98
98
「なっ、伸之、百子さんが自身で働いて得た収入の全額をぽんっと
お前に渡してくれたと聞いた日からずっと考えていたことがある。
あれからすぐに百合子のことでお前がいろいろと忙しくしていたから
話そびれていたがね」
「何ですか」
「百子さんはまだお前のことを好いてるんじゃないかと思ってね。
一度百子さんとの再婚を考えてみてはどうだ」
父重治の無茶振りに伸之は目をひん剥いた。
「何を今更……そんな破廉恥なことできませんよ」
「まぁまぁそう怒りなさんなって。
どう考えてもそれが丸く皆が収まるところへ納まれるんだから
考えてみてくれないか。頼むよ」
父親が懇願してくる。
皆がって言うが、結局自分がだろ? といいそうになったが
それは口に出さなかった。
不承不承伸之は
「分かりました。考えてみます」と言い、自分の部屋代わりにしている
リビングにカーテンを引いて作っただけのベッドの置いてある空間へと
引き上げた。
父親とこれ以上同じ空気を吸っていると、たまらなくなり理性を
手離してしまうかもしれないと思ったからだ。
頭を下げるのは後にも先にも一度だけと思うからこそ恥を忍んで、
恥じていることを隠して、百子の元を訪ね金を借りた。
二度までも頭を下げることになろうとは!
伸之は頭を抱えた。
これまで何十年も人の上に立ち立派な門構えの大邸宅に住んでいた人たちだ。
リビングと一部屋しかないような狭いアパートの暮らしに、不自由なことは
もちろんプライドがへし折られていることだろう。
それが分かるから結局は父親の提案を無碍にはねつけることが躊躇われた。
『分かりました。考えてみます』
そう答えはしたものの、親父も年老いて人間力が衰えてきたのだろうと
思わざるを得ない。
この状況で百子たちが暮らす家に入り込むなどという考えは
無茶もいいところだ。
唯一可能性があるとするなら、百子がまだ自分のことを好いてくれているという
場合のみだろう。
だが残念ながら先月金を融通してくれた時の彼女から、今でも
自分のことを恋しく想っているような素振りは何一つ感じられなかった。
ただ唯一の救いは自分や両親に対する蔑みの感情を向けられなかったこと。
このことだけでも自分はあの日、百子に対して感謝の念を覚えた。
父親にああは言ったものの、流石に百子に復縁を願い出る覚悟は
できなかった。