光り、彼自身の焦燥を映し出すように冷え切っている。
鉄格子の向こう、黒曜石の巨塔は沈黙を守り、時折地下から響く微かな振動だけが、そこで進行する儀式の凄惨さを伝えていた。
彼は拳を石柱に叩きつける。
硬質な音が虚しく響き、痛みだけが手のひらに残る。
何もできない。
「守る」と誓いながら、法の番人に彼女たちを引き渡した瞬間、自分の手は空になった。
扉が開く音がする。
軽やかな、しかし計算された足取り。
ゼノンは顔を上げる。
逆光の中、純白の服を纏った男が、日傘を畳みながら歩み寄ってきた。
リアム・アークライト。
「黄昏の聖歌」の異名を持つ牧師であり、ゼノンの最も古き戦友である。
「相変わらず、暑苦しい顔をしているね」
リアムは皮肉げに口角を上げ、ゼノンの前に立つ。
その目は笑っていない。
瞳は、友の乱れた様子を冷静に観察し、状況の深刻さを計量している。
「呼び出した理由は分かっている。あの魔族の少女と、エヴァ・ハインリヒのことだろう」
ゼノンは詰め寄る。
「時間がない、リアム。ヴァレリウスが担当だ。あいつが手を下せば、リリスは精神ごと壊される」
「当然だ。サラスの壊滅、機密の漏洩。誰かが責任を取らねばならない。それが国家というものだ」
リアムは淡々と事実を並べる。
「魔族の血を引く娘。これ以上ないスケープゴートだ。彼女が全ての罪を被れば、帝国は面子を保ち、市民は安心する。君も英雄のまま、次の戦場へ行ける」
「ふざけるなッ!」
ゼノンの怒号が回廊を震わせる。
彼はリアムの襟首を掴み、石壁へと押し付けた。
「あの子は……リリスは、命を懸けてエヴァを守った。俺たち人間が逃げ惑う中で、誰よりも人間らしく戦ったんだ。それを、政治の道具として使い潰すのか」
ゼノンの目には、血走った激情と、深い後悔の色が混ざり合っている。
「俺はもう、見捨てない。あの時、祝賀会で背を向けた俺を、俺自身が許せないんだ」
リアムは抵抗せず、静かにゼノンの手を見下ろした。
「手を離せ、ゼノン。感情で法は曲がらない」
「曲げさせる」
ゼノンは手を離し、腰の剣を抜いて石畳に突き立てた。
火花が散り、鋼の音が鳴り響く。
「俺の断罪の槍の称号、騎士位、領地、そして命。全てを賭ける」
彼は膝をつき、リアムを見上げる。
「俺の持つ全ての政治的資産と名誉を担保にする。だから、リリスたちを救うための法的根拠を作ってくれ。お前の知恵が必要なんだ」
沈黙。
風が石畳を撫でる音だけが流れる。
リアムは溜息をつき、服の皺を直した。
「……正気じゃないな」
「ああ。正気でいられるか。目の前で恩人が嬲り殺しにされようとしているのに」
リアムは懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「ヴァレリウスの審問は、準備段階を含めてあと一時間はかかるだろう」
彼はゼノンの剣を見つめ、苦々しく笑った。
「君の騎士位と全財産か。安くない担保だ。だが、それで異端審問局を黙らせるには足りない」
リアムは指を二本立てる。
「二つ、条件を追加する。一つ、彼女を帝国の管理下における特殊戦力として登録すること。つまり、奴隷と兵器としての徴用だ」
「奴隷と兵器……」
「生きるためには、有用性を示すしかない。魔族に対抗できる魔族。毒を以て毒を制す。軍部の一部には響く論理だ」
リアムは二本目の指を曲げる。
「二つ目。彼女の監督責任者は君になる。もし彼女が裏切れば、君は即座に処刑される。連帯責任だ」
ゼノンは即答する。
「構わん」
「……即答か。呆れた男だ」
リアムは踵を返し、異端審問所の扉へと歩き出す。
「行くぞ。ヴァレリウスが彼女を完全に壊す前に、交渉をねじ込む。僕の詭弁と、君の馬鹿正直な覚悟でな」
ゼノンは突き立てた剣を引き抜き、鞘に納めた。
重い鉄扉が軋みを上げて開く。
その先には、リリスの悲鳴が待っているかもしれない闇が広がっていた。
だが、二人の足取りに迷いはなかった。




