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来た、見た、勝った。そして負けた。

もし現実と矛盾する点があっても、それは「Only In This World(この世界ではそういうことになっているんだよ!)」ということで流してください。

 それでは講義を始めたいと思います。

 講師を務めます、ゲルギオス・ブリッヂストーンです。よろしくお願いします。

 この講義では、近代的軍縮条約の走りの一つであり、そして結果的に軍縮条約の失敗作となった『包括的雷撃禁止条約』の成立経緯と、そこから始まる大軍拡時代の幕開けと、その帰結についての概要を皆さんにお伝えします。

 皆さんにはこの講義を通じて、『条約の抜け穴を塞ぐことの意義』と『世界平和』について、皆さんなりに思いを馳せていただきたいと思います。

 では先ず――『包括的雷撃禁止条約』とは、何か(ネットリ)。


『包括的雷撃禁止条約』の出発点は、西暦一九〇四年の日露戦争に於ける日本海軍の活躍に主な原因があると、今日では能く説明されます。私もその説を概ね支持するところですが、では具体的に日本海軍が何をしたが為に、『包括的雷撃禁止条約』の必要が叫ばれるようになったのかを、最初に明らかにする必要があるでしょう。

 もう少し時を遡ること更に十年。西暦一八九四年に勃発した日清戦争で、既にその片鱗は現れていました。

 極東の超大国であった清国に対し、日本は当時、新興の小国でした。正面戦力で言えば、世界最新鋭の大戦艦、『定遠』『鎮遠』を有する清国海軍に対し、日本海軍の最大艦艇は艦容で劣る巡洋艦。隻数でも戦艦二、巡洋艦十、水雷艇他の清国海軍に対し、日本海軍は巡洋艦八、コルベット二の他は砲艦程度と、隻数に於いても劣勢でした。

 海戦の詳細は木曜四限からの惟任ひなた先生の『日清戦争史詳論』の講義へ譲りますが、この海戦に於いて勝利を得た日本海軍は、一つの成功体験を得ます――『如何なる大戦艦も、手数を増やして相手の耐久力・復旧力を上回る速度で燃やしてしまえば、その巨砲は射撃不能に陥り、何れ格下の艦艇でも是を撃沈し得る』。

 これが極論であることは、優秀な皆さんの頭脳であれば能く理解出来ることでしょうが、しかし一つの真理であることに疑いの余地がない事も、また後世の結果が示している通りです。

 日清戦争後、独仏露の三国干渉に端を発する臥薪嘗胆を経て、日本は不凍港を求めて朝鮮半島や東アジアへ南進してくる、当時の世界的超大国・ロシア帝国を次なる敵国と見定め、そして是に打ち勝つ為に全力を費やします。

 即ち、『大火力』『長射程』『速射性』という、今日にも通じる『軍備に於ける三種の神器』と呼ばれる三要素を備えた軍備の建設です。

 具体的には、陸海両軍に於ける火砲の、『焼夷弾頭装備比率の極端な拡大』。少しでも遠方で敵の出鼻を挫く為の、『射程の延長』。兵器のコスト増を甘んじて受け容れてでも装備した、『装填装置の機械化による連射速度の向上』。という方向性ですね。『国力差三十倍とも、資金力で言えば三千倍とも言われる差を覆すには、一人でも多く敵兵を殺傷する外にない』という、明治時代の人々の必死の努力、或いは危機感が伺えるものです。

 もう少し詳しく見ましょうか。

 陸軍では『保式機関砲』と呼ばれる、所謂オチキス機関銃を中隊あたり一丁の割合で装備し、『明治三十六年式火柱射砲』と呼ばれる、今日の多連装ロケット弾の初期型を師団直轄の歩兵直協火砲としてそれまでの山砲や野砲に代わって大量採用。更にその弾頭は海軍技師の下瀬氏が開発した極めて爆発力・発熱力の強い純粋ピクリン酸火薬、つまり今日で言う『下瀬火薬』が詰め込まれている、と言った具合でした。

