遠山桜
日曜日のお昼時で店は混雑している。給仕の女の子がようやく水を持って来た。三人の会話が一段落したのを確認したかのようなタイミングだ。
敏浩は
「ハンバーグセット一つとステーキセット二つ、全部ドリンクとサラダ付けてください。ハンバーグは和風おろし。」
と手短かに言った。
「あ、勝手に決めた。興梠さんはいいんですか。」
須美が少し膨れて言うと敏浩は
「追加してもいいぞ。俺と修一郎で食うから。」
と修一郎を無視してとあっさり返す。須美はこんな風に深く考えない敏浩が好きだ。プロレスラーみたいに長方形の体型で文学青年みたいに悩む姿は敏浩には似合わない。
とにかく蟹沢敏浩は興梠修一郎の前だと毒舌になる。営業マンなのだが元々読書家なので語彙も豊富で饒舌だ。相手を必要以上に持ち上げたりで、敏浩の顧客は図に乗る連中ばかりだ。仕事を終えた敏浩は無口になる。電車で帰宅する敏浩は疲れ切ったサラリーマンの一群に溶け込んでしまう。
それでも敏浩は帰宅すると机に向かい原稿用紙を広げ右手に鉛筆を握る。鉛筆は国産のブランド品で硬さは2Bと決めていた。
注文を待ちながら、
「『妖怪譚』もいいが『遠山桜』も書いてくれないか。俺も協力するよ。修も大江戸勧善懲悪が好きなんだよ。」
敏浩が言うと修一郎は
「そのうちな、決め台詞以外は何かありきたりの展開になりそうなんだ。」
とあまり乗り気でない。
敏浩も修一郎も勧善懲悪時代劇の愛観者だ。天下の副将軍、桜吹雪、名裁き、隠密将軍に投げ銭。
以前この時代劇を敏浩が
「番組は副将軍がダントツだ。将軍を超えている。裏将軍と四天王だ。」
と言うと修一郎は
「闇の仕事屋も含めて六星スバルでいいんじゃないか。」
と言い、敏浩は
「それもいいな。」
と変に納得した。
敏浩は『遠山桜』を随分と気にしている。須美は作品の内容よりも欲しいモノをねだる子供のような敏浩が可笑しかった。
「『遠山桜』はどんなお話なんですか。」
須美は修一郎に尋ねた。
「取り敢えず警視庁捜査一課の女刑事桜葉 吹雪と葉坂 櫻子のダブルヒロインにしている。あとは決め台詞だけ。」
修一郎が言うと須美は
「決め台詞、聞きたいです。」
と言う。
「単純な起承転結。承では〈この桜吹雪、篤と拝みなさい。〉、結は〈花弁散って葉桜、篤と拝みなさい。〉。」
修一郎か説明すると、
「桜吹雪と葉桜の入墨もあるんですか。」
須美は尋ねる。
「タトゥー・シールをお腹に貼ってる。身体で面積が広いのはお腹と背中。出しやすくて見せやすい方。」
修一郎は答えた。
「おい、僕は桜吹雪しか聞いてないぞ。いつ考えた。」
敏浩が割り込むと、修一郎は
「今、考えた。」
と即答する。
「何でお前はすんなりと浮かぶんだ。」
敏浩は言う。
「敏君は考え過ぎる。」
「いや、悩み過ぎだ。」
と須美の言葉を修一郎は言い換えた。