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故郷

 夕暮れ、階段教室で筋肉を鍛えられそうな荷物を鞄に入れていると、川村が覗いてきた。文学部の基本講義には法学部も混ざることが多いが、どういうわけか法学部が多いと誰も私語などしない。駅から歩いているときも学舎ごとに華やかさが違うような気もするが、文学部と法学部には華やかな学生生活は微塵もない。

「終わった?」

 春瀬はうなずいた。見たらわかるのではないかと思いつつもうなずく自分もいた。

「何でわたしの講義知ってるんですか」

「日頃読んでる本見ればわかる。メシ食いながら読んだらあかん。ちょっと付き合わへんか」

「今からですか?何付き合うんですか。どこ行くんですか。門限まで帰れますか」

「一言『はい。喜んで』とは言えんのか。梅田までや」

「言えませんよ。箱入れられ娘ですし」

「アマゾン?」

「ゆうパック」

「置き配できんな。ゆうパックは不在届入れてくるよな。郵便局行くんやけど」

 春瀬はリュックを背負うと、スカートのよれをなおしながら階段を降りた。

「ちゃんと時間指定せんからですよ」

 考えてみると、実家では祖父母、両親の誰かしらいた。不在になることなどないから考えてもみなかったし、大阪に来てからは管理人が預かっていてくれるので心配もない。

「死にそうな顔しとるな」

「ほっといてください。朝一から講義ですからね。休みなしで。センパイも同じでしょうが」

「刑法総論が二コマでな。総論てわかる?」

「一般論とか抽象論みたいな?」

「そやな。文学部にもあるやろ。世の中のくその役にも立たんことやねん。おもしろい」

「学問てそういうことやないですか」

「どうせ帰っても寝られへんのやろ。まあ着いてこい」

「寝てますよ。それと偉そうに言わんといてください。箱入れられ娘なんですから」

「箱詰めやないのか。とにかく吉野家くらいおごったるから着いてこい」

 箱詰めは遠からずなような。

「安い女ですね」

「吉野家の女やな」

「何か嫌やな。すき家の女。なか卯の女」

 ガストの女。ジョイフルの女。サイゼの女とかどうだろうか。マクドの女。王将の女なんてのはどうだ。どれも嫌だ。

 講義室を出ると、坂につらなる空はまだ日が落ちきらないまま闇がにじんでいた。

「どこ行くんですか」

「ええから。梅田や言うたやん」

「だから梅田のどこですか」

 淡路駅から梅田駅まで行き、グランフロントの迷路を抜けて、一路目指した。グランフロントはガラスで作られた世界と思えばいい。阪急やJR、あらゆる資本がおしゃれに食いつぶした界隈だ。灰色の人々が行き交う華やかな世界。

 JR大阪駅だった。

 改札の掲示板を見上げた。

「サンライズあるわ。間に合う。あれに乗ったら帰れるやん」

 春瀬は川村の手を振りほどくと、両手で顔を覆った。雑踏が消え、川村の声も遠退いた。止めようとしたも涙が止まらなくなった。

「やめないでください」

「ん?」

「大学、やめないでください」

「話してしもてたんか」

 川村は自分の後頭部を撫でた。ひとまずコンコースから離れようと腕をつかまれたが、力任せに突き放すと、逆に手首をねじ上げた。

 警察が来た。


 駅長室なるものに入ると、犯人と被害者の扱いに変化していた。何度も警察に訴えても犯人のような存在は変わらないままだ。


「同じ大学の学生です」

「でもムリに連れて来られた?サークルで同じとか」


 サークルも入っていないし、話しかけられて何となく話している存在だが、こう言うと余計におかしくなる気もするので黙っておいた。


「ホームシックで。そしたら駅まで連れて来られて今からでも帰れると。あれ?」

「連れて来られたんですね?」


 女性警官がやさしく聞いてきた。


「お付き合いしていてもデートDVとかもあるから心配しなくてもええんよ」

「ちょっと待ってくださいね」


 春瀬は深呼吸した。男性警官は奥で駅長と一緒に川村に話しかけているのが見えた。駅長室というのは取調室になるんだと知った。


「たまたまコインランドリーで会うようになりました。淡路駅です。お互い下宿してて話すように。わたしがホームシックになってたから話しかけてくれたんやと思います。香川県なんて今からでも帰れると連れて来てくれました」


