魔族を匿う者
鳥たちのさえずりが、唐突に止んだ。
朝霧が漂う森の空気が、硝子のように張り詰め、砕ける予感を孕んで軋む。
老婆の手が止まる。
木椀から立ち昇る湯気が、不自然な風に吹かれて揺らめく。
エヴァは顔を上げ、窓の外へと視線を向けた。
森の緑を侵食するように、銀色の甲冑が放つ冷たい輝きが木々の隙間から溢れ出している。
土を踏みしめる軍靴の音が、重く、無機質に近づいてくる。
数にして二十、いや三十。
整然とした行軍の響きは、慈悲なき秩序の到来を告げる鐘の音であった。
「見つけましたよ」
硝子細工のように冷たく、透き通った声が扉越しに響く。
老婆が息を呑み、エヴァは反射的にリリスの眠る長椅子へと身を寄せた。
扉が乱暴に開け放たれる。
朝の光と共に踏み込んできたのは、神聖ルミナール帝国の紋章を胸に刻んだ兵士たち。
そして、その中央から悠然と歩み出たのは、銀髪を靡かせたエルフの魔導師、フィオナであった。
フィオナは琥珀色の瞳で小屋の中を一瞥し、血と泥に汚れたエヴァと、眠り続けるリリスを見下ろした。
その視線には、かつて娼館で見せた侮蔑以上の、絶対的な敵意と殺意が宿っている。
「このような場所に鼠のように潜んでいましたか。魔族の臭いが森に満ちていて、吐き気を催しました」
彼女は杖を石床に突き立てる。
「なぜ、ここにいるのですか。エヴァ・ハインリヒ」
問いかけに、返答の猶予はない。
フィオナは淡々と、しかし弾劾するような口調で事実を並べ立てた。
「昨日、サラスは地獄と化しました。第一区画の魔導研究所、第三区画の兵器庫、そして中央司令部。すべてが破壊され、重要機密である結界術式と新兵器の設計図が盗まれました」
彼女の声が熱を帯びる。
「軍も、民も、ギルドの者たちも、ほとんどが殺されました。オーギュスト支部長も戦死したと報告が入っています」
エヴァの肩が震えた。
知っている。
その地獄を、誰よりも近くで見ていた。
だがフィオナは、その沈黙を肯定とは受け取らない。
「ギルドが壊滅的な打撃を受けている最中、治癒師長である貴女が、なぜ戦場を放棄し、このような無傷の場所で安穏とスープを啜っているのですか」
冷徹な論理の刃が、エヴァの喉元に突きつけられる。
「答えは一つ。貴女たちは被害者ではない。魔族の手引きをし、この惨劇を引き起こした共犯者だからです」
「違います!」
エヴァが叫び、リリスを背に庇うように立ち上がる。
「私たちは戦いました! オーギュスト様も、リリスも、命を懸けて……!」
「黙りなさい」
フィオナが杖を一閃させる。
不可視の衝撃波がエヴァの腹部を打ち据え、彼女は咳き込みながら膝をついた。
「戦った? 命を懸けた? ならばなぜ、貴女たちは生きているのですか。あのオーギュストでさえ死んだというのに、魔力も尽きた治癒師と、無能な元奴隷が、五体満足で生き残れる道理など存在しません」
フィオナは冷ややかに断言する。
「生存こそが罪の証左。貴女たちが魔族と通じ、見逃された証拠です」
老婆が震える手でフィオナの前に立ちはだかろうとした。
「お待ちなさい! この人たちは怪我をして……」
「退きなさい、平民」
フィオナは見向きもせず、指先だけで老婆を壁際へと吹き飛ばした。
老婆が悲鳴を上げて崩れ落ちる。
「魔族を匿う者は同罪。これ以上口を開けば、貴女も反逆者として処理します」
フィオナは兵士たちに顎で指示を出した。
「捕らえなさい。抵抗すれば殺しても構いません。特にその娘、魔族の血を引く忌むべき汚点は、生かしておく価値もない」
兵士たちが剣を抜き、殺気を漲らせて包囲を狭める。
エヴァは絶望的な瞳でリリスを振り返った。
守り抜いたはずの命が、再び理不尽な暴力によって踏みにじられようとしている。
その時、長椅子の上で、リリスの指先が微かに動いた。




