ジャスミン茶
学生時代に東京渋谷の渋谷駅近くに住んでいました。メトロ銀座線の渋谷駅は始発駅で終着駅。おかげで乗車時は座れるし、バイトが終わり爆睡しても乗り越すことはありません。
もしも乗り越してしまったら行き着く先は地獄の底かも。ウトウトしながらそう考えました。
「何か飲む。」
倉利 須美は蟹沢 敏浩に尋ねた。
「ジャスミンがいい。」
敏浩がそう言ったので須美は
「急がなくていいよね。」
と聞き返す。敏浩は
「ああ。」
とだけ言った。
湯を沸かし少し冷ますまでの間に須美はガラス製の急須に小さな毬藻のような茶葉の玉を入れた。湯の温度が最適になると急須に注ぎ、あたりにジャスミンの香りが漂った。
敏浩は鉛筆を原稿の上に置くと急須を見つめている。須美も黙ったまま敏浩の顔を見る。須美には敏浩がお茶の香りと茶葉の広がりを見ながら創作意欲を掻き立てているのだと敢えて声を掛けなかった。
須美と敏浩は小学校から高校まで同じだった。敏浩はいわゆるスポーツ万能のタイプで高校に入学すると野球部、柔道部、ボクシング部から勧誘を受けた。結局、敏浩は文芸部に入部した。体育会系で活躍する敏浩を見たかった須美はガッカリした。小説が書けずに悩む敏浩を見るのは悲しかった。
大学は二人別々になった。卒業後に仕事で偶然再会した後、須美は敏浩から
「変な友達を紹介するよ。」
と連絡を貰った。一般常識と社交辞令をわきまえている敏浩の言葉に須美は戸惑いを隠せない。友達がどんな変な人間かも想像できなかった。
待ち合わせ当日、須美が銀座線の改札を出ると敏浩がいた。
敏浩は須美が今まで見たことのない笑顔で
「コイツは興梠修一郎、脳内映像を朗読出来る変な特技かある。それで校正校閲は俺が担当。」
と喋る。次に
「こちらは倉利須美さん。幼なじみ。」
と須美を簡単に紹介した。