第61話 ~陽菜SIDE~(1)「だめ……。泣いちゃだめ……」
~陽菜SIDE~
◇
「今日は送ってくれてありがと。じゃあね、また」
陽菜は拓海に短くそう告げると、返事も聞かずに逃げるように家の中に入り、靴を乱雑に脱ぎ捨てて、2階にある自分の部屋へと駆け込んだ。
そのまま身体を投げ出すようにして、ベッドに倒れ込む。
ベッドシーツをギュっと握って、気を抜くとこぼれそうになる涙を、陽菜は必死に堪える。
「だめ……。泣いちゃだめ……」
一度でも泣いてしまったら、ガラスのように脆くなった心が、修復不可能なくらいに粉々に壊れてしまいそうだったから。
(なんで、なんでなんでなんで? なんでこんなことになったの? なんでたくみんが自転車の王子様なの? なんで? なんで――!)
懸命に涙を堪えながら、陽菜の頭の中では「なんで」という言葉が、無限ループでリフレインしていた。
ずっと想っていた初恋の人。
陽菜が困っていた時に颯爽と現れて助けてくれた、自転車の王子様。
ずっと会いたかった運命の人と再会できたのだから、普通なら嬉しい以外の感情はないはずだった。
やっぱり運命ってあるんだ、諦めなくてよかったって、そう思ったはずだった。
フリーだってわかったら、即アタックしただろう。
陽菜は欲しいものを手をこまねいて眺めているだけの、奥手な女の子ではなかったから。
だけど。
「あの時の男の子がたくみんだったなんて……。美月の好きな人だったなんて……」
親友の好きな人に手を出すことだけは、何をどう理由を付けたってダメすぎた。
人の道を踏み外していた。
「ぜんぜん知らない女の子が彼女だったら、まだ納得できたのに……。悔しいけど、幸せになって欲しいって祝福できたのに……。なのに、なんで……?」
神さまはどうしてこんなに悪趣味で性悪なのかと、陽菜は思わずにはいられなかった。
これはもう鬼畜の所業だ。
「ううん。それよりも、なんで最初に気付けなかったの? クロトを見つけた日に気付いていたら、こんなことにはならなかったのに……。見たらわかるって自分で言ってたじゃんか……。なのになんで……」
拓海が自転車の王子様だと知った瞬間、陽菜はもう拓海があの時の男の子にしか見えなくなっていた。
逆にどうして今までわからなかったのか、不思議なくらいだ。
だけど今の今まで陽菜は「拓海=自転車の王子様」と気付くことができなかった。
できなかったのだ。
だからこんな状況に陥ってしまった。
その一番の理由は、拓海がイケメンではなかったことだった。
だがこれは陽菜の強烈な思い出補正のせいであって、拓海が悪いわけではない。
拓海もアオハルなお年頃なので――自分から積極的に話しにいくことはなくても――女の子の目を気にして清潔感のある格好を普段から心掛けているし、元々穏やかな性格なので笑顔も多いし、見てくれも特段悪いというわけでもない。
だけど陽菜の乙女心が理想の王子様像を心の中で際限なく美化し、ハードルを上げていくうちに、
『薔薇の花をバックに真っ白な歯をキラリーン☆と光らせながら投げキッスをプレゼントするような超イケメン』
だったと思い込んでしまって、そのせいで気付くことができなかったのだ。
なにせ小さい頃から陽菜はモテた。
何人ものカッコいい男子から告白された。
だけどどれだけイケメンに告白されても、陽菜はドキドキすらしなかった。
そんな自分があれだけ胸を高鳴らせた男の子なんだから、当然もっともっとすごいイケメンだったに違いない、という陽菜なりの理屈だ。
しかもそのせいで、陽菜は自分は超が付くイケメン好みだと思い込んでしまい、それがさらに美化に拍車をかけ、その結果、際限のないイケメンの無限ループを作りだしてしまったのだ。