 話を海軍に移しますと、此方は単位時間辺りの砲弾投射数量で劣る戦艦の整備を諦め、艦砲を『五〇口径八インチ連装半自動装填砲』――皆さんにも分かり易い説明で言い換えると大体二〇センチ砲――を二基四門で揃えた、イギリス製の『浅間』『出雲』『富士』『敷島』型装甲巡洋艦を各四隻ずつ、合計十六隻もの主力艦を揃えました。この艦砲は当時の既存艦砲では最も長射程を誇った優秀砲であり、勿論その主砲弾は国産の下瀬火薬を満載している上に、その装填装置はほぼ人力を機械力に置き換え、当時の艦砲の一般的な射撃間隔である三〇秒から一分程度を大きく上回る、二〇秒に一発という速度を実現していました。

 更に実戦では、敵艦を砲撃不能に陥れたら後は後続の駆逐艦や水雷艇で襲撃して確実にトドメを刺す、という運用を行うよう定められていました。もちろんこれらの艦艇が装備する艦砲や魚雷も、下瀬火薬です。

 ちなみに下瀬火薬という名の純粋ピクリン酸は爆発時、鉄と反応して摂氏三千度の熱を発します。殺意の高さが伺えますね。その代わりこちらが被弾したら間違いなく大惨事ですが、陸軍はこれに対し、散兵配置と素早い陣地転換を徹底するという涙ぐましい現場努力で対応し切ってみせ、海軍は半ば神技的な艦隊運動と、射撃諸元を統一しての公算射撃の徹底で乗り切ってみせました。

 その結果は、順当に悲惨な結果をロシア軍に齎らしました。

『日本陸軍と直接戦った陸軍兵士の内、遺体の無い戦死者は八割』。『日本海軍と戦って生還した水兵は一割、ロシア艦隊は文字通り全滅』。

 これは冗談ではない、ありのままの事実です。

 日本軍の戦没者九万人余りに対し、ロシア軍の戦没者は十六万人。中でもロシア海軍は、太平洋艦隊とバルチック艦隊の両艦隊を完全喪失し、純軍事用語に於ける『全滅』ではなく、字義通りの『全滅』を遂げています。

 そしてここが、軍事史に於けるターニングポイントの一つでした。

 一つには、日本軍が発揮した火力は『余りにも当時としては強過ぎ』た。

 加えてもう一つには、日本海軍は当時の戦時国際法を遵守していましたが、当時の戦時国際法は『瞬時に艦の指揮系統・射撃系統が破壊されるも艦の浮力速力自体は衰えておらず、結果として降伏手続きを執れる状態にない艦艇への攻撃』は『想像の埒外』にありました。

 詰まり、日本海軍は敵艦を砲撃不能に追い込んだ後、なおも降伏手続きを執らない、執れない状態にあるロシア海軍艦艇に対し、駆逐艦以下の艦艇による砲雷撃による襲撃で完全にトドメを刺しに行った訳ですが、これが各国の観戦武官に危機感を持たせてしまった訳です……『斯様な容赦の無い殺戮を行われては、文明的な我々の兵士は一人も生き残れない』――と。

 実際、ロシア兵の一割は敢えなく極東の地に散って養分となり、次なる大戦での早期敗戦に繋がる訳ですが、それはさて置き、当然この日本と、日本陸海軍の情け容赦ない火力戦は列強各国に例外なく、多大な波紋を投げかけました。当の日本にも、です。

 日露戦争に於いて、日本は死力を尽くして戦い、辛うじて勝利を得ました。然し、自ら仕掛けた火力戦とその結果を前に、勝利を喜ぶよりも恐怖を覚えることになります。

『果たしてこの様な戦を挑んで、次なる依然として世界に君臨し亞細亞を蚕食する列強国家と戦争になった時、果たして負けた時、日本人はこの先生きのこれるか?』と。

 そしてその恐怖に絡め取られた世界と日本は斯くして、日本がそれまで列強と締結させられていた不平等条約を全面撤廃する代わりに、一つの戦術オプションを拘束する条約を締結することになります。

 もうお分かりですね。それが、『包括的雷撃禁止条約』です。

 それでは良い時間になりましたので、本日の講義は此処までとします。次回は『包括的雷撃禁止条約』の骨子と実際について講義したいと思います。今日の講義で疑問に思った点、気になった点、より突き詰めて知りたい点がある場合は、次回の講義までに簡単なレポート形式にまとめて私の研究室まで持ってきてください。なるべく次回の講義で回答できるように努力したいと思います。

今では反省していますん。

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「下瀬火薬でロシア軍を焼いたら世論が炎上したでござる」
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