愛子の名がよばれるとき
今日は一ノ瀬詩織の出勤日だ。今日は早番なので7:00までには施設のフロアーに向かわなければならない。
詩織(まずやることは、居室を回って、利用者さんを車いすに移乗させて、ケアステーションの前まで連れて行って、ご飯を食べてもらう........。)
仕事内容を頭でシュミレーションする。フロアに出た瞬間、すぐに動けなければ
他の介護士に仕事を取られてしまい自分の仕事がなくなる
ーーそれがこの世界のリアル。
詩織(この仕事って椅子取りゲーム観たい...............9
仕事がない時は先輩に確認するでも先輩職員も忙しい。気を抜けばやることがない介護士扱い、そんなの詩織はいやだった。
2階のフロアーに向かう。今日の担当は2階だ。
詩織「おはようございます。」
いろいろな職員にあいさつをするその中に佳代さんもいた。
佳代「おはよー。詩織ちゃん。」
軽く会釈だけをして、すぐに201号室へ向かう。
詩織(私も.......いかなきゃ)
201号室のトメさんは歩行可能。でも会話はちぐはぐ
詩織「おはようございます。トメさん。朝ごはん食べに行きましょう」
トメさん「朝ごはんもう食べたでしょ。」
詩織(認知症が進んでるから、記憶が飛ぶんだよね.........)
佳代さん「トメさん。今日は洋輝さん出勤していますよ。今食堂にいますよ。」
詩織(.......さすが佳代さん)
トメ「洋輝さんがいるなら行ってみようかな」
佳代さんは笑顔で手を引きケアステーション前へ。でもどんどん時間は過ぎていく。佳代「詩織ちゃん。203号室の愛子さんお願い!」
詩織「はいっ!!」
佳代「愛子さんは、点滴中だからリクライニングベッドを上げるだけでいいからね。前に上げ忘れた人がいて、ずっと臥床のままだったから、注意して。」
背中越しにその言葉を受け取り、203号室のドアを開ける。
詩織「えっ...............これって...............。」
点滴のチューブが外れていた。
急いで佳代さんのもとに駆け寄る。
詩織「佳代さん!!大変です!!」
佳代「どうしたの?」
詩織「愛子さんの点滴が抜けていますっ!」
佳代「えっ!?すぐ確認します!」
佳代さんは中山看護師に報告する。
佳代「中山さん。203号室の愛子さんの点滴が外れています!!」
中山「えっ!!すぐに確認に行きます。」
中山千恵は落ち着いた雰囲気のベテラン看護師。
普段は優しいが、この時ばかりは険しい顔だった。
中山「......これは.....誰かがリクライニング上げるときにひっかけたのかも?」
佳代「最初に入ったのは詩織ちゃんだからたぶん...............?」
詩織(えっ......!?私、まだ何もしてないのに...............)
中山「詩織ちゃん来てくれる?」
詩織「はい...............」
中山「あなたが見つけたのよね?」
詩織「はい......。」
中山「リクライニング上げた?」
詩織「.....いいえ........まだ..........」
その時だった。けれどその時気づいた。左手が右手の点滴の方に伸びていた。
詩織(まさか...............。愛子さんが、自分で...........。)
だけど、寝たきりの人がそんなこと..........できるわけ...............。
詩織「もしかしたらベッドのリクライニングを上げるときにひっかけてしまったかもしれません。」
中山「わかりました。事故報告書、お願いしますね。」
書きながらも、詩織の頭の中にはあの左手が残っていた。
詩織
ありえない考えが頭に浮かんだが、その考えを捨てて目の前の事故報告書に、
「ベッドのリクライニングシートを上げた際に右手の点滴チューブをひっかけ...............」と書いてる詩織がいた。
しかし実はその事故が事故ではなく、愛子さんが自分で動き、チューブを抜いて自由になりたいというキセキ一つだったのだ...............
そのころ愛子の心は静かに動いている。
愛子(もうちょっと.............もう少しで...............。)
ダンベルのように重たい自分の左手。
力を振り絞り、左手が右手の点滴チューブをつかむーーーーー
愛子の記憶が戻る...............。
陽菜「神経内科ってどこだろう?」
愛子と陽菜は混雑した総合病院に到着、複雑な手続きに翻弄されながら、ようやく受付へたどり着く。
受付の人「保険証は入り口で提出されましたか?」
陽菜「えっ..........また戻るの?お母さん足元おぼつかないのに.............」
母親の様子を見た。
愛子「はぁ。はぁ。」母は、息切れをしていた。あの健脚だった母の姿が...............。
色口の行列に並び、保険証をようやく提出。1105と書いてある。
陽菜(これは1日がかりだわ...............。)
ーーそして呼び出し。
看護師「久保田愛子さーん。診察室へどうぞ。」
入った診察室にいたのは
新堂さくら「こんにちわー。担当の新堂さくらです。」
金髪ボブ、ギャルメイク、ネイル、若い。派手。しかし、ネームプレートには
『医師』の文字。
陽菜(...............。本当にこの人お医者さんなの?)
でもさくらはすぐに、愛子の症状を見抜いていく。
さくら(眼球運動、呼吸、顔色、...............これってまさか。)
新堂さくら「ねえ?あの黒いトントンするやつ?もってきてくれる?」
看護師「はい。打腱器ですね。」
さくらの表情が変わる。
新堂さくら(反応が鈍い...............。これは...............)
そして先輩医師と確認。
新堂さくら「愛子さん...............。ALSの可能性があります。」
陽菜「えっ。ALS?」
診察後、駐車場で。
愛子「ALSなんだか難しい名前ね。でも、私、負けないわ。」
陽菜「どうしてそんなにわらっていられるのよ!!」
涙をこらえ声を荒げる娘。
愛子「大丈夫よ。陽菜。人間は今この瞬間が大事なの。」
ーー信号が青に変わる。車は前に進む。陽菜の気持ちも、静かに前を向いた。
【次回予告】
ケアマネージャー渡辺「もしもし?陽菜さんですか?」
陽菜「はい?」
ケアマネージャー渡辺「実は...............お母さんが...............」
陽菜「えっ...............おかあさんが...............」
ーーそして現場に到着した陽菜の目に映ったのは
わずかに動いた愛子の『左手』
陽菜「まさか...............そんな...............今、確かに。」
愛子(陽菜...............あなたが...............)
陽菜(.........頭が痛い........声が.......誰かの声が.........私の中で...............)
そして運命の出会い。
洋輝「白河洋輝です。愛子さんの担当をしています」
陽菜「...............久保田陽菜です。」
陽菜(なぜだろう......この人.........懐かしいような.............)
詩織「一ノ瀬詩織です」
陽菜(この人は.......なんだか胸がざわつく....)
愛子(陽菜.......洋輝.........詩織...............)
陽菜(いろいろな声が頭の中で渦巻いて、何...............これ.............)
次回 愛子さんのキセキ
『私が私じゃなくなっていく』 陽菜「私が...........私じゃなくなっていく......
でも......洋輝君.........あなたにはそばにいて欲しい」
お楽しみにー。