 泣いた理由はわからない。こんな近いんだと気づかせてくれたから涙が出てきたというようなことを話した。ひとまず川村と春瀬は徹底して別々に住所と学生証を見せて解放された。


 春瀬は『待っている』とラインした。


「何やねん、この扱いは」

「ブツブツ言わないでください」


 プラスチックの椅子に腰を掛けた二人は走り込んでくる列車を眺めていた。冷たい蛍光灯の光に冷たい蛍光灯の窓が音を立てて止まる。


「今からでも帰れんねんで」

「気づきました。近いですよね。でも距離の問題やないことにも気づきました。それとバスの方が速いですし安いです。高松まで高速バス出てますから。でもありがとうございます」


 川村が黙ったので間が空いた。


「一つ聞いていいですか」

「一つで済まんやろう」

「そうですね。まずはご両親のこと」

「読むわな。これ見よがしに入れてあるんやからな。台風のときに畑を見にな。世間は命のこと考えろ言うけどな。畑なんよな。小さい土地にしがみついて生きてきたんやもん」

「亡くなられてからどうしたんですか」

「祖父母の家やな。あっちからしたら子ども亡くしたんやで。たまらんやろうな。もっとたまらんことはな。保険金や。親戚がアテにしてるのが見える。家も土地もな。せつないよな」

「揉めてるんですか」

「知らん」


 川村は突き放すように答えた。


「すみません。わたしが言うことやないかもしれませんよね。大学は嫌いですか」

「好きやで。こんな知識だらけのところ入れてうれしいわ。学んでたらすべて忘れられる」

「やめませんよね」

「春瀬さんが背負うことないよ」

「背負えないけど。約束してください」


 春瀬は川村のジャケットの内ポケットに手を突っ込むと、二つ折りの財布を奪うように出した。そして退学届を出して財布を返した。

「こんな紙きれがボロボロになるまで悩んでたんですよね」


 川村は記事を広げた。


「二人の人生は財布に入るくらいでまとめられてしもてな。故郷があるのはええことやで」


 夏休み、川村が遊びに来た。

 高松まで高速バスで来た川村を免許取り立ての春瀬が迎えに行き、助手席に乗せた。どういうわけか後ろに両親も着いてきた。

「みんな、緊張してない?」

「前向いて運転してほしいんやけど」

「向いてる」

「もっと前というかな」

「静かに」

「すんません」

 川村は救いを求めるように後ろを見た。春瀬の母は農家の嫁らしく日に焼けてニコニコとしていた。父は川村と同じく緊張していた。あえて何も言わないようにしていたが、無意識に運転席をブレーキを踏むようにした。

「あつかましいですがお世話になります」

「広いだけが取り柄の古い家や。ゆっくりしていったらええ」と緊張気味の父。

 川村の姿に笑いが込み上げてきた。さすがにいつもの彼ではなく、よそ行きの彼で生来のマジメさが溢れていた。ビジネスホテルに泊まるというところをムリに連れてきたのだ。

「何のおもてなしもできんけどね」

 母が笑いながら、

「お父さんも緊張しててね」

「運転にな。川村くんは酒は飲めるのか」

「少しは」

「コインランドリーで倒れてたらしいな」

「お恥ずかしい」

「ほどほどにな」

 三人で居酒屋に行くことになった。

 男二人は酔いつぶれた。母は父を春瀬は川村を介抱して同じ部屋に放り込んだ。翌朝を思うと春瀬も母もニヤニヤしていた。



 

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