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エヴァを守る唯一の方法

重い鉄扉が背後で閉ざされ、錠が下りる鋭い金属音が地下室の石壁に反響した。


天井から吊るされた魔導灯が、蒼白く冷たい光を投げかけ、部屋の中央に置かれた拷問椅子を浮かび上がらせる。


椅子は黒ずんだ鉄で作られ、無数の革ベルトと拘束具が蛇のように垂れ下がっている。


部屋の隅には、用途の知れぬ鋭利な金属器具が整然と並べられ、古い血と錆の臭気が澱んだ空気に染み付いている。


リリスは衛兵の手によって椅子へと押し座らされた。


冷たい鉄の感触が薄い囚人服を通して背中に伝わり、彼女の身体を強張らせる。


革ベルトが手首、足首、そして胴体を締め付け、自由を完全に奪う。


衛兵たちは無言で敬礼し、足音もなく退室した。


静寂。


呼吸音さえも憚られるような、重苦しい沈黙が部屋を支配する。


正面の闇の中から、革靴が石床を叩く規則的な音が近づいてくる。


コツ、コツ、コツ。


音は椅子の前で止まり、一人の男が光の中へと歩み出た。


黒い服を纏い、胸元には銀の十字架が鈍く光る。


整いすぎた顔立ちは彫刻のように美しく、しかしその瞳には爬虫類を思わせる冷徹な光が宿っている。


異端審問官、ヴァレリウス。


彼は手にした薄い手袋をゆっくりと外し、リリスの顔を覗き込んだ。


その視線は、獲物を値踏みする捕食者のそれであり、同時に芸術品を愛でる収集家のそれでもある。


リリスは息を呑み、視線を逸らさずに彼を見返した。


震える膝を拘束具で隠し、腹の底に力を込める。


演じるのだ。


冷酷な魔女を。


人間を憎み、利用するだけの怪物を。


それが、エヴァを守る唯一の方法である。


ヴァレリウスが口を開く前に、リリスは渇いた唇を動かした。


「……無様ですね」


声は低く、意図的に冷たさを装う。


「帝国の英雄も、賢明な治癒師も。所詮は私の手の中で踊る人形に過ぎませんでした」


リリスは口角を歪め、嘲笑の表情を作る。


「エヴァ・ハインリヒ。あの愚かな女は、私の同情を引く演技にまんまと引っかかりました。私は彼女の庇護欲を利用し、安全な場所と食料を確保しただけです」


彼女は言葉を続ける。


「感謝? 愛情? 笑わせないでください。魔族の私が、家畜である人間にそのような感情を抱くはずがない。彼女はただの便利な道具でした。壊れれば捨てる、それだけの存在です」


リリスは一気にまくし立て、ヴァレリウスの反応を待った。


これでいい。


これで、私は完全なる悪となる。


エヴァは被害者となり、この男の興味は私一人に集中するはずだ。


ヴァレリウスは瞬き一つせず、リリスの独白を聞いていた。


やがて、彼の薄い唇が弧を描き、静かな拍手が部屋に響いた。


パチ、パチ、パチ。


乾いた音が、リリスの作り上げた虚勢の壁を叩く。


「素晴らしい」


ヴァレリウスの声は、予想に反して柔らかく、甘美な響きを帯びていた。


「実によくできた物語だ。構成も、動機も、そして君のその表情も。三文芝居の悪役としては、合格点を与えよう」


彼は一歩踏み出し、リリスの頬に冷たい指先を這わせた。


「だが、リリス。君は一つだけ致命的なミスを犯している」


指先が頬から顎へと滑り落ち、彼女の顔を上向かせる。


至近距離で交錯する視線。


ヴァレリウスの瞳の奥で、暗い愉悦の炎が揺らめく。


「君の瞳だ」


彼は囁く。


「本当に人間を憎み、道具として見下している者の目は、もっと濁っている。欲望と傲慢で満ちている」


指先がリリスの目尻に触れる。


「だが、君の瞳は澄み切っている。そこにあるのは、憎悪ではなく悲哀。軽蔑ではなく、深い自己犠牲の光だ」


リリスの心臓が早鐘を打つ。


見透かされている。


この男は、言葉の表層ではなく、魂の形を見ている。


「サラスでの報告書を読んだよ」


ヴァレリウスはリリスから離れ、背中を向けて歩き出した。


「君は、その身を挺してエヴァ・ハインリヒを守ったそうじゃないか。四肢を砕き、血を流し、自らの命を削ってまで」


彼は振り返り、両手を広げた。


「道具を守るために、使い手が自壊する。そんな理屈がどこにある? 道具なら、使い潰して新しいものを探せばいい。君がしたことは、所有者の行動ではない。……愛する者を守る、献身者の行動だ」


言葉の刃が、リリスの胸を正確に貫く。


「違う……!」


リリスは叫んだ。


「私は……利用しただけ……!」


「嘘をつくなら、もっと上手くやりたまえ」


ヴァレリウスは机の上から一本の銀針を取り上げた。


「君はエヴァを守りたいのだろう? 自分が全ての泥を被り、彼女を潔白な被害者として解放したい。そのために、この薄汚い地下室で、怪物になろうとしている」


彼は針を光にかざし、恍惚とした表情を浮かべた。


「美しいよ、リリス。その自己犠牲精神。その無垢な魂が、嘘という泥で汚れようとする様は、実に唆る」


ヴァレリウスは再びリリスに近づき、針の切っ先を彼女の喉元に向けた。


「だが、残念ながらここは劇場ではない。異端審問所だ。ここでは、嘘は真実によって暴かれるのではない。苦痛によって剥ぎ取られるのだ」


リリスは唇を噛み締め、針の先端を見つめた。


逃げ場はない。


この男には、演技も、理屈も通用しない。


彼は最初から、リリスの中にある「人間的な弱さ」を見抜き、それを甚振ることを目的にしている。


「さて、始めようか」


ヴァレリウスは針をリリスの鎖骨に押し当てた。


チクリとした痛みが走り、一滴の血が白い肌に滲む。


「君がどれほどその仮面を被り続けられるか。そして、その仮面の下にある本当の素顔が、どれほど美しい悲鳴を上げるか」


彼は耳元で、恋人に愛を囁くように告げた。


「私に全てを見せてくれ、リリス。君の絶望の形を」


リリスは目を閉じ、エヴァの笑顔を脳裏に焼き付けた。


耐える。


何があっても、耐え抜く。

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